1993年10月31日に薬物の過剰摂取のため23歳の若さで急逝したリヴァー・フェニックス。リヴァーの死から今年で20年が経つが、リヴァーの最期の時に居合わせ、親交も深かったというセロニアス・モンスターのフロントマン=ボブ・フォレストが回顧録『Running with Monsters:A Memoir(原題)』の中で当時の様子を語ったようだ。


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 10月1日(現地時間)にアメリカで発売された同著の中で、自身の薬物依存の日々を書き綴ったボブがリヴァーの死についても触れていると、The Wrapは伝えている。

 ジョニー・デップが共同経営者を務めていたハリウッドのナイトクラブ=ザ・バイパー・ルームでは10月30日の夜、リヴァーやレッド・ホット・チリペッパーズのギターリスト=ジョン・フルシアンテ(現在はバンドを脱退)がパフォーマンスのために集まっていたが、楽屋ではこんな一幕があったという。

 「誰かがコカインを出して回した。リヴァーは明らかに酔っ払っていて15ラウンドの試合で何度も頭を打たれたボクサーみたいになっていた。彼が動ける状態ではなかったので酔ってると思った。ヘロインをやった人間は立っていると体が傾くが、よろめいたり倒れたりすることは滅多にない」。

 リヴァーはその後、ジョニーの当時のバンド「P」の演奏中に、血の気の引いた顔をしてボブのもとにやって来ると「ボブ、気分が悪い。オーバードーズしてるんだと思う」と伝えたそうだ。オーバードーズした人間は動けないと思ったボブはリヴァーを信じなかったが、家に送っていくとリヴァーに言うと気分は回復したと断られたそうだ。「お前は立って話せるからオーバードーズしてないよ」と軽く受け流したことに、ボブは今でも罪の意識を感じているという。

 当時のリヴァーの恋人、女優のサマンサ・マシスの叫び声でクラブの入り口に駆け寄ったボブは、地面に倒れているリヴァーを見たそうだ。「彼は生きていた。
腕と脚がてんかんの発作みたいに震えていた」。

 日が変わりハロウィンの日となった10月31日に早朝、ボブはジョニーのバンドメイトでバットホール・サーファーズのフロントマン=ギビー・ハインズと共に、リヴァーが運び込まれたロサンゼルス市内の病院へ向かった。

 「ハロウィンの日の朝方3時だった。病院はそもそも不気味な場所だが、あの日の出来事と何もかもが静まり変えていた時間だったのでなおさら不安を感じた」とボブは回想している。「サマンサが一人で立っているのが見えた。彼女は泣いていた。彼女を見ただけでリヴァーが死んだと分かった」。

 リヴァーの命日となった10月31日(現地時間)、欧米のメディアではリヴァーを偲ぶ記事や写真が多々見受けられた。日本では、今でも多くのファンを残すリヴァーの幻の遺作『Dark Blood(原題)』の2014年劇場公開が決定したことが発表された。
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