映画『ゆきてかへらぬ』、向田邦子作品のリメイクとなるNetflixシリーズ『阿修羅のごとく』と、今年に入って立て続けに”時代モノ”の作品に出演してきた広瀬すず。現代的な華やかさと絶対的”王道”感のある彼女が、こんなにも時代モノにフィットするのか……と新鮮に感じた人も多いはずだ。
【写真】広瀬すず、はんなり浴衣姿が美しい 撮り下ろしフォト(10点)
■被爆した女性への寄り添い方に、心がグッとなる感覚
―― 台本を初めて読んだときの印象について、「ホラーのよう」とおっしゃっていましたが、どのあたりに感じられたのでしょう。
広瀬すず(以下、広瀬): 終始漂う不穏さですね。特に二階堂(ふみ)さんが演じる佐知子という女性の存在や、セリフのやりとりが独特で、噛み合っているようで噛み合っていないリズム感があって。そわそわするような、ふわふわした感覚に陥ってしまい、「これは何が正解なんだろう」と。
さらに、撮影から時間が経つ今、改めて向き合ってみて、人それぞれに答えがある作品だと感じています。演じる側としては(作品・役柄の)確信的な答えが欲しかったんですが、結局掴(つか)むことができないまま終わりました。でも今思うと、それが正解だったような気がします。
―― 1950年代の長崎で生きる悦子を演じる上で、どのような思いを込めましたか?
広瀬:50年代の悦子さんは、戦争の傷や痛み、怒りを抱えながらも、未来に向かって希望に満ち溢れている女性だと思いました。新しい命を宿している中で、前に進むという選択をした女性として演じました。
でも、悦子さんにとっての戦争は、時間が経つほど、その傷が大きな穴のように広がっていく、体の一部に滲んでいくような体験だったのかなと。ところどころで記憶が分裂しているかのように見えるのも、嫌なことを忘れようとする症状の一つだと思います。その痛みは1980年代の吉田羊さんが演じられた悦子さんしか感じられない痛みで、別人のように見えました。被爆した女性への寄り添い方がこれまで関わった作品・観てきた作品とは全然違って、心がグッとなる感覚がありました。
―― 幼い娘の万里子と暮らす謎多き女性・佐知子を二階堂ふみさんが演じられています。共演はいかがでしたか?
広瀬:二階堂さんは憧れの方でした。10年くらい前に知り合ったんですが、今回改めて一緒にお仕事をして、唯一無二のパワーとエネルギーを持っている方だということを、佐知子さんというキャラクターを通して強烈に感じました。
佐知子さんの圧倒的な自由さは、今の時代の感覚に近いものがあると思います。女性だから、男性だからという枠がなくなってきている今の時代。
―― 佐知子と悦子の関係性をどう捉えましたか?
広瀬:最初は佐知子さんを一人の人物として見ていたんですが、「似ている」という言葉が作品内でも登場するように、何度か見返すうちに、二人の関係性がとても複雑で深く、近しいものだと感じるようになりました。どちらも悦子さんのような気もするし、どちらも佐知子さんのような気もする。二人がどこか重なり合うような不思議な感覚でした。
記憶というものの曖昧さや、人が過去をどう捉えるかという点で、この二人の関係性はとても興味深いものがありました。悦子さんが佐知子さんに投影しているものがあるのか、それとも佐知子さんが悦子さんに何かを映し出しているのか。1980年代の吉田羊さん演じる悦子さんを見て、そんな記憶が時間の経過とともにどう変化していくのか、すごく考えさせられました。
■女性の生き抜いた強さと共鳴している姿を見てほしい
―― 石川慶監督は、1950年代と1980年代の悦子をそれぞれ演じた広瀬さんと吉田羊さんが、どこか似ているとおっしゃっていましたが、このキャスティングの意図を聞いた時どう思われましたか?
広瀬:意外な気がしました(笑)。顔の形とか雰囲気は違うと思うんですよね。でも、吉田羊さんが、私の仕草や根本的な性格みたいなものを捉えてくださって、悦子さんの芝居に活かしてくださった。
一人で完結できる役ではなかったということが、この作品の本質だと思います。吉田羊さんと二人での演じ分けもそうですし、二階堂さん演じる佐知子さんも含めて4人で1人の女性みたいな、いろいろな色を足して割ったような感覚になるといいなと思っていました。今までにはない、不思議な体験でした。
―― 妊娠中の悦子が背負う戦争がもたらした苦しみと、女性だからこその強さについて、この役を通じてどう実感されましたか?
広瀬:戦後を描く作品は圧倒的に男性の物語が多いですよね。男性視点で描かれる女性との別離や、戦争の傷跡を抱え、精神がさまようような、生々しい悲しいお話が多い。でも、女性の希望にあふれた姿を描いた作品は意外と少ないと思うんです。
石川監督も単なる戦争映画として作りたいわけではなく、女性たちが生きて、共鳴している姿を目撃者として観てほしいとおっしゃっていました。
だからこそ、暗くなりすぎず明るく演じようと思いました。時代モノ(の撮影)に入るときの身構えた気持ちや硬さが今回はなく、センシティブな思いよりも「この時代を生きていけばいいんだ」という感覚で臨みました。女性の生き抜いた強さと共鳴している姿を見てほしいです。
■戦後が舞台の作品へ立て続けに出演 「自分にそのバトンが来たんだ」と衝撃
―― ところで、この作品は広瀬さんにとって、2015年の是枝裕和監督『海街diary』以来のカンヌ国際映画祭参加でしたね。
広瀬:映画というものは世界共通のコミュニティとして存在していて、そこに参加させてもらえることはすごいことだと改めて感じました。10年前は何も知らないまま行って、こういう世界もあるんだくらいの感覚でしたが、今回は10年前とは全然違う見え方でした。
カンヌは映画への愛情と熱量が高い空間で、特別な時間の流れ方をしていて、映画愛みたいなものが街全体や、そこに住む人々に満ちている。その熱量を全身に浴びるような経験は、日本ではあまりできないので、すごく刺激的でした。そうした場所で作品が評価されることの重みも感じましたし、世界中の人たちと映画という共通言語で繋(つな)がれることの素晴らしさを実感しました。
―― 広瀬さんは、映画『宝島』(9月19日公開)では1952年のアメリカ統治下の沖縄で、米軍基地から物資を奪う「戦果アギヤー」の一員・ヤマコを演じられています。終戦80年という節目の年に、こうした作品を立て続けに演じることについてどう思われますか?
広瀬:長崎、広島、そして沖縄と、戦争のことは授業で習ったり、テレビの特集や戦争映画で見たりした情報量しか私にはなかったんです。『宝島』でも戦後の沖縄の複雑な状況を演じて、改めて「知る」ことの大切さを感じました。そして、俳優として、作品を発信する側として伝える立場に立ち、「自分にそのバトンが来たんだ」と衝撃を受けています。
―― この作品を通して、伝えたいメッセージは何ですか?
広瀬:正直、戦争や原爆について、知識としては持っていても、私自身これまではあまり身近に感じていたわけではありませんでした。でも、この作品を通して、一人一人がきっと違う感情を受け取り、感じてもらえる作品になったと思います。答えはないからこそ、ぜひ見て知ってもらって、感じてほしい。
戦争を知る人がどんどん少なくなり、語り継いでいくことがどんどん少なくなっていく中で、まずは「知る」ことが大事だと私自身、強く感じています。広島・長崎の話、沖縄の話というよりも、日本の話、私たち自身の話として知ってもらえたらいいなと。共感してもらうということではなく、まず自分ごととして見て、触れてもらえたらいいなと思います。
(取材・文:田幸和歌子 写真:山田建史)
映画『遠い山なみの光』 は公開中。