アイドルグループCHA‐CHAとしてデビューをして丸30年、振り返れば常にテレビで活躍し続けている勝俣州和。先日放送された『水曜日のダウンタウン』(TBS系)で、矢作兼が「勝俣州和ファン0人説」を提唱する企画が好評だった。
確かに「好きな芸能人ランキング」に名を連ねることこそないが、浮き沈みの激しい芸能界で、長年幅広い世代に親しまれている稀有なポジションの勝俣に話を聞いた。

【写真】CHA‐CHAでデビューから30年! 勝俣州和 インタビューカット

 今や“番組をなんとかしてくれる企画成立屋”と制作陣に絶大な信頼を寄せられている勝俣の芸能界入りは、ひょんなことがきっかけだ。国語の教師になろうと入学した大学を4年生のとき「教師にはなれない」と教授から言われ、あっさり自主退学。静岡出身の勝俣は、せっかく東京に出てきたのだから「何かを見つけて帰ろう」と思いとどまる。その際、自分を顧みて「根性が足りない」と自己分析し、そこで哀川翔柳葉敏郎が所属する「劇男一世風靡」入りを志す。

 「事務所に電話してすぐに会ってもらえたのですが、『生意気だから、社会勉強をしてこい』と放り出されまして。それから半年ぐらいたって『別のグループのオーディションがあるから受けに来い』と言われて行ったけど、そこでも受からなかった(笑)。でも『お前は面白そうだから』と、事務所に出入りさせてもらえていたんです。ラッキーでした」。

 その後、萩本欽一が主催するオーディションに参加。参加者は萩本の存在に緊張していたが、勝俣は「お笑いのこと何も知らないし、ただただ大笑いして、他の人の芸を見ていた」という。

 結果は合格。
CHA‐CHAとして活動することになっても萩本に委縮する他のメンバーを尻目に、“根性をつける”ことが目的で受けた勝俣は「すぐ辞めるつもりだったので全く緊張せず、欽ちゃんにもガンガン話しかけていました。お笑いのことはもちろん、人生のこと、恋愛相談もしてましたね」と当時を振り返る。

 そんな大胆さが新鮮に映ったのか、萩本は自身が出演する昼・夕方の帯番組、ゴールデン番組のレギュラーに勝俣を起用。そこから4年間、萩本と「移動車の中ではいつも2人きりだったので、その日の反省や、お笑いのこと、芸能のこと、人間的なことを全て教わりました」と濃厚な時間を過ごす。

 ある時仕事がうまくいかなくて悩んでいた勝俣は、萩本に「おもしろくなりたい」と相談したという。すると萩本から「面白くなんてならなくてもいいから、優しくなりなさい」と助言を受けた。「ただ面白いだけで心が冷たい人がお笑いをやると、人を傷つける。それは本当のお笑いではない。優しい人がする笑いはみんなを温かくする。だから常に優しい人間を目指しなさい」。そう言われた言葉がずっと心に残っていると語る。 この言葉が勝俣の一つの起点になった。
「25歳ぐらいにもらった言葉ですかね。このテーマをもらったからこそ、いまでも続けていられるんだと思う。だって優しさってゴールがないじゃないですか」。それと同時に勝俣は「僕は芸能人になりたいのではなくて、欽ちゃんみたいになりたいんだ」と気づいたという。

 それから勝俣は、どんな番組でも、どんな共演者にでも“優しさ”を大切に仕事に取り組んでいるという。「こういう業界は個人プレーが多いじゃないですか。いくら番組が面白くても、自分が面白くなかったら次は呼ばれないかもしれない。でも僕はそう思わないんです。やっぱりチームプレーが大事。自分が目立たなくても、番組が面白ければそれでいい」。

 番組スタッフもその姿勢を見抜いて、勝俣に“つなぐ”というポジションを与えた。『笑っていいとも!』では番組プロデューサーから「タモリさんと若い出演者の間に入ってくれ」と頼まれた。
『ウンナンの気分は上々。』でも、当時あまりバラエティに出演することがなかった俳優や、ミュージシャンとウッチャンナンチャンをつなぐ役を任うことに。こうして、現在のバラエティ界の“名バイプレイヤー”として立ち位置を確立することになる。

 「以前、水道橋博士が『司会をやる人はメインディッシュだけれど、かっちゃんは味噌汁だね。どんな料理にも合うし、なんと言っても日本人に愛されているでしょ』と言ってくれたんです」と勝俣は語ると「そういう風に自分のことを見てくれるのはありがたいですね」と破顔する。

 現在53歳。「一生仕事は続けたい」と語る勝俣だが、「僕はコメンテイター的な仕事の依頼って一切ないんです。そんなことは期待されていないんでしょうね(笑)。それより、テレビで遊んでいて、『生きるって面白い』とか“人生の楽しさ”みたいなことを伝えることを求められている」と自身を分析。

 さらに「国語の教師を目指していたということがあるので、美しい日本語を使って、人生の楽しさを伝えるのが好きなんです。もう少し年齢を重ねたら、テレビの画面を通してではなく、全国を回って、自分の経験をしっかりした言葉で伝えることができたら。そのためにも自分が人生を楽しんでネタをたくさんつくっておきたいですね」と勝俣らしい素敵な目標を掲げていた。
(取材・文・撮影:磯部正和)
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