北朝鮮でいま、高校を卒業したばかりの少年たちに対し、「最前線部隊への志願」が半ば強制されていると、米政府系メディアのラジオ・フリー・アジア(RFA)が伝えている。各地で開かれる決意集会では青年同盟が主導し、事前に検閲された“志願発言”が読み上げられる。

そこに自由意思の余地はほとんどない。

集会では、ウクライナ戦争に派遣された兵士の母親まで登壇し、「命がけで最高司令官の命令を守った烈士を見習え」と訴える。だが、会場の空気とは裏腹に、親たちの本音はまったく異なる。前線部隊の過酷さを知る親ほど、自分の子どもがそこに送られることを恐れ、必死に“コネ”を探し回る。

その一方で、国家が示す“別の光景”がある。中学生とみられる少女、金ジュエが革ジャン姿で戦車に乗り、操縦席に座る映像が公開された。

父・金正恩の隣で笑顔を見せるその姿は、「後継者」としての演出であり、国家が誇示する象徴的な場面だ。同じ「軍事」でありながら、その意味はまったく異なる。前者は「命を差し出す現実」であり、後者は「権力を演出する象徴」である。

ふたつの動きはいずれも軍事にかかわるものだが、その性格は対照的だ。一方は人的資源の動員であり、他方は政治的象徴の提示である。その結果、同年代の若者の間でも役割や位置づけに大きな差が生じている。

北朝鮮は若者に犠牲を求めながら、その頂点に立つ家族だけは例外として守り、特別な物語を与える。そこにあるのは平等でも愛国でもなく、徹底した階層構造である。この構図は、動員体制と指導層の象徴政治が並存する北朝鮮社会の実態を示している。

一方では、同年代の少年たちが「祖国のために銃を取れ」と強いられ、過酷な前線へ送り出される。もう一方では、最高指導者の娘が“安全な舞台”の上で戦車に乗り、英雄的イメージを付与される。その落差こそが、いまの北朝鮮の現実を最も雄弁に物語っている。

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