ドキュメンタリー映画『夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩』が、ジョンの命日直前となる12月5日より全国順次公開されることが決定。あわせてポスタービジュアルが解禁された。



【写真】ドキュメンタリー映画『夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩』チラシ裏ビジュアル

 1980年12月8日、悲劇的な最期を遂げたジョン・レノン。その影響力は計り知れず、死後も数多くのドキュメンタリーや、彼を題材にした映画・ドラマが公開・放映されてきた。昨年もドキュメンタリー映画『ジョン・レノン 失われた週末』が公開され、大きな話題を呼んだ。

 本作は、ジョンの生涯最後の10年間に焦点を当てる。ビートルズ解散後も独自の進化を遂げ、革新的な音楽を生み出し、反戦運動の最前線に立ち続けた彼は、史上最も影響力のあるポップカルチャー・アイコンの一人となった。その伝説的人物の軌跡を丹念に辿っていく。

 貴重なアーカイブ映像をふんだんに収録するほか、最後のアルバム制作に集まったミュージシャンやスタッフ、「君にスクープをあげる」と秘密を打ち明けられたジャーナリスト、射殺当日の12月8日にインタビューを行い事件直前にマーク・チャップマンと会話した記者、さらにはジョンが担ぎ込まれた病院に居合わせた記者など、彼の親しい友人や関係者が証言。伝説の裏に隠された真実を赤裸々に語る。

 中でも、実現しなかった1981年のカムバック・ツアーの詳細や、改めて語られるジョンとヨーコの出会いや生活の全貌など、ファンにとって目新しい情報も多数。個人秘書でありプロダクション・アシスタントを務めたメイ・パンとの「失われた週末」、ポール・マッカートニーとの法廷闘争、薬物使用の実態、グリーンカード取得に向けた苦闘、そして夫・父としての葛藤までもが明らかにされる。

 1967年、ビートルズのマネージャーであるブライアン・エプスタインの死は、すべてを変えた。1969年3月、ベトナム戦争の最中にジョンはオノ・ヨーコと結婚。
そして同年12月、カナダで親しいジャーナリストにスクープとしてビートルズ離脱を明かす。

 1971年には、ポール・マッカートニーを批判した楽曲「How Do You Sleep?」を発表。1972年、大統領再選を狙うリチャード・ニクソンは、若者が民主党に投票することを恐れ、平和活動を続けるジョンを“反米的存在”と見なす。ロンドンでの軽微な薬物前科を理由に国外退去命令を出すが、永住権を望むジョンとヨーコは法廷で闘った。

 1973年半ばからは、ジョンはメイ・パンと18ヵ月にわたり恋人関係を築くが、その後ヨーコと復縁。1980年、ラジオでポール・マッカートニーの「Coming Up」を耳にしたことで刺激を受け、本格的に音楽制作を再開。秘密裏に5年ぶりのアルバム『ダブル・ファンタジー』を完成させ、ワールドツアーの計画も始めていた。

 しかし、アルバム発売翌月の12月8日、ジョンは帰宅時に射殺される。死後、ポール・マッカートニーがジョンと親しかったジャーナリストに投げかけた問いとは?

 映画『夢と創造の果てに ジョン・レノン最後の詩』は、12月5日より全国順次公開。

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