4日に 『金曜ロードショー』(日本テレビ系/毎週金曜21時)で放送されるディズニー&ピクサーのアニメーション映画『リメンバー・ミー』は、家族の絆をめぐる物語だ。家族とは何だろう。
家族とは最小単位のコミュニティであり、人が最初に直面する社会である。社会には必ず抑圧がある。本作は、メキシコの大家族を題材に、家族という社会と個人の夢の衝突を描いた作品だ。ピクサーの映画としては初めて音楽を大々的にフィーチャーし、メキシコの死者の日を舞台としているこの作品は、そのユニークな世界観と高い技術力に裏打ちされた美麗なアニメーション映像、家族の絆と少年の夢へのひたむきさを描く物語によって絶賛され、多くの人に「泣ける」と評判になった。本作の「泣ける」秘密はどこにあるのだろうか。物語の構成を紐解いてみよう。
【写真】なぜ泣ける? 『リメンバー・ミー』を場面写真で振り返る
家族の抑圧と個人の夢
ディズニーやピクサーの作品群には、家族の絆を描く物語が多い。それは、ディズニーやピクサーの作品を見たい子どもたちを映画館に連れていくのが、お父さんやお母さんだからで、子どもを連れていく親も安心できる内容が求められるからだろう。
本作も家族の絆をベースに物語を構築している。取り上げられるのはメキシコの大家族だ。主人公の少年ミゲルの一家は、家族みんなで靴作りの仕事に従事しており、ミゲル本人はまだ未熟なために街頭で靴磨きをしている。ミゲルの曾祖母、ママ・ココの母の代から続く家族の伝統であり、この家族のメンバーは必然的に靴職人になる将来が定められている。
しかし、ミゲルには音楽家になりたいという夢がある。ここに家族の伝統的価値観と主人公の夢が対立する構図が生まれている。ミゲルは、家族の反対という障害を乗り越えねば夢を叶えることができない。しかし、ミゲルは、わかってくれない家族の元から逃げ出し、ひょんなことから死者の国に迷い込んでしまう。家族の抑圧から逃れ、未知の世界への冒険に乗り出すのだ。
本作は、異世界を冒険する中で様々な体験と出会いを経て成長し、抑圧する存在としか思えなかった家族との絆の大切さに気が付き、帰還するという構造になっている。それは、映画館に出かけて、暗闇の中で物語に没頭し、現実に戻るという映画鑑賞のプロセスと重なる。家族で見に来た観客に対して、映画が終わった後にも「家族っていいな」と改めて思ってもらえるような仕組みになっているのだ。
家族から逃げたい少年と家族の元に戻りたい男
本作は、音楽家になるという少年の夢を阻む家族という障害をいかに乗り越えるかに焦点が当てられている。家族は最小単位の社会と先に書いたが、その家族が障害となっているこの物語は、人が夢を追いかける時には、様々な障害があるということをほのめかしている。本作自体は、少年と家族の物語だが、物語の構造として、個人と社会の衝突を描いているともいえる。だからこそ、本作は、あらゆる人にとって共感を覚える内容になっているのだ。
では、どのようにこの衝突を解決してゆくのか。ここに本作のうまさがある。ミゲルは、音楽に理解を示さない家族から逃げるように、死者の国に迷い込む。そこで、彼はかつて音楽のために家族を捨てたヘクターという男性に出会う。
ヘクターは、今のミゲルのように音楽を選び、家族と再会できずに死を迎えてしまったことを後悔している。死者の国では、現世に自分を覚えている人が一人もいなくなると、存在そのものが消える「二度目の死」という概念がある。だから彼は家族を選ばなかったかつての自分の決断を悔やんでいる。ヘクターは、自分の娘になんとか写真を飾ってもらい、思い出してもらいたくて、ミゲルに写真を託そうとする。
ミゲルとヘクターの目的意識が正反対であることが、この物語の優れた点だ。ミゲルにとって家族は夢の障害だが、ヘクターは家族こそが目標なのだ。ヘクターのこの設定によって、この物語は観客に、ミゲルの問題だけではなく、ヘクターの問題とも向き合わせていく。
こうして、家族が大事か夢が大事かの二択ではなく、家族と夢どちらも大事だという方向に物語が進んでいくことになる。
なので、ミゲルは家族に音楽の大切さをわかってもらわねばならないことになる。本作は、その難しさを見事にクリアして、音楽こそが家族の絆をより強くするという展開を用意しているのだ。現世に生きる家族だけでなく、死者の家族の絆までも音楽で結び付けていくという劇的な展開によって、その奇蹟をもたらす音楽、映画のタイトルにもなっている「リメンバー・ミー」に涙するのだ。音楽が奇蹟を生んだ瞬間を、劇的に作り出すことに成功している。
忘れないことの大切さ
本作は、夢と家族の衝突の解決と同時に、記憶をめぐる物語でもある。記憶の大切さ、忘れずに継承していくことの尊さを、本作は「二度目の死」というアイディアを導入して描こうと試みる。
「二度目の死」は残酷だ。ただの死以上に残酷さを感じさせる。通常の死が肉体の死だとすれば、二度目の死は精神の死と言える。だれも覚えていなかったとすれば、「自分は何のために生きてきたのか」と感じるだろう。記録や記憶を風化させないことは、あらゆる悲劇にとって大切なことだ。死者の日のような風習がメキシコにあるのは、自分という存在は自分だけで成り立っているのではなく、連綿と続く家族が自分をこの世界に生んでくれたのだということを忘れないためだ。
日本にもお盆という風習があるが、肉体が滅んだとしても、人の精神は何らかの形で残っていき、それが新たな未来の糧になることを忘れないためにこうした風習があるのだ。
本作のタイトルが『リメンバー・ミー』(私を覚えていて)であるのは、そのことを直接的に伝えている。音楽も、映画も、写真も、後世に何かを残すためだ。人は有史以来、何かを残そうとし続けてきた。生きた証を世界に刻んできたのだ。
忘れなければ、たとえ肉体が滅んでも心はつながっている。そのことを描くことで家族の絆も一層強固なものになっているから、この映画は感動的なのだ。夢を追いかけ、自分らしく生きる少年を応援し、家族も大切にしてゆく。伝統と新しい生き方は対立しない、むしろ、家族の歴史あっての自分らしい生き方があるのだと本作は謳っているのだ。(文:杉本穂高)
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