アートディレクター・映画ライターの高橋ヨシキによる連載〈高橋ヨシキの最狂映画列伝〉。第4回は、次々映し出される残酷描写とそのリアリティが世界に衝撃を与え、各国で上映禁止となるなど、現在もその内容が物議を醸し続ける問題作『食人族』(1980)を取り上げる。
【写真】世界各国で上映禁止! 『食人族4Kリマスター無修正完全版』場面写真
■バートン・ホームズの「トラヴェローグ」、その後の「モンド映画」の誕生
「ハリウッド・トイズ&コスチュームズ」はハリウッドのど真ん中、チャイニーズ・シアターの並びにある衣装やウィッグの専門店で、70年の歴史を持つ。その横には以前「ハリウッド・ブック&ポスター」という映画専門店があって、ありとあらゆる映画のポスター、スチル、シナリオ、書籍が揃っていた。「ハリウッド・ブック&ポスター」は、タランティーノやジョン・ランディスはじめ著名な映画人が多く訪れることでも知られており、「Pops(父ちゃん)」の愛称で知られたオーナーのエリック・カイディンはタランティーノが所有するニュー・ビヴァリー・シネマで行われる「グラインドハウス・フィルム・フェスティバル」の共同創設者でもあった。
そのすぐ目の前の道路にバートン・ホームズの「星」がある。「ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム」の星型プレートのことだ。
バートン・ホームズは19世紀末から20世紀前半にかけて活躍した探検家・写真家で、「トラヴェローグ」(「紀行者」あるいは「紀行映画」の意)という言葉は彼の造語だ。北米や南米はもとより、ヨーロッパ、ロシア、インド、ビルマ、エチオピア、フィリピン、それに日本、韓国……ホームズは精力的に各地を飛び回り、写真を撮り、映画カメラを回して動画も記録した。彼が見聞したあれこれについて語る、スライドや映画の上映を伴った講演会には長蛇の列が出来た。バートン・ホームズが撮影した明治・大正期の貴重な写真は日本でも1970年代に出版されている(『日本幻景―総天然色 バートン・ホームズ写真集』『日露戦争―カラー・ドキュメント/バートン・ホームズ写真集』ほか)。
「紀行映画」、あるいは「民族誌映画(Ethnographic films)」の嚆矢(こうし)といえば、一般にロバート・フラハティ監督『極北のナヌーク』(1922)(*1)ということになろうが、バートン・ホームズの一連の「トラベル・ピクチャーズ」あるいは「トラヴェローグ」も同様に、のちの「モンド映画」(*2)へと繋がる源流の一つである。
*1 カナダ北部に暮らすイヌイットの一家の生活を描いたサイレント映画。「ドキュメンタリー映画」の嚆矢とされるが、主人公一家が実際は家族ではないなど、演出された部分も数多い。とはいえ「ドキュメンタリー」の概念が時代によって大きく異なること、またどのような「ドキュメンタリー」であれ、そこには必ず一定の演出が介在していることは念頭に置く必要がある。
*2 センセーショナルでショッキングな映像が売りのドキュメンタリー(風)映画。見世物要素が高く「ヤラセ」も多いことで批判されたが、同時代性は高く記録映像としての価値もある。
*3 植民地主義。
■「トラヴェローグ」をエンタメに昇華した『キング・コング』の誕生
このような「トラヴェローグ」映画の興隆と、「初の長編ドキュメンタリー映画」こと『極北のナヌーク』の興行的成功はエンターテインメント映画の世界にも直接的な影響をもたらした。気鋭の映画製作者メリアン・C・クーパーとアーネスト・ショードサックはタイ北部に赴いて『チャング』(1927)という作品を作り、同作は「1928年最も話題を呼んだ映画」となった。『チャング』はさまざまな動物に囲まれたジャングルで生活するプリミティブな人々の姿をユーモアを交えて描いた半ドキュメンタリー作品だが、同作最大の見せ場は象の大集団が暴走する場面で、丸太で作った防護壁がいとも簡単に突き崩され、高床式の住居が成すすべもなく破壊される大スペクタクルが展開する。数年後、クーパーとショードサックは『チャング』の「トラヴェローグ」要素を映画史上最大のエンターテインメント映画に昇華させる。それが『キング・コング』(1933)である。
バートン・ホームズの映画から『極北のナヌーク』、『チャング』、『世界残酷物語』そして『食人族』へと至る潮流の特色は「映画製作」と「冒険」がイコールで結びついているところにある(『キング・コング』は「映画製作=冒険」という構図をメタ的に娯楽映画のプロットラインとして利用している)。エキゾチックで「野蛮」な世界を、どこまでもリアルに追体験させてくれるメディアとしての「映画」。事実、バートン・ホームズの講演会は「バーチャルな紀行体験」をもたらすエンターテインメントとして歓迎され消費され、その公演数は生涯で8000回を超す。
ルッジェロ・デオダート監督の食人族映画『カニバル/世界最後の人喰い族』(1976)と『食人族』は、ある意味民族誌学的(Ethnographic)ともいえるアプローチに特色がある。デオダートは『カニバル』の着想を幼い頃に「ナショナル・ジオグラフィック」誌のグラビアで見た、「ミンダナオ島の巨大な洞窟で暮らすカニバル部族の写真」から得たが(その洞窟をデオダートは探し当てて、実際にそこで『カニバル』の撮影を行った)、『食人族』の強烈なリアリズムが他の追随を許さないのも、「映画製作」がそのまま製作者たちにとっての「冒険」であったからこそである。アジアと南米の「食人族」が無造作に混同され、お約束のようにコブラ対マングース、あるいは蛇に食われる小猿のフッテージが使い回されるウンベルト・レンツィ(*4)の一連の「食人映画」と比べても『食人族』のリアリズムは突出している(レンツィの食人映画にはまた別の牧歌的な魅力がある、ということはあるにせよだ)。
*4 イタリアの映画監督。イタリアが70年代後半~80年代初期に量産した残酷映画の元祖的な作品を手掛けた。
■野蛮と残酷が熱狂的に迎えられた時代
だがここでもう一度『キング・コング』に立ち返ってみよう。『キング・コング』の主人公は映画監督で興行師でもあるカール・デナムだが、彼は現地の人々に「コング」と呼ばれる謎の生物を撮るために髑髏島へと向かう。デナムが実際にどのような映画を撮ろうとしていたのかは分からない。というのもデナムは最終的にコングを麻酔銃で眠らせてニューヨークへと持ち帰り、「地上第8の不思議」としてコングそのものを見世物として披露したからだ。
『食人族』の撮影隊はデナムと同様の命知らずで、「グリーン・インフェルノ(緑の地獄)」と呼ばれるジャングルの奥地に分け入り……そこで凶悪極まりないヤラセ映像を撮影する。デナムと異なり、『食人族』の撮影隊は原住民の反撃に出会って全員命を落とすことになるわけだが、彼らが残したフィルムの断片をモンロー博士が発見し、ニューヨークへと持ち帰ることに成功する。
なんという反転だろう! 『キング・コング』ではデナムが人跡未踏の髑髏島という「失われた世界」からコングという「野蛮の神」を「文明世界」へと持ち帰ったことでニューヨークにカタストロフがもたらされたわけだが、『食人族』では「文明人」が文明社会と隔絶したジャングルで行った「蛮行」の証拠たる映画フィルムがニューヨークへと持ち込まれる。デナムの「映画」は作られずじまいに終わり、その代わりに生きたコングが「見世物」に供された。『食人族』では問題のフィルムが廃棄処分されることが示唆されて映画が終わる。
それは『食人族』の撮影隊が文明社会の「モラル」を土足で踏みにじったからだけではない。『食人族』の撮影隊は馬鹿ではないのでエキゾチズムが「野蛮」をエンターテインメント化するものである、ということを十分すぎるほど分かっていた。彼らが原住民相手に目を覆わんばかりの蛮行に及ぶのは、それを「エキゾチズム」というパッケージにくるむことで、エンターテインメントとしての価値が上がると知っていたからだ。そこに傲岸不遜なコロニアリズムの発露が見られるのは当然として、映画というエンターテインメントにおいて「野蛮」がエクスプロイト(搾取)され続けてきたことを我々は既に知っているわけで、だとすれば『食人族』撮影隊の凶行は観客の喉元に突きつけられた刃でもある。
このたび4K版でリバイバル上映が決定した『食人族』のパンフに江戸木純氏も書いておられるように、「『食人族』は/サバイバル・ホラーに分類される劇映画」なのだが「当時、日本のバイヤーが求めていたのは劇映画ではなく、人や動物がたくさん殺される残酷シーン満載のショック・ドキュメンタリーだった」。ミラノの映画見本市で『食人族』の部分的な試写が行われると(本編はまだコロンビアで撮影中だった)「世界中のバイヤーたち(特に日本を含むアジア)が騒然となり、争奪戦が繰り広げられて権利料が高騰したので」プロデューサーから現場に「人も動物も、もっとどんどん殺せ!」と指示が飛んだというのである。
『食人族』の撮影クルーの紅一点は「フェイ(Faye)」という。綴りは異なるが、『キング・コング』のヒロイン、アン・ダロウを演じたのは元祖スクリーミング・クイーンとしてその名を轟かせる「フェイ・レイ(Fay Wray)」。2017年の『キング・コング:髑髏島の巨神』には人間が串刺しになる『食人族』オマージュの場面も登場した(これは監督ジョーダン・ヴォート=ロバーツも認めている)。「野蛮」を「エンターテインメント化」する潮流は、今なお流れる映画史の地下水脈なのである。
映画『食人族4Kリマスター無修正完全版』は、5月5日より全国公開。R18+。
<高橋ヨシキ>1969年生まれ。早稲田大学第一文学部中退・復学のち除籍。雑誌、テレビ、ラジオ、インターネットなどメディアを横断して映画評論活動を展開。著書に、『悪魔が憐れむ歌』(洋泉社)シリーズ、『高橋ヨシキのシネマストリップ』(スモール出版)シリーズ、『暗黒ディズニー入門』(コア新書)、『高橋ヨシキのサタニック人生相談』(スモール出版)など。映画『激怒』(2022年)で長編監督デビュー。