日本と海外のアニメや漫画、ゲームなどは、日本において「海外もの」という別ジャンルが用意されるほどに違う存在だ。その中で最も分かりやすい違いは、キャラクターにおける見た目の差だろう。


 日本のキャラクターは目が大きく、鼻が「ちょん」と線を置いただけで、顔の輪郭が大きい。かといって、総じて等身が低いわけでも無く、体や服装は細かく描く……。なんだか文章にしてみると違和感を感じるが、なぜこうも日本のキャラクターデザインは特殊なのだろうか。

 というわけで今回は「キャラクターデザインにおけるデフォルメ」という視点から、海外作品と日本作品の違いと、それぞれの在り方について考えてみる。

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 「デフォルメ」とは、何らかのモノや人を描く場合に、モチーフの特徴を捉えて変形や特徴化を行うことを指す言葉だ。日本で外来語としてこの言葉が使用される際は、そこに「簡略化」などのニュアンスが加えられている。

 海外において、等身を下げるデフォルメが施されているキャラクターは、大抵の場合『ザ・シンプソンズ』や『パワーパフガールズ』のように、体の形から何からまで人間のそれとは違っており、デフォルメという言葉における「強調」の意味合いが強く出ていると言える。それに対して日本の場合は、等身が上がろうが下がろうが基本的に体や顔の形はそのままだ。逆に、ある程度高い等身のキャラクターも、顔のパーツなどは低等身時と同様に簡略化されている事も少なくない。

 こういった日本独自のデザインの方向性は古くから見て取れるが、明治~昭和にかけての風刺画あたりからは特にハッキリとしてくる。教科書などに載っている風刺画「成金」(1920年代)の姿を再確認してみると、100円札を燃やしている成金紳士のデザインは驚くほど現代的だ。

 その20年ほど後には現代に続く週刊漫画雑誌が刊行され、手塚治虫氏をはじめとする数多くの漫画作家など、草分け的なクリエイターたちが登場する。
それにより、日本的なデザイン手法が漫画やアニメに適合する姿へと進化していった。手塚氏が活躍したのは1940年代中盤から1980年代後半ほどなので、氏の描いた作品を読んで育ち、影響を受けた新世代のクリエイターが誕生するには十分な期間だ。 このように、ひとつの表現が完成・発信されることは、それを受け取る新たな世代の誕生を意味している。そこから2013年現在まで、世代と感性、技術を越えた試行錯誤を続けた結果が、現代における日本のキャラクターデザインに繋がっているというわけだ。少し古い例えになるが、漫画『ギャラリーフェイク』で語られた、アニメや漫画を芸術たらしめる“文脈”とはまさにこの事だろう。

 ここで、最初の「なんで日本と海外ではキャラクターデザインがこんなに違うのか」という疑問にもう一度目を向けてみると、その答えは簡単に出てくる。上記のように「日本の漫画やアニメ」(もしくはそれ以前の日本芸術)という閉じたコミュニティの中で延々と独自に試行錯誤されてきた表現方法が、違った文脈と感性の中にある海外と違うのは当たり前なのだ。もちろんこれは文化の間にある“違い”なので、どちらが良い・悪いという話では無い。

 グローバル化が叫ばれる昨今では、サブカルチャーにおいてはジャンルを問わず「海外では~」という言葉をよく聞くが、国内向けに国内の人間が作った作品を海外の定規で測ることほどナンセンスな考え方は無い。どこかから借りてきた基準で作品を測ることはせず、まずはその作品が誰に向けて、どんな考えのもとに作られているかを考えてみるべきだろう。その結果は、自分の感性が求めている作品を知るための手がかりとなってくれるはずだ。(文:蒼之スギウラ)
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