今年はブルース・リーの没後40年となるメモリアルイヤー。今もなおその威光は衰えることがなく、知られざる青春時代を描いた映画『李小龍 マイブラザー』が公開になる。
【関連】ギターのエピソードなどブルース・リーとの思い出を語るロバート・リーフォトギャラリー
国・文化・言葉――あらゆる壁を超えた世界的存在で、今も人々の心に憧れを与え続けるブルース・リー。神格化して語られることもあるが、恋に悩み、持てあますエネルギーをケンカにぶつけた若き日々があった。「ブルースについてたくさんのドキュメンタリーが作られていますがほとんどが事実に基づいたものではなく、今度こそきちんとしたものを残そうということで今回の企画に取り組みました。武術家としてのブルース・リーではなく人間ブルース・リーに、あくまでどんな人物であったのかというところにスポットライトを当てるのが目的です」。
映画では俳優として脚光を浴びるはるか前、我々が知るブルース・リーになる以前の姿が描かれる。「私の家族は全員が非常に親しい間柄で、“家族はそれぞれが支え合うように”という家族観を父から教えられてきました。実際みながそうしてきましたし、ブルースも私たちを守ったり、いろいろ動いて家族をサポートしてくれました。兄はワイルドな面もありましたが非常に喋り好きで社交的、一緒にいると楽しい人物でした」。劇中で少年時代のロバートは、8歳上のブルースとともにコンビを組んでダンスコンテストに出場。その後はミュージシャンとなり活躍するが、成人してからアメリカでともに暮らしたブルースの次のような秘話も明かしてくれた。
自分の成しうることを的確に見定め、そこに集中して力を爆発させる――それができたからこそ32年という短い生涯であっても、ブルースは不滅の輝きを映像に残すことができたのだろう。「香港を去ってアメリカに行ったということが、我々が知るブルース・リーとなるための大きな一因だったと思います。彼は香港を後にしたことで様々な世界の文化に触れ、世界を見ることになった訳です。様々なシチュエーションに素早く順応するのが兄は非常に得意でした。
その姿は“水はカップに入れればカップの形となり、急須に入れれば急須の形となる。水は流れることも砕くこともできる。友よ、水になるのだ”という彼自身の言葉を思わせる。ブルース・リー自身がまさに“水”のように生きた。「彼は常に変わっていくことをためらわなかった人間です。だから、もし生きていたら今も“常に変わり続ける”というポリシーを持ち続けていたと思います」。
変化を恐れず、新しいものを取り入れて常に進化を心掛けること。そうしたブルース・リーのあり方が今も輝きを放ち、インスピレーションを与え続ける。(取材・文・写真:しべ超二)
『李小龍 マイブラザー』は7月13日より全国順次公開
本作の製作総指揮を務めたのは実弟であるロバート・リー。家族しか知り得ぬブルースの秘話を語り、ドラゴンの魂を伝える。
【関連】ギターのエピソードなどブルース・リーとの思い出を語るロバート・リーフォトギャラリー
国・文化・言葉――あらゆる壁を超えた世界的存在で、今も人々の心に憧れを与え続けるブルース・リー。神格化して語られることもあるが、恋に悩み、持てあますエネルギーをケンカにぶつけた若き日々があった。「ブルースについてたくさんのドキュメンタリーが作られていますがほとんどが事実に基づいたものではなく、今度こそきちんとしたものを残そうということで今回の企画に取り組みました。武術家としてのブルース・リーではなく人間ブルース・リーに、あくまでどんな人物であったのかというところにスポットライトを当てるのが目的です」。
映画では俳優として脚光を浴びるはるか前、我々が知るブルース・リーになる以前の姿が描かれる。「私の家族は全員が非常に親しい間柄で、“家族はそれぞれが支え合うように”という家族観を父から教えられてきました。実際みながそうしてきましたし、ブルースも私たちを守ったり、いろいろ動いて家族をサポートしてくれました。兄はワイルドな面もありましたが非常に喋り好きで社交的、一緒にいると楽しい人物でした」。劇中で少年時代のロバートは、8歳上のブルースとともにコンビを組んでダンスコンテストに出場。その後はミュージシャンとなり活躍するが、成人してからアメリカでともに暮らしたブルースの次のような秘話も明かしてくれた。
「いろいろトレーニングをさせられたのですが(苦笑)、他にも面白いエピソードがあるんです。彼の家でギターを弾いていたらブルースが興味を持ったので、彼に簡単なCコードを弾かせてみたんです。でも、彼の指はガチガチでほとんど音が出ない。もう1度トライさせてみましたが、やっぱり同じで『分かった、もういい』と言って、彼がその後ギターに触れることはありませんでした」。ロバートはこれを“非常に彼らしいエピソード”であるという。どういうことなのか? 「ブルースは自分は何が上手くできて・何が上手くできないのか、それを非常に早く掴む才能があったと思います。だから音楽は自分の行く道ではないと素早く結論を出し、それが変わることはありませんでした。リズム感はあったのですが音感はなかなか無くて、お気に入りの歌を鼻歌で歌う時でさえ、音程は外れていたんです(笑)」。
自分の成しうることを的確に見定め、そこに集中して力を爆発させる――それができたからこそ32年という短い生涯であっても、ブルースは不滅の輝きを映像に残すことができたのだろう。「香港を去ってアメリカに行ったということが、我々が知るブルース・リーとなるための大きな一因だったと思います。彼は香港を後にしたことで様々な世界の文化に触れ、世界を見ることになった訳です。様々なシチュエーションに素早く順応するのが兄は非常に得意でした。
新たな環境に身を置き、新しい要素を吸収して自分なりに変化・進化をしていく。それは後に有名になるブルース・リーにとって、非常に重要な部分ではなかったでしょうか」。
その姿は“水はカップに入れればカップの形となり、急須に入れれば急須の形となる。水は流れることも砕くこともできる。友よ、水になるのだ”という彼自身の言葉を思わせる。ブルース・リー自身がまさに“水”のように生きた。「彼は常に変わっていくことをためらわなかった人間です。だから、もし生きていたら今も“常に変わり続ける”というポリシーを持ち続けていたと思います」。
変化を恐れず、新しいものを取り入れて常に進化を心掛けること。そうしたブルース・リーのあり方が今も輝きを放ち、インスピレーションを与え続ける。(取材・文・写真:しべ超二)
『李小龍 マイブラザー』は7月13日より全国順次公開
編集部おすすめ