グループ結成当時からの歴史を知る1期生として、9年以上にわたり在籍した乃木坂46からの卒業を発表した中田花奈。2011年8月に加入した当初は17歳の高校生だった彼女も、今年で26歳とすっかり大人の女性になった。

人生の大きな決断にはさまざまな葛藤もにじむが、10月25日に控える自身の卒業に対して「今なら乃木坂を“大好き”の気持ちで辞められる」と打ち明ける。

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■「つらくて耐えられない出来事が3つ起きたら卒業しよう」

 7月10日。卒業発表の場として、お笑いコンビアルコ&ピースと共に2016年4月からレギュラー出演しているラジオ番組『沈黙の金曜日』(FM FUJI/毎週金曜21時)を選んだ中田。これまで卒業したメンバーを見ると、公式サイトや自身のブログで発表をするケースが多かったが、あえてラジオのレギュラー番組を選んだことには彼女なりの“番組愛”があった。

 「同期メンバーの斉藤優里(2019年6月30日卒業)がラジオのレギュラー番組で卒業を発表した当時、そのニュースを『沈金』で取り上げて、私も『ラジオで発表したい』と言っていたんです。それを実現したくて事務所のスタッフさんに『沈金で発表させてください』とお願いして、番組内で発表することになりました。


 番組からの卒業も発表しましたが、レギュラーになってから4年半ほどで、番組は自分にとって心の支えになっていました。つらい時期、逃げ出したいときも、ラジオのスタッフさんやアルコ&ピースさん、リスナーさんたちが、しんどくなっていた私を受け入れ続けてくれていた場所で。選抜メンバーではなかった自分が、毎週のレギュラー番組をいただけたことにもすごく感謝しています」。

 彼女が卒業を決めたのは、昨年の春頃。2019年4月にリリースされたグループの4thアルバム『今が思い出になるまで』がきっかけだった。

 「元々、ある時期から活動中に『つらくて耐えられない出来事が3つ起きたら卒業しよう』と決めていたんです。
『今が思い出になるまで』で乃木坂46に入って初めて、自分の参加楽曲が1つも収録されなくて。それが3つ目の出来事でした。その後、スタッフさんに『今年(2019年)いっぱいで卒業させてください』と相談して、いったんは受け入れてくれました。

 でも、そこからが二転三転というか…。昨年、卒業を決めてからなぜか『これまでに、こんなにいいことはない』と思うほどの出来事が舞い込んできたんです。昨年12月には麻雀番組『トップ目とったんで!三代目決定戦 生放送で麻雀ガチバトル』(TBSチャンネル1)のトーナメント戦へ出場して、どうせ勝たないと思っていたら優勝してしまって。
1月から冠番組『乃木坂46中田花奈の麻雀ガチバトル!かなりんのトップ目とれるカナ?』(TBSチャンネル1/毎週土曜24時)を持てることになりました。

 ほかにも、同期の秋元真夏白石麻衣、2期の新内眞衣と一緒にアサヒスーパードライのCMが決まったり、初めてのソロ写真集『好きなことだけをしていたい』(光文社)の出版が決まったりと、とにかくいろいろなことが起きて。すべて卒業を発表する前にお話があったことで、事務所のスタッフさんとも『これは続けるべき』という話をして、『もう少しグループにいなさい』ということなのかなと思って、このタイミングでの卒業になりました」。@@separator■順調だからこそ「今なら乃木坂を“大好き”の気持ちで辞められる」

 卒業を伝えた当時、共にグループの初期を支えてきた同期や2期のメンバーは「みんな考える時期だよね」と背中を押してくれたという。しかし、4thアルバムで参加楽曲がなかったことにより卒業を決めたにも関わらず、その後に「こんなにいいことはない」と思うほどの話が舞い込み、活動が順風満帆に見える今の状況で、卒業することに迷いはないのか。

 「迷いはないです。
いろいろなお仕事を頂いているのもあり『今なら乃木坂を“大好き”の気持ちで辞められる』と思っているんです。4thアルバムの時点での決断は正直、『つらいから辞めたい』という気持ちからでした。もしそんな悲しい思いのまま卒業したら、そのままの記憶や感情が残ってしまったと思います。

 でも今のタイミングで卒業すれば『楽しかった』と言えると思うんです。ただ逃げるために卒業するわけではないから。嫌なことがあっての精神状態だと周りが見えなくなるかもしれないけど、今はすごくハッピーなのでいろいろな人に感謝を伝えたいとか、ポジティブな気持ちで過ごせているので悔いはありません」。


 彼女の足跡をたどると、メンバー内ではなかなかの苦労人だったのも分かる。ファンからもダンスパフォーマンス力の高さを評価されていたが、選抜メンバーになれず、涙をのんだ日も多々あった。そんな9年間の活動の原動力になっていたのは、自分の家族へ対する思いだった。

 「乃木坂46へ加入した当時、高校を転校したんです。元々いた学校へ入るときも受験まで頑張ったし、両親も熱心に教育へ力をそそいでくれていたんですけど、その後は大学へ進学せずに乃木坂46の活動を続けてきて。親が敷いてくれたレールを取っ払って、全く違う場所へ懸けたことへの意地もあったので、こっちの道を選んで良かったと思える結果を出すまでは辞められないと思っていました。


 グループへ入るときも母親から『え、学校辞めちゃうの?』と言われたのは覚えていて、どこか両親を裏切ってしまったという感覚もあったんです。だから、どうしても(乃木坂46の活動を)選んで良かったと思えるような形にしたかったというか。デビューシングル『ぐるぐるカーテン』(2012年2月22日リリース)の活動がスタートしたころには私の決断を受け入れてくれていたし、これまでも応援してくれて協力的ではあったんですけど、ずっと心のどこかで引きずっている部分もありました」。@@separator■ライブの定番「ナカダカナシカコール」はファンにお任せ

 コロナ禍で25thシングル「しあわせの保護色」(3月25日リリース)の発売を記念した個別握手会が延期されていたのを受けて、10月25日に開催されるオンラインでのイベント「オンライン ミート&グリート(個別トーク会)」でメンバーとしての活動を終了する中田。卒業後の芸能活動については「お声掛けがあれば続けてみたい」と話した一方で、個人的な夢も明かしてくれた。

 「雀荘を経営してみたいんです。麻雀をやり始めた当初は、雀荘に対して怖いイメージもあって、それこそ女の子が行く場所ではないと思っていたんですけど、今はキレイな場所もあるし、過去の自分と同じように『麻雀に興味はあるけど行けない』と感じている女の子でも足を運べるようなお店を作ってみたいと思っています。

 また、最近ではお笑い芸人の東野幸治さんがYouTubeで『東野幸治の幻ラジオ』をやっているのも聴いていて、パーソナリティが語りかけるようなラジオ番組が好きだし、こだわりもあるので、卒業後に何か発信できることや発信したいと思うことが見つかったら、様子を見ながらYouTubeもやってみたいです」。

 中田といえばライブ中、2ndシングル「おいでシャンプー」(2012年5月2日リリース)の間奏で巻き起こるファンからの「ナカダカナシカコール」が有名。彼女のラストステージとなった9月30日放送の音楽番組『テレ東音楽祭2020秋』(テレビ東京系)でも、放送前から彼女が同曲のセンターを務めることが話題になったほか、ツイッター上でハッシュタグ「#ナカダカナシカ」がトレンド入りしていた。

 グループの1曲を象徴するかのように、ファンから自分の名前が入ったコールを浴びている瞬間に何を思っていたのか。

 「コール自体、最初のころはあまり浸透していなくて、一部のファンの方が言ってくれている感覚だったから『すごく盛り上がっているな』くらいにしか正直思っていませんでした。でも、会場にいる皆さんが言ってくれるようになってからは、純粋に『すみません』というか『おそれ多いです』みたいな感情が込み上げてくるようになって。そもそもはセンターが生駒(里奈)ちゃんの曲だったし、恐縮しながらも『ありがとうございます』みたいな感じでした」。

 気になるのは、卒業後に彼女のコールが残るのかどうか。インタビューの最後、本人にどうしてほしいかを尋ねた。

 「徐々に広まり始めたころから、自分のいないライブでファンの皆さんが叫んでくれていたことはあったし、それこそ日向坂46のみんなが『日向坂46デビューカウントダウンライブ!!』(2019年3月5、6日開催)で『おいでシャンプー』をカバーしてくれたときもコールが起こっていました。だから、あえて私からは明言はせずというか。個人的には、ファンの皆さんにお任せしたいかな(笑)」。(取材・文:カネコシュウヘイ 写真:曽我美芽)

 乃木坂46・中田花奈1stソロ写真集『好きなことだけをしていたい』(光文社)が発売中。定価2000円(税別)。