「息子のいる部隊の仲間が、手紙で『(息子は)寒い国に留学訓練に行った』と教えてくれました」

北朝鮮・平安北道(ピョンアンブクト)在住のAさんは、デイリーNKとのインタビューで、ロシアに派兵された息子の頼りを聞いたときのことを振り返りながら上記のように語った。当初は、息子が本当に「留学訓練」に行ったと信じていた。

しかし時が経つにつれ、近所で「軍人が外国に派兵されている」という噂が流れ始めた。そして、朝鮮労働党機関紙・労働新聞が、ロシア派兵を公式に認める党中央軍事委員会の書面立場を4月28日に報じたことで、「留学訓練」とは実際のところ、戦場への派兵だったということを知ったと、Aさんは打ち明けた。

咸鏡南道(ハムギョンナムド)在住のBさんは、息子が派兵されたと知り、最初は信じられなかったと語る。人づてに届けられた1枚のメモには、「祖国を代表して訓練に行く」と書かれていた。その時のことを振り返り、Bさんは胸が凍りついたと語った。その後の公式発表で、息子がロシアに行ったことを現実として受け止めた。

北朝鮮当局は昨年10月ごろから、自国の軍人のロシアへの派兵を始めたが、家族に事前の説明はなかった。Aさんは、「部隊が決めたとおりに従うだけで、親が口出しできる状況ではなかった」と語った。

Bさんも「人づてでメモが届いたり、噂は流れたりしたが、息子が連れて行かれてからかなり経ってからようやくわかった」「部隊や指揮官から事前の説明はなかった」「国が必要とするから行く、それだけのことだった。祖国に一時的に預けたつもりだったが、完全に捧げた」と付け加えた。

当局は、派兵を公式に認めるまでは、派兵関連の噂をデマだとして、反逆罪を適用すると脅かして、噂が広がるのを押さえつけようとしていた。

さらに大きな問題は、国家や軍の正式な通知ではなく、手紙、噂、友人、知人の耳打ちなどで家族に伝えられたということだ。

息子の安否すらわからないまま、隠された事実をただ受け入れるしかなかった。これは、北朝鮮の派兵がいかに秘密裏かつ一方的に行われているかということだ。

派兵のことを知っても、息子がどの部隊に所属して、どのような任務を行っているか、家族は知ることができなかった。

Aさんは「(息子は特殊部隊の)暴風軍団に所属していたはずだが、名前のない部隊に配属されて派遣されたようだ」と語った。そして「弾薬輸送や通信勤務といった話は聞いたが、場所や任務については話すなという指示があり、息子の仲間も『留学訓練』という曖昧な表現を繰り返すばかりだった」と述べた。

Bさんは「どこに行ったかは言わなかったが、メモの文面から前線の戦闘部隊だと勘づいた」とし、「『死ぬかもしれない所』という話が流れていたが、部隊に問い合わせたり事実を確認したりすることはできなかった」とし、未だにどこで何をしているのかわからないと述べた。連絡は以前にも増して困難になり、肉声を聞いたのはいつのことだったか思い出せないほどだという。

Aさんは「一体どうなっているのやら、まったく知らせがない。国からの知らせを待つしかない」と述べ、Bさんも「国が公式発表したのだから、まだ生きていると信じるしかない。目が見えなくなっても、腕や足がなくなっていても、生きてさえいてくれればいい」と悲痛な心情を吐露した。

間接的ながら息子の状況を知ることができたのは、出国直前、または派兵されたばかりの時期までだ。Aさんは、「寝るときは毛布一枚敷いて鉄条網のそばで寝る」「食事はご飯と肉のスープがたまに出るから、暴風軍団はまだマシな方だと言われたが、今では完全に音信不通だ」と語った。

Bさんは、「寒い日には膝が凍りつき、夜は歩哨に立つとも言っていた。テントを張っては移動訓練ばかりしているとも。食事はまあまあだと言っていたが、豆腐ご飯(いなり寿司のようなもの)や温かいご飯団子(ライスバーガー)が食べたいと言っていたのが、心に残っている」と語った。

軍人の生死や勤務環境についての情報を、国が意図的に遮断するのは、国際的な規範から見て人権に反する行為だ。情報が全く得られない状態で家族が苦しめられるのは、国家暴力による暴力と言えよう。

兵士たちの証言や噂を通じて、戦場の凄惨な実態が広がり、家族の不安はさらに増している。

Aさんは、「砲弾がそばに落ちて耳が聞こえなくなったという負傷兵の話を聞いた。病院でもない場所で紙を使って耳を塞ぎ応急処置を受けたというが、無事でいられるだろうか」と沈痛な面持ちで語った。

Bさんは、息子の部隊に所属する軍官の妻と親しくなり、その官舎で戦況の話を聞いたという。「ロシアの戦場では銃声が大きすぎて眠れないらしい。地雷を誤って踏んで負傷した仲間、小型飛行機から落とされた砲弾で部隊が全滅した事例、自爆英雄が多く出ているという話も聞いた」と話した。

だが、さらに衝撃的だったのは指揮部の命令内容だった。

Bさんは、「ウクライナはネオナチ国家だから、老若男女を問わず殺しても、何をしてもよいという命令が出たそうだ」「うちの息子にもケダモノになれということだったのか……いや、せめて負傷者名簿に名前が載っていて欲しい。最近は、首領様(故金日成主席)や将軍様(故金正日総書記)の肖像画の前に座って、ただ無事に帰ってくるよう祈るしかない」と話した。

Aさん、Bさん共に、息子のロシア派兵を単なる軍事訓練とは捉えていない。Aさんは、「国は『解放支援』と言っているが、銃を持って立って人を殺したら、それは戦争だ」と述べ、Bさんも「軍服を着て戦場に出て戦うのが参戦でなくて何だ」と語気を強めた。

特にBさんは、「(親の)許可もなく国が子どもたちを死に追いやった」と憤りをあらわにした。「ロシアを侵略したウクライナ軍が悪いにしても、なぜ老若男女すべてを殺せという命令まで出るのか。それはまさに信川(シンチョン)の地でアメリカの奴らがやったことをやれということではないか」と激しい怒りをあらわにした。

信川とは、北朝鮮が、米軍による蛮行と主張している信川虐殺のことだ。朝鮮人民軍は占領地で人民裁判を開き、地主や公務員など「階級の敵」とされた人々を次々に殺害したが、親韓国派による抵抗運動が行われ、大規模な報復殺戮が起きた。韓国では、米軍による虐殺ではなく、そのような過程で起きた虐殺との見方が有力だ。

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