朝鮮戦争中の1950年10月、黄海南道信川で発生した「信川事件」。北朝鮮はこれを米軍による虐殺として位置づけ、反米教育の主要な材料としてきた。

しかし韓国の歴史学者によれば、当時の実態は異なるという。

共産主義体制下で土地を奪われるなど弾圧を受けていたクリスチャンや地主などの右派勢力が、国連軍による占領をきっかけに、それまで支配的だった左派に報復を行ったのが実情だとされる。この地域はもともと小作争議が頻発していた場所でもあった。

そんな中、北朝鮮では「戦勝節」と呼ぶ7月27日の朝鮮戦争停戦協定締結日を数日後に控えた24日、国営の朝鮮中央テレビが、金正恩総書記が信川にある「信川階級教養館」を訪問したと報じた。この映像が物議を醸していると、韓国サンド研究所が運営するサンドタイムズが伝えた。

金正恩氏は7月24日、この教養館を視察した際に、防空壕を見ながら笑顔で話す様子が記録された。金与正氏は両手で口を覆って大笑いしていたという。まるで観光地を訪れたかのようなリラックスした雰囲気だったという。周囲の幹部たちは不自然な微笑を浮かべるのみだった。

北朝鮮の主張によれば、この防空壕は1950年10月18日から23日にかけて米軍が数百人の住民を監禁した後、ガソリンをかけて焼き殺し、生き埋めにした「虐殺現場」だとされる。北朝鮮は、18日だけで数百人、19日に320人、23日に330人が殺害されたと説明しており、その記録が現地に刻まれている。

金正恩氏は今回の訪問で「歳月が流れても信川の悲劇は決して忘れられない」と述べたが、その言葉とは裏腹に、妹とともに笑いながら撮影まで行った。

この場所は北朝鮮住民にとって「反米教育の殿堂」であり、展示内容は極めて悲惨であり、笑いが許されるような場所ではない。

この施設を見学した経験を持つ脱北者のキム・ジンソン(仮名)氏はサンドタイムズに対し、「信川の教養館は恐怖と敵意を同時に感じさせる場所だ」と語る。そして「それを前にして笑えば、一般住民は反党容疑で政治犯収容所に送られる」と話した。別の脱北者も、「虐殺犠牲者の遺族や講師ですら、まるで葬式のように言葉を慎む空間だ。指導者の家族だけが笑いを許されるのが北朝鮮式の特権だ」と指摘する。

韓国政府系研究所の関係者はサンドタイムズに次のように語った。

「北朝鮮政権が掲げる『反米』や『階級闘争』は、実際には指導者の宣伝道具にすぎないことを示す象徴的な場面だ。歴史的悲劇さえも政治的演出として利用される北朝鮮式権力の本質が、今回の映像に如実に表れた」

編集部おすすめ