「行かない、行かない!」
幼い少女の鋭い悲鳴が、真夜中の静寂を切り裂いた。2010年1月29日午前1時、北朝鮮の党・政・軍の最高位幹部たちが暮らす平壌・大同江区域義岩洞の「恩徳村」アパート団地。
武装した兵士たちが飛び降り、慌ただしく階段を駆け上がる軍靴の音が響く。「ドンドンドン」と荒々しく扉を蹴る音が続いた。やがて、罵声や殴打の音、家財道具が壊れ砕ける音、悲鳴とうめき声が入り混じり、辺りは修羅場と化した……。
これは、韓国に亡命したリュ・ヒョヌ駐クウェート北朝鮮大使代理が、かつて目撃した管理所(政治犯収容所)への連行場面だ。連れ去られたのは、朝鮮労働党財政経済部長の地位にあった朴南基(パク・ナムギ)の家族である。リュ氏は当時の様子を、韓国の独立系メディア「サンドタイムズ」のインタビューで生々しく語っている。
朴南基は2010年3月12日、前年に断行され大失敗に終わった貨幣改革(デノミネーション)の責任を問われ処刑された。連座制で収容所送りになった家族がどうなったかは不明だという。
冒頭の少女は、まだ4歳だった朴の孫娘だった。そんなに幼い子どもが管理所が何であるかを知っていたとは思えないが、暴力的な連行劇の中、本能的に身を守ろうとしたのだろう。しかしそんな抵抗もむなしく、彼女は兵士によってトラックの荷台に投げ込まれたという。
この出来事からすでに十数年が経過している。今では金正恩総書記が公式の場で十代前半とされる娘を連れ歩き、臆面もなく親バカぶりを発揮しながら、今後も世襲が続いていくことを予告している。
しかし、北朝鮮は今も、あの当時から本質的に変わっていない。
最近では、「ロシアに派兵され音信不通となった息子の消息をたずね歩いた親が痕跡もなく姿を消した」「金与正党副部長を非難した一家がいなくなった」などといった話が漏れ伝わっている。
金正恩氏の娘が後継者となるならば、親から継ぐのはこうした体制なのだ。権力を維持するには、父と同じように恐怖政治を続けなければならない。それとも金正恩氏は愛する娘のため、北朝鮮を恐怖政治のない国に変えられるのだろうか。それならそれで、たいへん結構なことだ。変化を主導する本人に罪があるとしても、変わらないよりは変わった方がはるかによいと筆者は思う。








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