先月21日に北朝鮮・咸鏡北道(ハムギョンブクト)の清津(チョンジン)造船所での進水式で横倒し事故を起こした新型駆逐艦「姜健(カンゴン)号」について、国営の朝鮮中央通信は、今月初めに「6月初めに艦の均衡性を復元したのに続けて、5日午後までに同艦を安全に縦に進水させて埠頭に係留した」と報じた。

そして事故から22日後の今月12日に羅津(ラジン)造船所で、改めて進水式が行われた。

これは、朝鮮労働党中央委員会第8期第12回総会が開かれる今月下旬までに艦を復旧せよという金正恩総書記の厳命に基づくものだ。

一連の復旧作業はひとまず終了したものの、地元では不吉な噂が広がっていると、米政府系のラジオ・フリー・アジア(RFA)が報じた。

まず、海辺で暮らす人々の間で話題になったのは、駆逐艦の名前だ。

この地域の情報筋は、地元住民の声として「海辺に暮らす人々は船の進水式の時に、船の名前や番号に非常に気を使うが、先月、海に浮かべようとして転覆した船は、その名前からして不吉だった」と伝えた。

「姜健」とは、抗日パルチザン活動を行っていた人物の名前だ。慶尚北道(キョンサンブクト)の尚州(サンジュ)に生まれ、両親とともに旧満州に移住し、中国共産党の傘下にあった東北抗日聯軍に参加した。

1942年には、後に北朝鮮を建国する金日成氏が所属していたソ連軍第88独立狙撃旅団に入った。1946年に北朝鮮に戻り、朝鮮人民軍の初代総参謀長に就任するも、朝鮮戦争中の1950年9月に、地雷の事故に巻き込まれて戦死した。まだ30代前半の若さだった。

葬儀では金日成氏自ら棺を運ぶほど寵愛していた人物で、後に彼の名前を冠した「姜健総合軍官学校」ができた。

なお、この姜健総合軍官学校では、数々の軍幹部が銃殺されており、最近では、姜健号とは別の艦艇の座礁事故を上部に報告せず隠蔽したとして、艦隊司令官や政治委員など幹部10人がこの学校で銃殺された。

両義的に血塗られた名前である「姜健」を艦名に用いるのは、不吉極まりないというのが現地の人々の感覚なのだ。

「一部では『水に浮かべようとして転覆した駆逐艦の事故は、短命だった姜健の運命を暗示している』と見る向きもある。『不運な名前の船は、どうせまた壊れる』という声もささやかれている」と情報筋は述べた。

噂の広がりを把握した当局は、その出どころの特定に躍起になっている。

同じ咸鏡北道の別の情報筋は、人民班長(町内会長)から聞いた話として、咸鏡北道保衛局(秘密警察)の担当者と人民班長が、姜健号にまつわる噂の出どころを探る秘密調査を行っていると伝えた。

調査対象は地域の幹部、船員、港周辺で商売をしている人たちで、特に占い師が要注意対象とされている。

占いは北朝鮮の刑法で迷信として禁じられているが、情報が少なく不安の多い社会では占い師に頼る人が後を絶たない。庶民はもちろん、高官でさえも占いに頼ることがあり、そうした行動が社会不安を招く場合もある。

情報筋によると、船乗りの話として「事故後、駆逐艦の名前が変更されたとの噂もある」という。

「先月、清津造船所で事故を起こして転覆した駆逐艦の名前は『金策(キム・チェク)号』だったが、羅津造船所での進水式では『姜健号』に変わっていた」

これは、今年4月に行われた姜健号と同クラスの駆逐艦、崔賢(チェ・ヒョン)号の進水式の演説で、金正恩氏がこのように述べたことが関係している可能性がある。以下、朝鮮中央通信の記事から一部抜粋する。

忠実な信念と抜きん出た軍事的資質を持って金日成同志を補佐した金策、安吉、崔賢、姜健同志のようなパルチザン出身の軍指揮官は皆、真の将軍であり実力家でした(中略)
これから新しく建造される新型駆逐艦も、有名なつわものとして名声を博し、建軍史に赫々たる功績を残した抗日革命闘士の名前で呼ばれるでしょう。

金策も抗日パルチザンから朝鮮人民軍の最高指導部に上り詰めるも、朝鮮戦争中だった1951年1月に47歳の若さで心筋梗塞で亡くなった。

暗殺説もあることから、姜健と同様、不吉な名前だと受け取られても不思議ではない。

いずれにせよ、調査が始まったことを知った人々は、姜健号のことについて口を慎むようになった。なお、調査の結果は明らかになっていない。

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