『魔女の宅急便』の作者として知られる、児童文学作家・角野栄子の日常に4年にわたって密着したNHK Eテレのドキュメンタリーを新たに撮影し再編集した『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』が、1月26日より公開される。鎌倉の自宅では自分で選んだ「いちご色」の壁や本棚に囲まれ、カラフルなファッションと個性的なメガネを身に着ける、89歳の「自由人」。
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◆オシャレの秘訣は「あまり人を気にしない」「自分の着たいものを着る」
――映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』はご覧になりましたか。
角野:はい。カメラマンさんにも、あんまりリアルに撮らないでと言ったんですよ(笑)。でも、全部丸見えでね、うちの中がどうなっているか全部わかっちゃったわね(笑)。もともとEテレの番組(2020年)への出演を受けることにしたのは、文学館(魔法の文学館)ができる計画があったから。その宣伝になるかなとか、私の本の読者が増えるのは良いことだなと思って、お受けしたんです。でも、やってみたら「意外とやばい」と(笑)。やっぱりテレビって大変ですね。だって、写真はパチパチで終わりでしょ。
――『魔女の宅急便』シリーズや、『スパゲッティがたべたいよう』『ハンバーグつくろうよ』や、「小さなおばけのアッチ・コッチ・ソッチ」シリーズなどを親子で読んだという方も多いかと思います。
角野:私が作家になったのが1970年(『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』)で、あれから50年以上、本も250冊以上出ているんですよね。いまだにお子さんも読んでくださるから、親子で読んでいる方もいれば、こうして取材に来られる方が子どもの頃に読んでいたと言ってくださることもたくさんあります。私の本にはお料理がたくさん出てくるけど、実際に作れないものは書かなかった。お母さんと一緒に作ってみたいとお子さんが言ったとき、「これはお話の中のものだから、実際にはないのよ」と言わなきゃいけないものは、書きたくなかったから。大まかだけど、分量ぐらいは書いて、実際に作れるようにしました。読者の方の中には、海外でシェフになられた方が、日本でレストランを出されているんですけど、「子どもの時、お母さんと一緒に角野さんの本を読んでハンバーグを作って食べたのがすごく美味しくて、それが原点だった」とおっしゃってました。
――映画でまず目を奪われるのが、物語から飛び出してきたような角野さんのカラフルなファッションです。オシャレの秘訣はどんなことでしょうか。
角野:あんまり人を気にしないということはあると思います。
――赤がすごくお似合いですが、それもお嬢さんのお勧めですか。
角野:以前から赤は好きで着ていたんですけど、魔女シリーズを書くようになってから、黒ばかり着ていた時期もあったんです。それで、赤い洋服を着ていったとき、絵描きさんから「よくお似合いですね」と言われて、娘の勧めもあったのかもしれないけど、その頃から赤い服を着るようになりました。
どうしても黒い髪の毛のほうが身に着ける色が制限されるような気がします。その点、髪が白くなると、赤を着てもピンク着ても良いんですよ。そういう年齢になったの。だから、もう変なおばさんだと思われても良いから、自分の着たいものを着るようになりました。
――年齢を重ねて、楽しみが広がったわけですね。
角野:皆さんも、洋服の色と合わせて靴下から始めたら良いんじゃないですか。私も娘に言われて靴下を履くようになったんです。夏は冷房があるから、靴下を履くとあったかいし、冬は足首があったかいと寒さがふせげるしとっても便利ですよ。今はいろんな色の靴下を売っているし、失敗してもあまり金額的にも痛くないし、足元だと試しやすいんですね。私も靴下を履くようになってから、毎日がちょっと楽しいです。だから、面白い靴下を見つけると買ってしまうんですよ。
――自由な生き方の一方で、毎日起きる時間や仕事を始める時間など、かなりきっちりされているのが意外でした。
角野:自分が弱いから、一度崩れたら、どんどん崩れちゃう。だから、時間をしっかり決めているの。私は仕事が好きだけど、ズルズルすれば、いくらでもズルズルできる仕事ですよね。
夜は本を読んだり、テレビを視たり、絵を描いたり、そんな時間も大切です。私はテレビを視ながら絵をよく描くんですよ。テレビに出てきた人を描くこともあるし。私が描くのは、変なものなのよ。私のスキルではまともに人間なんて描けないから、ちょっとおかしな人を描いてみたりして、それを見て自分で面白いなと思っています。
――絵を描くことと、文章とは、また別の時間なんですね。
角野:絵は描きたくなったら描くだけだから。
◆私が書いたんじゃなくて、主人公が要求してくる
――角野さんの文章には声に出して読みたくなるリズムがありますが、映画にも音読されている姿が登場していましたね。
角野:私は書き終わると必ず音読します。小さい時もそうやって読んでいたし、読んでくださるお子さんもきっと声を出して読むと思うんですよ。私の気持ちや体のリズムは、声を出せば自ずと出てくるわけでしょ。私の呼吸みたいなものが伝わればいいなと思って、音読しますし、音読した方が読んでいても楽しい気持ちになると思うんですよ。
――今日はやりたくないと思うときや、何も浮かばないときはありませんか。
角野:誰かに何か返事を書かなきゃいけないとか、他にもやらなくちゃならないことがいっぱいあるわけ。そういうときは、ものすごくイライラするの(笑)。でも、自分の仕事をしているときは、すっごく安定しているの。
もちろん書けないときもありますよ。そういうときは、コーヒーを飲みにいくとか、書く以外のことをするけど、あくる日になればたいてい書ける。まっすぐ書こうと思っていたのを、ちょっと曲げてみようかなとか、そういう自由が戻ってくるわけ。うまくいかないと思っても、一晩寝ると、 別にうまくいかなくたっていいんじゃない、ちょっと右に曲がってみても面白いかもしれないという気分になる。そうすると、違う人と出会うとか、いろいろ浮かんできて、書いているうちにどんどん面白くなっていくんです。私が書いたんじゃなくて、主人公が要求してくるわけよ。「もっと面白いことやりたいな」みたいに。
――ご自身を離れて主人公が動き出すように感じたのはいつ頃からですか。
角野:『魔女の宅急便』からかな。短編のお話が雑誌から依頼があったの。そのときに私は、長編連載したいと言ったのね。新人だったし、雑誌で長編連載なんていうのは、名だたる方たちがお書きになるものなのに、私はそんなことを全然知らないから、言ってみたら、検討なさったのでしょうね。やらせてもらえることになって。そのとき、思い出したのが、私の娘が12歳くらいの頃に描いた、ラジオを聞きながら空を飛んでいる魔女の絵だったの。
それと、私が大学生の頃、アメリカ大使館の図書館で『LIFE』という写真週刊誌に載っていた「鳥の目の高さから見たニューヨークの風景写真」というモノクロ写真を見て、それがすごく綺麗で、ずっと自分の中にあったことと結びついて。鳥の目で街を見てみたいという思いから「この物語を書けば私は飛べる」と思った。
でも、まず名前を決めなくちゃいけない。黒猫のジジは意外と早く決まったんだけど、主人公はピッタリくる名前がなかなか見つからない。名前が決まらないと、人格を持たないの。そこから、キキと決まったときに、私のそばにキキの像が立つのね。それで、主人公が空をほうきで飛んで、上から街を見ながらいろんなことを発見していく、そういう魔女を書いてみたいなと。一緒に飛ばないと書けないな、飛べたら面白いなと思ったんですよ。もちろん実際に飛べるわけではないけど、飛んだつもりにならなきゃ書けないでしょう。
◆ひとりひとりが自分の言葉を持つことの大切さを実感
――豊かな想像力や発想、生き方に憧れますが、専業主婦の頃の息苦しさや、ブラジルでの後悔の日々、戦争など、苦しい時代を乗り越えての自由なのだと、映画を拝見して感じました。
角野:戦争時代には、1つの言葉ぐらいしか目指すことがなかったの。「日本には神風が吹く」と大人も子どももみんな信じていたのね。今考えると、なぜ信じたのかと思うんだけど、洗脳というのは恐ろしいもので、みんなそう思ったわけでしょ。それが、戦争終わって徐々に、自由と共にアメリカの進駐軍の放送でジャズが流れてきて、外来の文化が入ってきた。自分で考えられる世界、自由が広がっていく様子を見て、これだけは絶対に手放したくないなと切実に思いましたね。
――今、世界のあちこちで戦争が起きていて、特に若い世代は豊かな時代を知らず、閉塞感の中に生きています。
角野:ひとりひとりが自分の言葉を持たなくちゃいけないと、私は思う。そうしないと、気づいたら全然違う世界になってしまうことがあるから。戦争の時がそうでした。毎日潤沢におやつがあって、いくらでも食べられる状態が、ある時期から母が半紙にお煎餅や飴2つを包んで、子どもに渡すようになった。十分に食べられなかったけど、それでも子どもはおやつをもらうと、世の中の変化なんて何も考えずに、うれしく食べるじゃない? チョコレート1つ買ってきたら、分けて食べるとか、卵もたまに手に入ったら、1個を分けるわけよ。でも、卵を分けるのは難しいけどね。当時の子どもたちが感じた戦争はそんなものだった。気づいたら何もなくて、疎開と言われたり、子どもも防空演習とかバケツリレーとかに借り出されたの。
――昔の話のようで、今そうならないとは言い切れない恐怖もあります。
角野:本当にそう。焼け跡ってね、ガザやウクライナで今起こっていることと同じで、本当に何にもなくなっちゃうの。とても難しいことだけれども、これはおかしいんじゃないかとか、これはどうかと思えるためには、やっぱりひとりひとりが自分の言葉を持たないと。私はブラジルに行ったときに、就職する際に「自分のできることは隠さずちゃんと言いなさい」と言われました。日本人は謙遜しがちですが、「これはできるけど、これはそれほどでもない」とちゃんと言えないとダメだと言われたんですね。
隣の人を見て同じようなことをして、みんなで決めましょうというのは楽かもしれない。でも、自分の言葉を持たないとね。日本人は本来農耕民族だから、隣のやり方に合わせようというところがあるけど、右見て左見て自分の意見を決めるような生き方は、これからのグローバルな世の中では通用しなくなる気がします。自分の言葉をちゃんと持って、そこから生まれる自分のきもちを、きちんと喋らないと、気づいたときには違う時代・違う社会になってしまっているかもしれませんよ。
(取材・文:田幸和歌子 写真:松林満美)
映画『カラフルな魔女~角野栄子の物語が生まれる暮らし~』は1月26日公開。