“最終決戦”へと突き進む『鬼滅の刃』。炭治郎や柱たちに加え、善逸と伊之助もまた、鬼の根城・無限城での戦いへと身を投じていく──。

我妻善逸役の下野紘と、嘴平伊之助役の松岡禎丞が語るのは、作品への想い、キャラクターの成長、そして心を震わせる死闘の記憶。熱く、真っ直ぐに交差する“魂のぶつかり合い”の舞台裏を、いま紐解く。

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■善逸と伊之助、それぞれの覚悟を胸に挑む“最終決戦”

――脚本や映像をご覧になったとき、最初にどんな想いが湧きましたか?

下野:キャスト陣にもかなり早い段階でお話をいただいていたので、ある程度は内容を把握していました。ですが、改めて台本を読みながら原作も振り返っていく中で、膨らませて描かれているシーンに驚くこともあって。原作に忠実でありながら、新たな視点や深みが加わっていて、ファンとしても胸が高鳴りました。

映像はufotableさんの本気度というか、すべてを込めているという気迫がひしひしと感じられました。細部まで魂が込められていて、まさに“決戦”にふさわしい舞台が、いまここに広がっていると実感しました。

松岡:まさに『鬼滅の刃』という作品の魅力を余すことなく、ひとつの形に結実させた印象です。「これが『鬼滅の刃』だ」と、胸を張って言えるような、そんな仕上がりだと思います。

構成の巧みさも、映像美も、すべてが圧倒的で……ある意味、“パーフェクト”と呼んでしまってもいいのではないかとさえ感じました。人間はここまで到達できるものなのだなと、思わずゾクッとするくらいです。

あまりにすごすぎて、そして皆さんが本気で取り組まれていて……まさに“鬼がかっている”。
そう言いたくなるほど、凄まじい熱量を感じました。

――「無限城編」では、“柱”だけでなく善逸・伊之助たちや鬼殺隊すべてにとっての大きな戦い、いわば総力戦となりますが、それぞれの役が背負っているものについて、どのように感じていますか?

下野:これまでの戦いと比べても、「無限城編」で善逸が背負っているものの重みは、格段に大きくなっていると感じます。特に「柱稽古編」の終盤から、彼の中に、これまでとは違う覚悟が芽生えていたように思います。その覚悟を胸に、彼は無限城に足を踏み入れた。これは想いを背負った“戦い”なのだと、演じながら強く感じました。

松岡:テレビシリーズから続く流れの中で、伊之助はやっぱり“強いヤツと戦う”という衝動に突き動かされています。それは彼の本能的な生き方というか、変わらない芯のようなものだと思っています。

どれだけ強敵が現れても、「全部俺がぶっ倒してやる!」と真っ直ぐに突き進んでいく。その姿勢が伊之助らしいですし、演じていてとても頼もしく、誇らしいです。だからこそ、これからどんな戦いが待っているのか、僕自身も本当に楽しみです。

■許せない相手、譲れない想い──魂のぶつかり合いが生んだもの

――善逸と獪岳、ふたりの関係性についてどのように感じましたか?

下野:原作で初めて読んだときは、正直、獪岳に対して「嫌なヤツだな」という印象しかありませんでした。ですが、今回改めてアニメで演じてみて、彼の背景や善逸との関係性を深く掘り下げていくうちに、少しずつ見方が変わっていきました。


善逸は獪岳のことを心の底から憎んでいる。それは当然のことなのですが、それだけではない、どこかで「一緒に違う未来を歩めたのではないか」と思ってしまうような、切なさも感じるようになって。獪岳も獪岳なりに、決して努力をしてこなかったわけではない。けれど、その方向や想いが、ほんの少し違う方向に向いてしまったがゆえにこうなってしまった。

そんなことを考えながら演じていたら、ふと、「なんだかかわいそうなヤツだな」と思いました。善逸との対峙は、そのすべてがぶつかり合う瞬間でもあるので、ぜひ注目して観ていただきたいです。

松岡:今回の善逸は、本当に“寝てない”ですよね。それくらいの覚悟をもって、獪岳との戦いに臨んでいる。その姿勢を見たとき、「ああ、善逸は本当に成長したんだな」と、ぐっときました。

正直に言えば、僕は獪岳のことが大嫌いです。でも同時に、追い詰められた人間が辿り着いてしまう場所は、もしかしたら彼のような姿なのかもしれない、とも思ったりしました。

自分は一生懸命やってきたつもりなのに、どうしても越えられない“差”。
その苦しみや焦りに吞み込まれて、心が折れてしまったのかなと。

表面上の“強さ”を装っていた彼の中に、実はとても弱い心が隠れていた。そのギャップがあまりにも大きくて、下野さんと同じく、やはり僕も、どこかで“哀れみ”のような感情を抱いてしまいました。

他人をかわいそうだなんて思うのは、おこがましいかもしれません。でも、それでも……やはり獪岳というキャラクターには、哀しみを感じずにはいられませんでした。

――冨岡・炭治郎VS猗窩座、しのぶVS童磨も、まさに“宿命”がぶつかり合う戦いでした。そうした死闘を見届けて、どんな想いが胸に残りましたか?

下野:今回の第一章で描かれている三つの戦いは、それぞれが言葉では言い尽くせない重みと意味が込められている。だからこそ、見終えたあとには胸に残る余韻もある。本当に、深くて濃密な戦いばかりだなと感じました。

松岡:本当にそうですね。あとは今回、猗窩座の過去も描かれましたが、彼の苦しみや怒りには、心の底から共感してしまう部分がありました。

■炭治郎・善逸・伊之助が築いた“家族”のような絆

――炭治郎・善逸・伊之助の関係性について、今あらためて感じることは?

下野:善逸にとって、炭治郎や伊之助はもう友達や親友という枠を超えた存在なのではないかなと思います。
「刀鍛冶の里編」で善逸が登場するシーンでは、他の隊士たちと一緒に任務に行くのを、「嫌だ、行きたくない!」と騒ぎながらも、口にするのは炭治郎、伊之助、そして禰豆子ちゃん(「禰」は「ネ+爾」が正式表記)の名前でした。彼らと一緒にいることが善逸の中で“当たり前”になっているのだと感じて。

その絆はもう、家族や兄弟に近いのかなと思うんです。炭治郎と伊之助には、善逸なりの信頼や愛情がしっかり根付いているのだなと。

善逸は、ふたりに対して本当に遠慮がないですよね。ツッコミを入れたり、わーわー騒いだり、ときにはケンカみたいになることもありますが、それはつまり“心から安心している証拠”なんじゃないかと思うんです。気を使わず、素の自分でいられる関係は、実はすごく貴重で、そう簡単には築けないものです。だからこそ、彼らの絆は本当にあたたかくて、強いのだなと、あらためて思います。

松岡:そうですね。僕も炭治郎の“お兄ちゃん力”は、すごく大きいものだったのではないかなと思います。ただ優しいだけではない。叱るときは叱るし、見守るときはそっと寄り添う。
まるで親のような存在でもあります。

そんな炭治郎のあたたかさに触れることで、伊之助もどんどん変わっていった。野生児だった彼が、少しずつ人の心を学び、成長していく姿は本当に感慨深いものがあります。

ただ面白いのが、炭治郎は実は知らないことも多くて。そんなときに頼りになるのが善逸で。意外と博識なんですよね。

下野:そうそう。印象的には炭治郎が一番しっかりしてそうなのですが、伊之助と同じく山育ちだからか、知らないことが案外多くて。

松岡:汽車を初めて見たときも、伊之助が「この土地のヌシ」とか言い出して、炭治郎も「守り神かもしれないだろう」と。その言動に対して、善逸がツッコミを入れる構図も、すごく面白くて好きです。

そんなやり取りも含めて、僕の中で炭治郎たち三人はもう“家族”のような存在だと思っています。生まれも育ちも違う。
ですが、互いを受け入れ、支え合い、信じ合っている。その姿は、まさに“絆”そのものだなと感じています。

(取材・文・写真:吉野庫之介)

 『劇場版「鬼滅の刃」無限城編 第一章 猗窩座再来』は、全国公開中。

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