現在メディアで活躍する芸能人、有名人の中には、若い頃になんらかの理由で多額の借金を抱えて苦労した人も少なくない。今回は、過去に多額の借金を抱えたが、努力の末に完済した面々にクローズアップした。



【写真】かつて億単位の借金を背負った日本を代表する俳優

阿部寛

 今や日本を代表する俳優に登りつめた阿部寛も、実は過去に巨額の借金を背負い完済している。80年代にファッション誌「メンズノンノ」(集英社)のモデルとして活躍した阿部は、1987年に俳優デビュー。しかしその矢先、バブル崩壊で不動産投資に失敗し、億単位の借金を背負ってしまう。仕事も減った時期でピンチだったが、「まだ、チャンスはある」と切り替えた阿部は、その後は仕事を選ばずにがむしゃらに働き、約20年かけて完済したという。

坂上忍

 家族の作った借金を返済しなければならなくなった人もいる。俳優で、近年では『バイキング』(フジテレビ系)の司会者として、8年にわたり同局のお昼の顔を務めてきた坂上忍。かつてテレビ番組で、父親が事業で作った借金を自ら返済したエピソードを披露している。父親は、坂上が15歳の頃に借金1億円を残して失踪。その後に両親は離婚したが、坂上は父親の借金を働いて自ら返済したという。そうした遺恨もあり、坂上は以後父親と再会しなかったそうで、亡くなった際にも葬式に出なかったと明かしている。

さだまさし

 ヒット曲「関白宣言」などで知られるシンガーソングライター・さだまさしは、28歳の時にドキュメンタリー映画『長江』の監督に挑戦。作品は5億円以上の興収を稼ぎ出したが、制作費がかかりすぎたためさだが総額35億円の借金を1人で抱えてしまうことに。
自己破産を勧められるも返済を決意したさだは、年間100回を超えるペースでコンサートを開催。多いときには1年で日本を2周したこともあったという。映画公開から約30年経った2010年、借金を完済したと明かしている。

“借金グセ”治らず相方から「解散通告」受けたお笑い芸人も

ウド鈴木

 お笑いコンビ、キャイ~ンのウド鈴木も、若いころに借金地獄にあえいでいた1人。芸人デビュー後、キャバクラ通いにハマってしまったウドが消費者金融にした借金額は最大で800万円。払えずに所属事務所に肩代わりしてもらい、二度と借金しないと約束したにも関わらず1年後にはまた借金を作っていたウドに相方・天野ひろゆきが激怒。「今度、もし借金したらコンビ解散だ!」と通告され、「本当に困った時はオレに言え」と告げられ、その通り天野に借りていた時期もあったという。

林修

 「いつやるか? 今でしょ!」のフレーズでおなじみの予備校講師・林修も、かつて多額の借金を背負っていたことをテレビ番組で明かしている。東大卒業後、大手銀行に就職するも「ここは潰れる」と直感し、わずか5ヵ月で退職した林。その後、さまざまなビジネスに手を出すも軒並み失敗し、借金が2000万円にまで膨れあがってしまったが、予備校講師として働き始めると人気講師となり、40歳ごろに完済。借金を抱えていたころも「負ける確率が非常に高いチャレンジ」に実験的に挑んでいた意識があったため「焦りは一度もなかった」というのは、いつも冷静な林らしいコメントだ。

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