竹野内豊と山田孝之がダブル主演を務め、現在公開中の映画『唄う六人の女』。本作でメガホンをとるのが、マネキン主演ドラマ『オー!マイキー』や、山田孝之主演『ミロクローゼ』などで注目を集めた石橋義正監督だ。

10年ぶりの最新作となる本作でもその独特な世界観を遺憾なく発揮した石橋監督に、作品に込めた思いを聞いた。

【写真】竹野内豊、水川あさみとディスカッションする石橋義正監督

◆映画公開で終わることなく、芦生の森と関わり続ける

 父の遺した山林を整理するため、40年ぶりに故郷に戻った男が、予期せぬ事故に遭い、奥深い山の中で謎多き6人の女性たちに助けられ、軟禁される。果たして女たちの目的は? 男は山で何を目撃するのか。
 
 石橋義正監督の『唄う六人の女』は、勅使河原宏の傑作『砂の女』、あるいは市川崑の『黒い十人の女』のように、ミステリアスな女性に軟禁される男という物語から始まるが、話が進むに連れ、ダンスパフォーマンス、サスペンス、ホラー、アクション活劇といった様々な要素が入り込み、最終的には人類と森の関係性とは何かという壮大な題材に行き着く。それだけに撮影地となる森は、主人公の萱島を演じる竹野内豊の言葉を借りると「石橋監督の厳しい目で、こだわり抜いた場所」。そこが京都府南丹市にある芦生研究林である。京都大学フィールド科学研究センターが管理している日本でも有数の原生林を擁する場所だ。
 
 去る9月、撮影に協力した自然保護団体、芦生タカラの森の主催でトチの木の植樹に石橋監督と、劇中の“見つめる女”を演じた桃果が参加した。当日は南丹市の西村良平市長や、芦生の森の保全活動をしている森林組合、芦生タカラの森に所属するメンバーやその家族、地域の子どもたちが参加。秋晴れの中、劇中に登場するトチの大木にちなみ、10本のトチの木が植林された。

 前日には、山田孝之、キャストとともに地域の人向けのプレミア上映会「ONE NANTAN CINEMA FESTA」がるり渓高原で開催され、両日とも参加した小・中学生も。感想を聞くと「自分たちが守っている森が映画にでてきて嬉しかったし、また、森を守るという題材の映画で使われると嬉しいと思った」「今年は芦生の森はトチの実が豊作で、収穫するのにすごく大変だったけど、今日植えたトチの木もいつかそうなればいいな」と頼もしい言葉が戻ってきた。
トチの名は十と千に由来がある実りのある木だが、生育がゆっくりで、花を咲かせるまでに30年以上かかるという。石橋監督は単に制作場所として利用したというだけでなく、教鞭をとる京都市立芸術大学の研究室を通して、今後も芦生の森との関係性を築き、人と自然の共生を、映画やアートを通して考えていくという。眼差しの長いプロジェクトについてインタビューをした。

――『唄う六人の女』を南丹市の京都大学フィールド科学教育研究センターの芦生研究林で撮影した経緯と、本日の植樹の活動に参加した経緯を教えてください。

石橋:京都大学フィールド科学教育研究センターの石原林長に撮影許可をお願いしたとき、今回は映画の興行という形で公開するんですが、この映画だけで終わるのではなく、今後の自分自身の活動として関わらせていただけないかとお願いしました。撮影に際しては、森の中に入るスタッフと機材は最小限にして、カメラを回すときにスモークなどは焚かない、そして、環境を破壊しないようにガイドをつけてほしいなど様々な条件が付きました。そのとき、芦生タカラの森の代表である鹿取悦子さんを紹介していただきました。

人物パートを撮り終えてから、一日、鹿取さんのガイドで森の実景を撮影させてもらったんですけど、そのとき、鹿取さんから次世代に森を引き継ぐ活動について伺う時間があり、それをきっかけに今回のトチの木の植樹の活動に参加することになりました。私は京都市立芸術大学で映像関係の研究室を持っていて、今年は自然と芸術とテクノロジーという題材に学生と取り組んでいるのですが、今後も芦生の森と関わりを持ち、芸術的な側面から何らかの取り組みができればと考えています。

――2010年代から近年、山や森を題材にする若い世代の映画人が増えてきている印象を受けている中、石橋義正監督の『唄う六人の女』が真打ちのように登場したと感じています。具体的には、沖田修一の『キツツキと雨』(2012)、鶴岡慧子の『過ぐる日のやまねこ』(2014)、菊地健雄の『ディアーディアー』(2015)、金子雅和の『アルビノの木』(2016)、『リング・ワンダリング』(2022)、甫木元空の『はるねこ』(2016)、速水萌巴の『クシナ』(2018)、河瀬直美『VISON』(2018)、福永壮志の『山女』(2023)など。配信系のドラマでいうと『ガンニバル』のような村のドラマも人気です。
この流れをどう感じてられますか?


石橋:確かに多いなと僕も驚いているんですけど、『唄う六人の女』は他の作品とは若干切り口が違うかなと感じています。それは、本作は人を描こうとしているわけではない。この映画が主題とするのは、本来人が持っていた自然に対する感覚そのものなんです。村を描く作品というのは、やはりその共同体をなす人を描いていることですよね。僕が目指したのは、自然に鋭敏な感覚を持っていれば、自然豊かな山の地面の中にわざわざ人工物を埋めようとは思わないし、未来に対してどうなるのかわからないようなことをしないだろうと思う。特に、未来への眼差しを強くもっていて自然と触れるという感覚を取り戻す、それがこの映画で目指したことです。

◆人間が想像力を働かせて聞こうとすると虫や植物の声も聞こえてくる

――ストーリーの構築や、撮影場所となる森探しにかなりお時間をかけたと聞いています。

石橋:物語を作るのに3年半程かかりました。リサーチの過程で参考になったのが、『地球で最も安全な場所を探して』というドキュメンタリーです。原子力発電推進派の核物理学者が、原発反対派の映画監督と、毎年増え続ける高レベル核廃棄物の処理場として相応しい、人類や環境に害を及ぼさない安全な場所を探すというもの。その中で色んな国の人にインタビューをしているのですが、アメリカ、ワシントン州に暮らすネイティブアメリカンのヤカマ族の人の言葉がとても胸を打ちました。核廃棄物を処理するための土地として、先祖から引き継いできた場所を提供することは、悪魔に魂を売る行為だというようなことを彼は言います。
自分たちの世代が決断したこの行為が、未来に生きるものにとって良いはずがないという感覚は、日本人も普通に持っているんじゃないかと思います。

――石橋監督自身が、森の荒廃に気付くようになったきっかけはありますか?

石橋:トレッキングで山に入るようになったことは間接的には関係しているかも知れませんが、直接的に森に入って危機感を抱いたということではなく、元々、日本人の価値観には自然と密接に通じ合うものがあるという根底から出た題材だと思います。実家が京友禅を手掛けていることもあって、意匠を通じて、日本人の美意識は自然から作られていることは、幼い頃から教わってきました。そして目に見えない身の周りに様々な生命が宿っているという感覚は常にあり、それはみんなも持っていることだと思っています。この映画がそのような感覚を取り戻してもらうひとつのきっかけになればと思います。

――映画の中で、水川あさみさん、アオイヤマダさん、服部樹咲さん、萩原みのりさん、桃果さん、武田玲奈さんたちが演じる六人の女たちは、人間に直接語りかけることのできない精霊のような存在なのか、それともある特定の人間だけが見ること、感じることができるものなのか、観客に委ねられていますが、それぞれのモチーフはどういう基準で選ばれたのでしょうか?

石橋:自然界を全ては網羅できないですが、生態系を6種類に分けて、その象徴たるものを六人の女たちのモチーフとして選んでいます。映画の中に芦生の森で撮影したカツラやトチの大木が出てきますが、彼女たちとその大木が繋がっているような形を想定していて、この地球の生命のサークルを象徴的に6という数字に込めています。

――竹野内豊さんを、主人公の萱島に選んだ理由は?

石橋:萱島は都会で成功しているコマーシャルフォトグラファーという設定で、そこが竹野内さんのイメージに合うところに加え、ユーモラスな部分や軽妙さの表現もさらりとこなせる方だと思います。オファーする前から、私の制作活動に興味を持っていただいていたそうで、お声をかけさせていただいたとき、『自分が出演してもいいんですか?』ととても真剣にこの企画を受け止めてくださったんですね。いろんなことに興味持ってくださっている方で、会話をしていても、シンパシーがあう気がして、話が進みました。

――地域の山の開発を狙っている宇和島役には、石橋監督の前作『ミロクローゼ』で主演を演じた山田孝之さんが演じていらっしゃいます。今回はプロデュースも兼ねていますが、石橋監督にとってどういう存在ですか?

石橋:山田さんは『ミロクローゼ』のときもそうだったのですが、彼であれば間違いないと思っていました。
非常に身体能力の長けた方。『唄う六人の女』はファンタジーで、リアリティを持たせるのは難しい部分もあり、役者の説得力が必要でした。そこは山田さんの胸を借りようと。また台本を仕上げていく中で、アクションがいくつか重要になってきたのですが、実際の撮影現場では山田さんが相手役の女優陣にアクション指導をしてくれ、相手役の良さを引き出すような動きを演じてくれたり、本当に素晴らしい役者だと改めて思いました。さらに今回は、共同プロデューサーとしても活躍してくださった。コロナ禍や資金集めで一時、ストップしかけた時期もありましたが、制作が再びスタートしたのは山田さんのおかげで、今回、いろんなコラボができたのも彼の力が大きいです。

――萱島と宇和島は、当初は共同関係にありますが、次第に対立の関係になっていきます。

石橋:この物語は、萱島と宇和島という二人の男が森に囚われるという側面よりも、萱島と宇和島は人間の二面性を体現していて、どちらの性質も人間が併せ持つものです。二人は人が入れないような森の奥深い部分に入ってしまい、最初は二人で森からでていこうとして共闘しますが、最終的には決別をするに到る。でも最後の最後はやっぱり一緒なんですね。

 このエンディングをどう持っていくかはかなり悩みました。最初に台本を書いたときには、もっと批判的な終わり方にしていたんです。
でもそれだと説教くさくなって逆に言いたいことがちゃんと伝わらないのではないかとあらため、自分たちの考えや行動で未来は変えられると、希望を持てるエンディングに変えました。

本作はタイトルに「唄う」と入っていますが、映画の中で六人の女たちは唄うどころか声も出さない。私達人間は、虫や植物の声は聞こえないですが、人間が想像力を働かせて聞こうとすると、聞こえてくるんじゃないか。そのメッセージを映画の本編、そしてエンディングに込めました。
 
(取材・文:金原由佳)

 映画『唄う六人の女』は全国公開中。

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