1980年代後半、クラッシュ・ギャルズ、極悪同盟らと共に女子プロレスブームを牽引したJBエンジェルスの立野記代と山崎五紀。アメリカのプロレス団体・WWFにも参戦し全米を虜にした2人が、自身の還暦とJBエンジェルス結成40周年を祝う大会を開催する。
【写真】結成40周年! 全米を虜にした「JBエンジェルス」撮りおろしショット
◆無事に60歳を迎えることを祝う記念の大会に
12月1日に東京・新宿FACEで開催される「立野記代&山崎五紀60歳~JBエンジェルス結成40周年『KANREKI CARNIVAL』」は、その名の通り、JBエンジェルスの2人のアニバーサリーをお祝いする記念大会。ジャガー横田、ダンプ松本、クレーン・ユウら先輩から、堀田祐美子、アジャコング、井上京子、井上貴子、伊藤薫、ZAPら後輩まで、全女で同じ釜の飯を食べたレスラーが大集結。立野と山崎の晴れ舞台を大いに盛り上げる。
――おふたりの還暦と、JBエンジェルス40周年をお祝いする本大会。はじめにお話を聞かれた時のお気持ちはいかがでしたか?
立野:お話を聞かれたというか、私が勝手に言い出したんです(笑)。
山崎:記代が発起人です(笑)。
立野:最初はやりたいとは全く思ってなかったんです。昨年五紀に会った時に「来年40周年だから何かやりたい」と言われたんですけど、2人の力じゃ無理だから諦めようと言ってたんですよね。それが、今年私の知り合いが亡くなりまして、その方の奥さん、(元プロレスラーの)栗原あゆみちゃんのお母さんなんですけど、その方に「記ちゃんのプロレスが観たい。きっとお父さんも喜んでくれると思うんだよね」と言われたその一言で、気持ちが0%から100%になり、イベントをやろうと五紀に連絡しました。
山崎:私は何かできればいいなと思っていたので、すぐにOKでした。
――それからは、立野さんが暮らす東京と山崎さんが暮らすニューヨークで打ち合わせを重ねられた感じですか?
立野:(元プロレスラーで、今回の大会を主催するプロレスリングWAVEの会長でもある)GAMIに丸投げです。
山崎:いるだけです、私たち(笑)。
立野:(元プロレスラーの)前川(久美子)に「準備は大丈夫ですか?」って言われて、「たぶんGAMIがやってくれてるんだと思うんだよね」って答えるくらいお任せで(笑)。GAMIは「急かされると私やる気なくすねん!」って言ってたらしいので、何も言っちゃダメだなって思っています。
山崎:何が来てもWELCOMEです。なんせお祭りですから。
立野:15歳でこの業界に入り、お互いに引退していますけど、無事に60歳を迎えられるということで、2人の記念になればいいなと。
――おふたりは試合にも参戦されるのでしょうか?
立野:やります! バトルロイヤルに。
――それは楽しみです! さらに、JBエンジェルスと言えば、デビュー曲の「CHANCE×3」も欠かせないのですが、こちらも期待してよいでしょうか?
山崎:……あぁ、はい…(小声に)。
立野:お聴き苦しいのでワンハーフでいこうかなと思ってます。最近練習のために聴き直したんですけど、若いから声が高くてびっくりしました。
山崎:歌は得意なほうじゃないから、なるようになるかなと。
◆山崎照朝コーチとの意外なエピソードを告白
――それまで「フレッシュコンビ」と呼ばれていたおふたりでしたが、「JBエンジェルス」というコンビ名を聞いた時はどんな印象でしたか?
立野:会社に「いつまでもフレッシュじゃないから」ってコンビ名を変えるぞと言われて。CBSソニーから歌も出すとなり、コンビ名があったほうがいいとなったんですよね。
山崎:みんな一緒に会議で考えたんだよね。思いついた名前をホワイトボードに書き出して。
立野:でもいい名前が何もなくて、最終的にこれとこれとこれを合わせてと決まったのが「JBエンジェルス」。そのころ、C-C-BとかABブラザーズとかが流行っていたので、その流行りに乗りました。「JBA」って呼ばれようと思ったんですけど、「JB」と呼ばれるようになりました。
山崎:レコード会社にすごい人数のチームができちゃって、ヘアメイクさんが必ず来てくれるような力の入れ具合でした。髪の毛も切らせてくれないし、嫌だ嫌だと言ってても応えなきゃいけないような状況でしたね。
立野:人見知りで誰とも話さなかったりしたんですけど、19や20の小娘に大の大人が頭を下げる姿を見たら、黙ってちゃいけないんだな、一生懸命やらないといけないなといろいろな思いが生まれましたね。
――当時はドラマにもご出演されていましたし、芸能活動とプロレスの試合で大忙しだったと思います。
山崎:芸能の仕事は嫌いでした(笑)。
立野:(当時全日本女子プロレスでコーチも務めた武道家の)山崎照朝先生は、「同じ苗字だから、五紀に頑張ってほしいんだよ」ってよく言っていて。最初はヌンチャクも五紀にやってほしかったんだよね。
山崎:ヌンチャクもそうだし、大森(ゆかり)さんの空手チョップも最初は私にやれって言ってたんですよ。でも私はプロレスだけできればいいっていう感じだったんですよね。
立野:私たち、空手とかやりたくなかったんです。蹴りはクラッシュのものだって思っていたので。
――おふたりは昭和56年入門なので、来年は出会いから45年となります。お互いの第一印象は覚えていますか?
立野:フジテレビで行われたオーディションの前に、局の目の前にあった喫茶店でたまたま近い席になったんですよ。
山崎:「あの子も受けるんだろうな」ってお互いに同じことを思ってた。
立野:いざオーディションに行ってみたら制服姿は2人だけ。こういうところって私服で来るんだ!ってびっくりしました。
山崎:そういうところへ行くのって制服だったよね(笑)。
――新人時代の思い出は?
立野:私はないんですけど…。
山崎:記代は早起きで洗濯するのが朝早かったんですよ。寮でみんながまだ寝ているのに、下駄をはいてガラガラ音をさせるので「朝早くからうるさいよ!」ってよく怒ったことを覚えています。
――出会いから45年ご縁が続くような関係になったのはいつくらいからですか?
山崎:1987年にアメリカへ遠征に行ってからですね。最初のころは全然仲良くなかった。同い年だし…。
立野:意識してたんだろうね、きっと。こいつには負けない!みたいな。
――WWFへの長期遠征に行くと決まった時はどんなお気持ちでしたか?
山崎:楽しみでもあるけど、ちょっとどうなるんだろうっていう気持ちもありました。
立野:仲が悪かったし、口もきいていなかったから、どうなるのかなって思ってました。
山崎:実際に行ってみると、どこも会場が日本と全然スケールが違って。
立野:横浜アリーナくらいの会場がいつも満杯だったんですよね。
――そんな中、WWF世界女子タッグ王座にも輝きましたし、メインイベントも務め、マディソン・スクエア・ガーデンでも試合を行ったんですよね。
山崎:マディソンは逆に小さく感じたんですよ。昨年ビリー・ジョエルのライブが最後だということで行ったんですけど、「あれ? マディソンってこんなにちっちゃかったかな?」って思ったんですよね。でもここでプロレスをやったんだなって思うと、思い出深かったですね。
立野:マディソンが駅の上にあるってことを知らなかったのでそれにも驚いたよね。
山崎:カルチャーショックばかりだったね。
◆アメリカ遠征の一番の思い出は「バニラアイスの乗ったアップルパイ」
――おふたりにとって、アメリカの水はすごく合ったんですね。
立野:ものすごく合いました(笑)。
山崎:間違いなく(笑)。
――そんなアメリカ遠征での一番の思い出を挙げるとすると、どんなことでしょうか?
立野:アップルパイとバニラアイスクリームですね。
山崎:私も言おうと思った(笑)。
立野:ケーキとか日本では食べなかったのに、朝昼晩食べて1ヵ月で15キロ太りました。そこから痩せなかった(笑)。
山崎:(笑)。あったかいアップルパイにバニラアイスが乗っかって出てくるんですよ! 「何これ~!」みたいな。あと記代はチョコレートバーが好きでよく食べてたよね。
立野:アメリカでは巡業の移動が大変でしたけど、ちゃんと太りました。周りが外国人の男子レスラーばかりだったので、すごく太っても自分ではまだ小さく思っちゃったんだよね。体重計に載っても、パウンド表示で。計算するとかなりの数字なんだけど…。
山崎:これは間違いだよねって言ってね(笑)。もう楽しい思い出しかない感じですね。
立野:嫌なことなんてなかったもんね。
――そんな中、遠征から帰国されて、1989年に山崎さんが全女を引退されます。引退試合ではJB対決が実現しました。
立野:実は私も辞めるつもりでいたんです。薄々気づいた会社に「お前も一緒に辞めるのか?」と聞かれ、「五紀と一緒の時に辞めようと思うんです」と伝えたら、「先輩がみんないなくなったら大変だから、お前はちょっと残ってくれよ」と言われ…。最後は「もうお前は25歳だし、定年だから辞めろ」と言われたんですけど。
山崎:勝手だよね。
立野:引退後は全女が経営するカラオケボックスで店長さんをやらせていただいたんですけど、バイトと同じだけしかお給料をもらえなかったので、これじゃ生活できないとなり。手に職をつけたかったのでトリマーの学校にも行きましたが、私の天職はプロレスだなって思って、もう一生やるぞ!と復帰しました。
――そうしてデビュー30周年を迎える2010年まで現役を続けられたのは本当にすごいことです。そんな立野さんの姿を山崎さんはニューヨークからどのようにご覧になられていましたか?
山崎:楽しくやっているならいいんじゃないって思って見てました。
立野:でもよく「目標や目的はないの?」と聞かれました。「職業としてやってるよ」と答えたら、「それは私、意味わからない!」って(笑)。
――性格や考え方は真逆なんですね。
山崎:似てはいないですね。でもだからこそこれだけ長く続いているのかもしれません。
立野:仲良しです。21歳からは(笑)。
◆辛くて厳しいことも多かったけど、全女時代は「青春」
――昨年、『極悪女王』が大きな話題となりましたが、どのようにご覧になられましたか?
山崎:よかったですよ。
立野:あの時代、全部いたんですけど、私たちまったく画面にいないんです(笑)。セコンドの背中に「YAMAZAKI」「TATENO」って書いてあるだけでいいから出たかったな。もし今後ブルちゃんや北斗、アジャとかの物語ができたとしてもまたここにも入らないんですよね。名前が映るだけでいいので、なにか作ってください(笑)。
――全女時代というのはおふたりにとってどんなものなのでしょうか?
山崎:辛かったし、厳しかったことも多かったけど、すごく楽しい思い出に変わっていますね。
立野:笑って振り返ることができる思い出がいっぱいありますし。巡業のバスが壊れてみんなで電車で移動するとなった時に、一緒にホテルを出たはずなのに、私たちと付き人の3人だけ、全然違う駅に着いちゃったり。
山崎:全然覚えてない!(笑) 記代は記憶力あるんですよ。
立野:巡業先のホテルで食事の席が掘りごたつだった時に、ジャンボ堀さんがすぐに目の前からいなくなっちゃって。あんなでかい体なのに掘りごたつに落ちちゃったのも覚えてますね。
山崎:地方に行って、堀さんや大森ゆかりさんと一緒の部屋になると、しゃべってしゃべってで寝かせてくれないのが嫌でした(笑)。夜中に温泉に行こうとなって、お風呂にジャンボさんを突き落として、堀さんが脱いだ服を全部持って先に部屋に帰ったり。そういうおふざけも楽しかったな。
立野:そんな楽しみしかなかったんですよね。
――本当に、かけがえのない青春だったんですね。
山崎:本当に青春ですね。だって語るものが何もないんですもん。中学出てそこから辞めるまでずっと一緒だったから、きょうだいでもあり、友人でもあり…。
――そんなおふたりの青春が詰まった大会となりそうな「KANREKI CARNIVAL」。楽しみにしているファンのみなさんへメッセージをお願いします。
山崎:タイトルそのまんま、60のババアがお祭りをします(笑)。昭和、平成、令和、全員の年齢を合わせたらどれくらいになるんだろう?というくらい、さまざまな世代の選手が集結します。カーニバルなので、私たちも楽しみますし、みなさんにもいろいろな楽しみ方をしてもらえたらうれしいです。
立野:「思い出をありがとう!」っていう大会になると思うので、本当にみんなで好きなように楽しみましょう!
(取材・文:高橋ケイタ 写真:高野広美)
立野記代&山崎五紀60歳~JBエンジェルス結成40周年「KANREKI CARNIVAL」は、12月1日東京・新宿FACEにて開催。

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