北朝鮮の東海岸にある清津(チョンジン)造船所で21日、新造された駆逐艦が進水に失敗し、横倒しになる惨事が発生した。その一部始終を目撃した金正恩総書記は「犯罪行為」だと激怒。
しかしこの事故の背景に、北朝鮮独特の「速度戦」の弊害があるであろうことは想像に難くない。速度戦とは、政治的日程に合わせて成果を急ぎ、無理なスケジュールをごり押しするもので、時に大量の犠牲者さえ発生させている。
その代表例が、平壌と開城を結ぶ北朝鮮の大動脈「平壌開城高速道路」だ。1992年4月に竣工した総延長160キロに及ぶ北朝鮮の大動脈だ。
当時、工事現場にいた人のうち数人がその後脱北して、現在は韓国で暮らしている。韓国で発表されている彼らの証言や手記を元に、当時の状況を再現する。
時は金正恩総書記の祖父・金日成主席が存命中の1989年に遡る。1987年12月に始まった高速道路の工事は概ね順調に進んでいた。ところが、1989年4月15日(金日成氏の誕生日)までに急ぎ工事を終えよとの指示が、当局から下される。
突如として指示された工期短縮。それに間に合わせるため、数多くの軍人や一般労働者が動員された。
完成を早めるため、橋の上では軍人たちと資材を積んだトラック、工事用の機械が慌ただしく行き交っていた。
ところが1989年4月14日、指示された工期完了の1日前に惨事が起きた。午前10時頃、橋が轟音とともに崩落した。橋脚だけを残して上部の床版(しょうばん)が川の中に落下したのだ。
500人以上の軍人がトラックや機械もろとも120メートルの高さから落とされ、川原にたたきつけられたのだ。大慌てで川原に降りていった人々が見たものは、まさに「地獄絵図」だった。現場に急行した医師や看護師、難を逃れた軍人や一般労働者たちは、現場に入る前に飯盒の蓋に注がれた医療用アルコールを渡され、飲み干すように指示された。それは現場が正視に耐えないほどの惨状を呈していることを意味していた。
そして彼らが川原で目にしたのは、想像を絶するほどのおぞましい光景だった。
頭部が半分なくなった人、機械の下敷きになりぺしゃんこになった人、鉄筋に串刺しになった人など死体があたり一面に散乱していた。
まだ息のある人も、固まっていないセメントの上に頭から突っ込んだため、目、口、鼻、体中の穴という穴がすべてセメントに塞がれ、この世のものとは思えないうめき声をあげていたという。
次から次に増える犠牲者たち。丁寧に弔う余裕がなく、遺体は病院や事故現場周辺の山に集団で埋葬せざるを得なかった。
高速道路が完成したのは、金日成氏の80歳の誕生日の1992年4月15日のことだった。500人以上の尊い命を犠牲にしたのに、結局1989年の金日成氏の誕生日には間に合わなかったのだ。上層部からの無茶な指示さえなければ、人命が失われることも、高速道路の工期が遅れることもなかったかもしれない。
今回の駆逐艦の事故を受け、北朝鮮当局は現場担当者たちの責任を徹底的に追及する姿勢を見せており、最悪なら公開処刑すら予想される。
しかし、最も重い責任を問われるべきは、非合理的なスケジュールを現場に押し付けた者であるはずだ。そしてその第一容疑者は、金正恩氏に他ならない。