とはいえトランプは、アメリカ市民権をもつ黒人への批判を慎重に避けている。トランプの強固な支持基盤である白人労働者階級(ホワイト・ワーキングクラス)は、アファーマティブアクション(積極的差別是正措置)を「黒人貧困層を福祉依存にするだけ」と攻撃するが、トランプはこれまで、保守派によるリベラル批判の定番である「弱者の福祉漬け」を持ち出したことはいちどもない。それに対して2012年大統領選の共和党候補としてオバマに敗れたミット・ロムニーは、アメリカ人の約半数は政府に故意に依存しており、「自己責任をとったり、自立したりする生活をしたり」する気などさらさらないと発言したことが暴露されて強い批判を浴びた。
政治をビジネスと考えるトランプは、投票権をもつすべての米国市民を「潜在顧客」とみなしている。顧客を批判するようではどんな商売も成り立たないが、顧客になり得ないひとたち(投票権のない外国人や不法移民)にはなにをいっても致命的な失態にはならない。そればかりか、「本音を語る面白い奴」として保守派の支持者が喜ぶことも計算しているのだろう(買い被りかもしれないが)。
相次ぐ白人警官による黒人射殺事件がデモや暴動につながったことからもわかるように、米国社会において人種問題とは「白人による黒人への差別問題」のことだ。トランプ登場後、中東などイスラーム圏出身者への偏見も増しているが、これは「(キリスト教vsイスラームの)宗教対立」もしくは「文明の衝突」として語られる。正規の労働ビザを持たずに低賃金の仕事をするヒスパニックへの偏見は「移民問題」だ。
なぜアメリカ社会ではつねに黒人が「人種問題」になるのか。ここではアメリカの歴史家デイヴィッド・R・ローディガーのを紹介したい。
「人種は社会的構築物」という主張に懸念アメリカの黒人知識人が一貫して強調してきたのは、人種差別(レイシズム)は「黒人の問題」ではないということだ。
社会学では、「人種は生物学的ないしは身体的な事実(実体)ではなく、社会的な構築物(イデオロギー的な観念)」とされる。この主張がリベラルに好まれたのは、人種が実体ではなくイデオロギーであるとするなら、偏見を批判することで人種差別もなくなるはずだからだ。こうして、あらゆる言動から「差別」を探し出し、それを批判することが「差別とのたたかい」になった。その結果、社会にPC(Politically Correctness/政治的正しさ)が蔓延し、それに対する反動(バックラッシュ)としてトランプが登場したことはすでの多くの論者が指摘している。
ローディガーはリベラルな歴史学者として、「人種は社会的構築物」というリベラルな主張に懸念を示す。
先駆的な黒人社会学者オリヴァー・クロムウェル・コックスは、「経済的な諸関係が現代の人種関係の基礎を形成したとみなすべきである」として、「社会主義革命が達成されたら、〈南部貧困白人(クラッカー)〉も〈黒んぼ〉もこの社会から消失するだろう。なぜなら、革命後の社会は、もはやこの種(タイプ)の人びとを必要としなくなるだろうからだ」と主張したとローディガーは指摘している(出典:『アメリカにおける白人意識の構築』P26)。階級がなくなればイデオロギーである人種も消滅し、「黒人の解放」は自然に達成されるのだ。これでは、「人種問題」は階級問題に矮小化されてしまうだろう。――念のためにいっておくと、ここでの「黒んぼ」はNiggerの訳語で、かつては黒人の一般名称として使われた。
トランプ現象のようなことは、アメリカの地方選挙では過去にも起きている。
1989年に元クー・クラックス・クラン(KKK)のリーダー、デイヴィッド・デュークがルイジアナ州議会選挙で議席を獲得したとき、専門家は、「白人が人口のほぼ全体を占めるデュークの選挙区では失業率が高く、それゆえ選挙の争点は人種主義というよりは経済的な不満に向けられた」と解説した。これは、「白人労働者階級がトランプに投票したのは人種差別的な感情によるものではなく、中流階級から脱落しつつある経済的な苦境が理由だ」というよく聞く説明と同じだ。
「人種問題は階級問題」というリベラルな論理は、白人の保守派によって「問題は人種差別ではない(あるいは、人種を「問題」にすべきではない)」と巧妙に反転された。重要なのは経済成長で、ゆたかさを取り戻せば「人種を中心に展開しているように見える衝突」も解決するはずだからだ。
いうまでもなくこれは、トランプの「Make America Great Again」と同じ論理だ。白人による黒人への差別意識が経済的な土台(下部構造)から生まれてくるのなら、PC(政治的な正しさ)を神経症のように気にするのではなく、アメリカをふたたび偉大な国にすればなにもかもうまくいくのだ。
「自由民」の自尊心が白人優越意識と結びついたローディガーはリベラルな知識人として、もちろん「人種は(生物学的)実体だ」と主張したりはしない。人種はたしかに社会的構築物であるものの、それはマルクス主義者がいうように「階級がなくなれば自然と消える」二次的なイデオロギーではなく、人種主義はアメリカ社会に深く組み込まれており、容易に取り除くことはできないと述べる。「白さ」への執着を南北戦争以前にまでさかのぼり、「アメリカ創世の神話」のなかから探り出すのが彼の仕事だ。
「新大陸」が発見され、ヨーロッパからアメリカに「入植」した白人の移民たちにとって、「問題」はアフリカから連れてこられた黒人奴隷でではなく、彼らが「インディアン」と呼んだ原住民だった。
その後、都市化が進むにつれて北部に「自由黒人」が増えてくる。1680年以前、ヴァージニアの「軽薄な大衆」には白人と黒人が入り混じっていた。1795年のフィラデルフィアでは存在を確認できた黒人男性の14%が職人で、1800年のニューヨーク市では、世帯主の自由黒人男性のうち37.8%までが職人だった。労働力が不足していた17、18世紀のアメリカでは、「白人の職人」と「黒人の職人」のちがいはほとんど意識されなかった。
だが独立戦争(1775年~1783年)を機に白人側の意識が変わってきたと、ローディガーはいう。
「建国の父」の一人で副大統領にもなったジョン・アダムズは、「私たちが彼ら(イギリス人)の奴隷になることなどありえない。神は私たちを黒人にしようとはお考えになっていないのだ。もしそうお考えになっていたのであれば、私たちには黒い肌と厚い唇が与えられていただろう。……しかし、実際はそうではなかった。だから、神は私たちを奴隷にしようとはお考えにはなっていないのだ」と述べた。
ここからわかるように「自由と独立」という建国の大義は「自分たちは奴隷ではない」という主張に裏打ちされていた。
このことは、次のエピソードによく表われている。
1807年にあるイギリス人の投資家が(アメリカ東海岸の)ニューイングランドの知人を訪問し、ドアのところで対応したメイドに「ご主人(マスター)はご在宅ですか」と尋ねた。これはイギリスでは当たり前の質問だが、彼は憤慨したメイドから「私はお手伝い(help)です」とぴしゃりといわれることになる。「黒人(neger)以外は誰も奉公人(servant)ではないのです」
それ以外でもイギリス人による同様の観察はいくつもあり、「自由な市民を奉公人(サーヴァント)と呼ぶのは、共和国(アメリカ)に対する軽度の反逆罪よりももっとひどいことである」などと旅行記に書かれている。その結果アメリカでは、(イギリス)英語の「親方(master)」はオランダ語の「ボス(boss)」で代用されることになった。「主人(master)」がいるのは黒人奴隷だけなのだ。
独立後のアメリカにおいて、ひとびとの自尊心は「自由民」であることによって支えられていた。「自由民は自らが同意しない法律にはけっして拘束されない人間を指す」が、黒人はけっして自由民と認められなかったため、自由民と白人優越意識が結びつくことになった。貧しい白人たちは、自分が「黒人」でないということによって、「自由民」としてのアイデンティティを手に入れようとしたのだ。
貧乏白人(プア・ホワイト)は「貸し馬車屋の馬」19世紀初期のアメリカにおいて、「白さ」は「自由」「独立」「市民」などの価値を表わすようになった。
南北戦争の時期、北部の左翼的な労働急進派は、「南部の奴隷主が黒人奴隷を働かせる時間はごくわずかであり、おそらくそれは北部の雇用主が要求する時間の半分にすぎない」「南部の黒人はより多くの余暇と自由を享受しており、その暮らしぶりは北部や東部の製造業地域の職工となんら変わらない」と主張した。なぜこのような比較をするかというと、急進的な労働運動家にとっては、南部のプランテーションで黒人が奴隷となっているのと同じく、北部の白人貧困層も資本家の奴隷だったからだ。
「地主や資本家に囚われている奴隷は主人がいる奴隷よりもはるかに劣る状態に置かれている」というのは、当時の劣悪な労働条件からして荒唐無稽な主張とはいえない。白人の「自由民」の実態は「白人奴隷」に近かったのだ。「哀れな黒人(プアー・ニグロ)」は働くことができなくなったとしても保護してくれる主人(マスター)がいる「農耕馬」であるが、貧乏白人(プア・ホワイト)は多くの雇い主(マスター)に貸し出され、すべての主人に酷使され、衰弱しても保護されることにない「貸し馬車屋の馬」なのだ」などの記述に、このことはよく表われている。こうして北部の労働活動家は、問題は「白人奴隷制」であり、黒人奴隷のほうが恵まれているとして、「温情主義」によって奴隷制を擁護することになる。
都市化が進む19世紀初頭、貧しい白人たちは自分たちが「奴隷」になるのではないかとの不安を抱えていた。だからこそ彼らは、「奴隷=黒人」とはちがうという「白さ(whiteness)」に執着するようになった。「白人労働者は「奴隷にあらず」して「黒人にあらず」という自己のアイデンティティをつくりあげることによって、自らの階級的な位置を明確にしてその位置を受け入れることができたのだ」とローディガーはいう。
興味深いのは、こうした黒人への嫌悪が、黒人への憧れの裏返しとなっていたとの指摘だ。
ジョージ・ローウィックは『日没から夜明けまで―アメリカ黒人奴隷制の社会史』で、「黒さ(Blackness)とは、アメリカ資本主義の形成期に、白人たちが放棄しながらなお思い焦がれた以前の生き方を象徴したものになった」と述べている。
ピューリタンの白人たちは、「改心した罪びとがあたかも以前の放蕩仲間に出会うかのように、黒人(ウェスト・アメリカン)に出会った」からこそ「自己の以前の生き方によく似た生き方の黒人と、改心した生き方の自己との間にきわめて大きな差異を見出さねばならない」。これはフロイト流の精神分析の影響が露骨なように感じられるが、ミンストレル劇(白人の役者が顔を黒く塗ってコメディを演じる)が、白人が「白さ」を強く意識するようになった1830年代から流行した背景をうまく説明している。
白人の役者が黒人を演じるようになったのは、人種差別的な風潮によって黒人の芸人や黒人の祭りが排斥の対象になったからだ。しかしこれだけでは、なぜ大衆芸能のなかで黒塗りのコメディアンが人気を博したのかは説明できない。黒人を差別する白人大衆は、その一方で「黒人性の魅力(attractions of black face)」にあらがうことができなかった。「黒さ」は、産業化以前の古き良き時代を体現してもいたのだ。
白人労働者にとって「アメリカ人」であるということは「黒人ではない」ということ「無教養で粗野な」「卑屈で野蛮な」「怠惰で放埓な」「猿もどきで好色な」といった形容詞は、南北戦争以前のアメリカでは、アイルランド系カトリック教徒の「人種」的特徴を示すために用いられた。
南北戦争前のアメリカを訪れたイギリスの旅行者は、「(フィラデルフィアでは)「アイルランド人」呼ばわりされることは、「黒んぼ」呼ばわりされるのと同じくらいひどい侮辱になった」「南部の黒んぼ(カフィー)のほうが北部のアイルランド野郎(バディ)よりも社会的地位が高いように思える」と記している。アイルランド系と黒人が人種的に比較された場合には、黒人のほうが有利に扱われることが多かったのだ。
南部では、アイルランド系移民はプランテーションの水路工事や排水工事、堤防の建設などをやらされたが、このような労働は命を落としかねないほど危険なものだったため、貴重な奴隷財産に(さらにある記述によれば、ラバにも)やらせるわけにはいかなかった。「黒んぼはとてつもなく高価なので、彼らを危険にさらすわけにはいかない。アイルランド人なら船の外に突き落としても損するものは誰もいない」と当時の文書に記されている。
北部でもウースターやフィラデルフィアといった都市に住む黒人とアイルランド系は、(南北戦争前の)1830年代初頭までは良き隣人関係を保ち、さしたる軋轢も起こさなかった。両者はそれぞれの音楽伝統やダンスの仕方を教え合うなどして、ともに祭りで騒ぎ、親交を深めていた。
1869年にイギリスの大学を卒業して渡米し、ジャーナリストとなったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、「南北戦争の直後でさえ、シンシナティにおける黒人とアイルランド系の堤防建設労働者は冗談や民話を語るにも、ジグやリールを踊るにもいっしょだったし、互いの方言や言い回しを使っていた」「黒人男性とアイルランド系女性の恋愛も日常茶飯事だった」と書いている。
しかしその一方で、イギリス人旅行家ジョン・フィンチは1843年に、「自由州の住民の中で黒人に敵意をむき出しにしているのは、民主党とアイルランド系移民内部の貧困層である」という“奇妙な事実”をロンドンの読者向けに報告している。
1845年の大飢饉のあと、悲惨なアイルランド系移民が合衆国に大量に流入した。彼らは最底辺の仕事をして食いつなぐしかなかったが、だからこそ「黒んぼのように働くこと(work like a nigger)」をことのほか恐れるようになった。
アイルランド系移民の多いニューヨーク市では、1850年の選挙で彼らが「黒んぼを打倒せよ」と叫ぶだけでなく、「黒んぼを本来いるべき場所のアフリカに追い返せ」とさえ叫んで投票に行ったと記録されている。1863年のニューヨーク市徴兵暴動において黒人に前代未聞の残虐行為をはたらいたのもアイルランド系だった。そうした襲撃があまりにも頻繁だったので、黒人は自分たちに投げつけられる煉瓦片を「アイルランドの紙吹雪」と呼ぶほどだった。
「白人奴隷」になるのではないかとのアイルランド系の不安を政治的に利用したのが、奴隷制を擁護してリンカーンの共和党と対立した民主党だった。奴隷を所有するプランテーションの地主と奴隷を所有しない白人大衆を団結させるためにも、さらには民主党の南部派と北部派を結束させるためにも、もっとも有効な手段は白人の「血統」意識に訴えることだった。
1840年代と1850年代にはメキシコとの戦争が起こったり、中国系移民が増加したりしたため、民主党の指導者は「有色」人種に対抗してすべてのヨーロッパ系移民を無条件に白人としてまとめあげる人種計画を進めた。民主党の理論家のほとんどは、「黒い」人種と「白い」人種は別々に創造されたとする人類多元発生説を受け入れるとともに、アイルランド系やそのほかの移民を含み込む形で「白さ」を定義づけた。
「白人による、白人のための」政府というポピュリズムは、アイルランド系を包摂するのに好都合だった(彼らは、自分たちを「イギリス人」の同類とみなされることをことにほか嫌った)。一方のアイルランド系も、「アイルランドの黒んぼ」と呼ばれながら生きていくことを避けるために自らの白さを強調した。
このようにして、白人労働者(ホワイト・ワーキングクラス)のアイデンティティがつくられていった。彼らにとって「アメリカ人」であるということは、「黒人ではない」ことと同義なのだ。
ローディガーの『アメリカにおける白人意識の構築』の原題は「The Wages Of Whiteness(白さの代償)」だ。アメリカ社会はその創成期から「白さ」という呪いをかけられており、だからこそメイフラワー号によるピューリタン(清教徒)の移民(1620年)から400年たったいまでも「黒人問題」が繰り返されるのかもしれない。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)など。最新刊は『専業主婦は2億円損をする』(マガジンハウス社)が好評発売中。
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