どんなにヒットし、どんなに長く続いたシリーズにも必ず「第1回」が存在する。長く続いたシリーズであればあるほど、紆余曲折を経て今の姿があるはず。
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今年の開催で18回目を迎える『M-1』は、「漫才に恩返しをしたい」という島田紳助さん(2011年に芸能界引退)の意思のもと創設された日本一の漫才師を決める漫才コンテスト。2011~2014年の中断を経て、毎年年末に生放送されている。優勝者には賞金1000万円が授与され、その日を境に文字通り芸人人生が変わる。今や年末の国民的行事へと成長しており、今年は史上最多の7261組がエントリーし、来週18日に決勝が放送される。そんな『M-1』の第1回大会はどうだったのか?
■ 何から何まで手探り状態!
第1回とあって、番組の段取りも、出場者も審査員もみな手探り状態だったのが興味深い。『M-1』といえば、のちには輝く大きな「M」の字が印象的な豪華な舞台セットがトレードマークだが、それに比べると第1回はお世辞にも豪華とは言えない灰色を基調とした地味なセットで繰り広げられた。
近年は「笑神籤(えみくじ)」というくじが用いられ、その場で出番が決まる『M-1』。出場者は自身のネタ披露まで控え室で待機する流れが定着しているが、第1回では出場者全員がまず壇上に呼ばれ、出番順のくじを引かされる。まだ若手のフットボールアワーやチュートリアル、デビューしたばかりのキングコングらが少し緊張した固い表情を浮かべて整列する姿がほほ笑ましい。
審査員も同様で、おっかなびっくりの審査だった模様。すでにこの当時、”笑いのカリスマ”の名をほしいままにしていた松本人志も、こうした賞レースの審査員を務めることはこの時がほぼ初めて。
当時は関西地区の視聴者でもなければ、視聴者にとって漫才を見る機会はお正月の特番ぐらい。お世辞にも漫才シーンが盛り上がっているとは言い難い状況だった。そんな状況の中、突如1000万円の賞金を懸けた大きなコンテストがゴールデンタイムの全国放送に誕生したのだから、無理もないのかもしれない。
そのほか、今では司会は今田耕司と上戸彩のコンビがおなじみだが、第1回の司会は紳助さんと共に人気ラジオDJの赤坂泰彦と”東大卒女優”として活躍していた菊川怜が担当。特に赤坂は、慣れないお笑い賞レースの司会ということもあってか、出場者の中川家を「石川家」、ハリガネロックを「アメリカンロック」と立て続けに言い間違え、会場で爆笑が起きるハプニングもあった。
■ 伝説の「おぎやはぎ9点」の衝撃
現行の『M-1』と第1回を比べてみて最も大きな違いは、審査方式だろう。第1回では一般審査票を導入。札幌、大阪、福岡の3拠点で各100人の一般審査員が大会を見守り、1人1票の100点満点で採点した。
会場の紳助さんら特別審査員7人の持ち点が各100点で計700点のため、一般審査票300点は3割を占めるバカにならない配分となる。この採点方式の一番の”被害者”は、おぎやはぎだろう。独特の間で繰り広げられる2人の漫才は、当時の一般視聴者には全く受け入れられず、札幌で22点、福岡で12点、大阪で一桁の9点とさんたんたる結果に。
また、第1回は優勝が決定するファイナルラウンドの方式も異なる。現在では1stラウンドの上位3組の三つ巴が定着したが、第1回は1位と2位の一騎打ち。さらに、審査員の投票方法も今のように左から1人ずつ投票した出場者名がめくられていくわけではなく、たったいまネタを披露したばかりの2組が見守る前で、審査員が1人ずつどちらが面白かったかをボタンを押していくというもの。少し気まずくもあるこの方式には、松本も「あ、押していくんですか!? キッツいなあ!」と声をあげていた。
■ 第1回は本当に殺伐としていたのか?
『M-1』に関してはよく「第1回の『M-1』は殺伐としていた」「松本ら審査員が怖かった」と回想をする人がいるが、少なくとも第1回に関しては見返してみると拍子抜けする。
それもそのはず、第1回には審査員がネタにコメントをする時間がもうけられていなかった。厳しくなりようがないのだ。ネタが終わると点数が発表され、順位が発表され、出場者が一言二言コメントを求められたあと、舞台袖へはけていくという淡白な段取りだった。のちにさまざまなドラマを生むことになる審査員コメントは第2回以降から始まる。コメントに関していえば、近年の大会の審査員の方がよっぽど厳しい。
松本に関しても、点数こそ50点台、60点台を連発してほかの審査員より厳しめだが、それは彼の漫才に対する要求水準が高かったからこそ。出場者に厳しい毒舌を投げかけるような瞬間はない。DonDokoDonのネタに、大阪の一般人票がわずか18点という厳しい点数をつけた際には「大阪の客、頭おかしいんちゃいますか?」と疑問を呈すなど、むしろ出場者をかばうような一幕もあった。
そのほかの審査員もみな、産声をあげたばかりの『M-1』というイベントが無事に終わるように、どこか優しく見守るような雰囲気があり、「第1回は審査員が厳しかった」というイメージは覆される。
下馬評通り、中川家の優勝で幕を閉じた『M-1』第1回。期待に応えられた中川家の礼二の目には涙が浮かび、審査員の面々にも、無事にコンテストが終わったことへの安堵(ど)の表情がみてとれる。コンテストによって競争が生まれ、競争が発展を生んだ。これ以降、『M-1』を中心にして漫才文化は飛躍的な進化をとげる。そういう意味で、『M-1』第1回の功績は計り知れない。