[参考記事]
●アメリカで20年前に巻き起った「愛国」論争は今の日本とアメリカに様々な教訓を与えている
論争の発端は、哲学者のリチャード・ローティが『ニューヨーク・タイムズ』紙に「非愛国的アカデミー“The Unpatriotic Academy”」という記事を投稿し、「国」という大きな物語を認めない文化サヨク(多文化主義者)を批判したことだった。
これに衝撃を受けた哲学者のマーサ・ヌスバウムが「愛国主義とコスモポリタニズム」を雑誌『ボストン・レビュー』に寄稿し、これに著名な知識人が応答することで「愛国」をめぐる議論が巻き起こった。
前回指摘したのは、この論争においてアメリカの知識人が、自らを「愛国者(パトリオット)」としつつ、「国家主義(ナショナリズム)」を批判していることだ。しかし考えてみればこれは当たり前で、アメリカの歴史観では、第二次世界大戦とはリベラルデモクラシーを守るためにドイツや日本の“偏狭なナショナリズム=ファシズム”と戦った「愛国者の戦争」だった。
アメリカでは、「愛国主義(Patriotism)」と「国家主義(Nationalism)」はまったく別のものと扱われている。アメリカの知識人は誰もが「愛国(パトリオット)リベラル」なのだ。
ところが戦後日本では、愛国的な国家主義運動が国を悲惨な戦争に引きずり込んだとの歴史観から、「愛国」と「国家主義」が同義になってしまった。その結果、「愛国」は右翼の独占物になり、「愛国=国家主義」を批判するリベラルは「非愛国者」すなわち「反日」にされてしまったのだ。
今回は、1980年代後半に(当時の)西ドイツで起きた「歴史論争」から、ドイツにおける「愛国」について考えてみたい。
アメリカの「愛国論争」では、「愛国者でありつつコスモポリタンであることは可能か?」が問われた。保守派の知識人(共同体主義者)は、「生まれ故郷への“愛”を単純に世界全体に広げるようなことはできず、そんな教育はアメリカに対する“愛”を壊してしまう」と批判した。
このとき彼らが拠って立ったのが、アメリカ独立の父祖たちが起草した憲法典だ。保守主義というのはその国の文化や伝統の尊重を求める政治思想だが、アメリカの保守思想とはリベラルで近代的な憲法典の理念を「保守」する立場なのだ。
ここに、近代啓蒙思想の「人工国家」であるアメリカと、日本のように近代以前の歴史のある国とのちがいがある。
フランスの「保守」は、1789年のフランス革命の理念を掲げる政党(共和党)と、中世からの伝統であるカトリックや王政の時代を回顧する政党(国民戦線/FN)に分裂し、それに社会主義政党(社会党)が対峙する構図が前回の大統領選までつづいた。日本の場合、保守派は明治維新、リベラルは米軍占領下での民主化という、日本の近代史のふたつの屈折点のいずれを「保守」するかで定義できるだろう。このように、同じ「保守」であっても、それぞれの国の歴史によって内容は大きく異なるのだ。
アメリカの「愛国論争」では、リベラルな憲法典を保守すべきだという「保守派」と、“愛国”を世界まで拡張すべきだというリベラルなコスモポリタンのあいだで議論がたたかわされた。それに対して今回紹介するドイツの「歴史論争」では、ナチス=絶対悪という硬直した歴史観を相対化し、現代史のなかに置きなおす「国民愛国主義」に対し、これを「歴史修正主義」とする社会哲学者ユルゲン・ハーバーマスらの「憲法愛国主義」が対決した。
ドイツ憲法(基本法)は敗戦後に連合軍の勧告によって制定され、その“戦後憲法”を「保守」するのがドイツのリベラルだ。ソ連崩壊前の西ドイツと東ドイツに分断されていた1980年代後半に勃発した論争だが、その構図はいまの日本とよく似ている。ここで注意すべきは、憲法を守る政治的立場はアメリカでは保守だが、ドイツではリベラルへと「反転」していることだ。
日本の「歴史問題」はアメリカよりドイツに近いが、そこには明らかなちがいもある。
日本の戦後民主主義は戦前と戦後を画然と分け、戦前を「暗黒時代」として描くことで戦後の「光の時代」を際立たせようとしてきた。それに対して保守派は、これを「偽(フェイク)歴史」として、戦前と戦後の連続性を強調することで対抗した。
だがドイツでは(とりわけ歴史論争が起こった冷戦下の西ドイツでは)、こうした「民主憲法批判」は起こりようがなかった。ドイツの現代史にとって「戦前」とはナチスの時代であり、これとの連続性を強調すればネオナチになってしまう。さらに「民主憲法」は、当時の東ドイツや東側諸国とのイデオロギー対決で自らの正当性(自由主義)を示す武器であり、西側陣営に属することの証でもあったのだ。
ホロコーストは「人類史に比較するもののない絶対的な被害」という主張1980年代末の西ドイツで起きた「歴史論争」は『過ぎ去ろうとしない過去 ナチズムとドイツ歴史家論争』(人文書院)にまとめられているが、現在から読み返せば他愛のないものに思える。そこでは、「ホロコーストはなかった」とか「ガス室はなかった」というような過激な歴史修正主義が唱えられているわけではない。
論争の端緒となったのは保守派の歴史家エルンスト・ノルテで、ナチスをドイツ国内の出来事やイギリス、フランスとの拮抗だけで理解しようとするのではなく、スターリン独裁下のソ連との関係で考えてみるべきだと提案した。
1930年代のヨーロッパにはナチスの全体主義にさきがけてソ連の全体主義があった。ヒトラーがユダヤ人の強制収容所をつくる前に、スターリンはソ連を「収容所列島」にして罪のない市民を流刑にしていた。こうした史実を見るならば、ナチスを「20世紀における唯一最大の悪」と見なすのは不適当だ。ナチスが「悪」であることは当然としても、それは1930年代にいくつかある「悪」のひとつだった……。
これがノルテの主張だが、「いったいどこか問題なのか?」と拍子抜けするひともいるだろう。
そこで議論の前提として、ドイツにおける「正しい歴史」とはなにかを押さえておこう。それは、エーバーハルト・イェッケルの「想定家たちの不毛なやり口 ナチスによる犯罪の唯一性は否定しえない」という反論によく表われている。
「ユダヤ人に対するナチスによる殺戮が唯一独自のものなのは、史上いまだかつて一つの国家がその責任ある指導者の権威をもって、ある一定のグループの人間を、老人、女性、赤子をふくめて、可能なかぎり余すことなく殺害することを決定しかつ告知したことなどなかったからである」
筋金入りのリベラルであるイェッケルにとって、ホロコーストでユダヤ人が体験したのは「人類史に比較するもののない絶対的な被害」であり、それをスターリンの強制収容所と比較しようとすることは許しがたい「歴史修正主義」なのだ。
ここで付言しておくと、「ホロコーストの唯一性」はいまでもドイツにおける「政治的に正しい歴史観」で、これを相対化しようとする者は保守派/右翼、場合によっては「極右」と見なされる。
だがこれが、日本のリベラルの主張を不安定なものにしている。リベラルはしばしばドイツの戦争責任と比較して日本政府を批判し、それに対して保守派は、「ナチスのホロコーストを日本軍のありふれた行為と同一に扱うわけにはいかない」と反論する。この場合、日本の保守派の立場がドイツではリベラルで、日本のリベラルはドイツでは「歴史修正主義」へと反転してしまうのだ。
日中の「歴史戦争」において、習近平主席がベルリンのホロコースト記念碑を訪問しようとしてドイツ政府に断られるということが起きた(2014年)。だがこれもドイツが日本に配慮したわけではなく、ホロコーストと南京事件を比較するような発言をされ、「ナチスの犯罪の唯一性」に抵触することを危惧したからなのだろう。
ドイツのリベラルは「国民愛国主義」ユルゲン・ハーバーマスは歴史論争の発端となった「一種の損害補償 ドイツにおける現代史記述の弁護論的傾向」で、ノルテとともに現代史家のアンドレアス・ヒルグルーバーを批判している。
ヒルグルーバーは敗戦間際の東部戦線を叙述するにあたって、次のような原則を述べた。
「歴史家は、ドイツ東部の民衆のリアルな運命、そして東部方面のドイツ陸軍、ならびにバルト海域のドイツ海軍の絶望的で多大な犠牲を伴った努力と同一化しなければならない。彼らドイツ軍は、赤軍の際限のない復讐劇、大規模な強姦、恣意的な殺戮、そして見境のない抑留からドイツ東部の民衆を守り、そして……民衆のために西への脱出路を確保しようと努めたのである」
そのうえでヒルグルーバーは、東部戦線とは切り離して「ヨーロッパ・ユダヤ人社会の終焉」を描いたのだが、これが「歴史修正主義」と批判されることになる。なぜなら、ドイツ軍が東部戦線を持ちこたえているあいだ、強制収容所ではユダヤ人が“絶滅”されていたのだから。
ノルテもヒルグルーバーも保守派の歴史家だが、ナチスの犯罪を否定しているわけではない。ヒルグルーバーは新聞のインタビューで「道徳的には第三帝国は、無数の犯罪、なによりもユダヤ人への大量虐殺を特徴としています。まじめな歴史家でそのことを疑問に付すような人はいないでしょう」と述べており、そのうえでナチズムとスターリニズムを比較することは歴史学の研究の自由の範疇であり、「学問にとって提起してはならない問題はあってはならない」と述べているのだ。
彼らの意図がハーバーマスのいうように、ナチス時代の歴史によってアイデンティティを傷つけられたドイツ国民の「一種の損害補償」だとしても、「歴史修正主義」とのレッテルを貼って議論を封じようとするのはどうだろう。だがこれはナチ時代の当事者が存命していた1980年代のことで、現在なら「住民の観点から、また戦うドイツ軍の観点から東部戦線の崩壊を総括的にスケッチすること」は問題にもならないかもしれない。
いずれにせよ、どの国も“光と徳の物語”なしに国民をひとつに統合することはできない。日本やドイツのような第二次世界大戦の敗戦国は、列強の植民地にされた国々と同様に、この“栄光の物語”をつくるのに苦闘している。
ハーバーマスのようなリベラルにとってこの物語は「戦後の民主憲法」になるのだが、やはりそれだけではひとびとの琴線に触れるものにはならないようだ。こうして、ナチスの悲劇を乗り越えて国民の物語を創造しようとする「国民愛国主義」が登場することになったのだろう。
1945年8月9日、日ソ中立条約を破棄したソ連軍は日本に宣戦布告、満州国や千島・樺太を急襲した。ソ連参戦の時期を予期できなかったソ満国境の日本軍(関東軍)はたちまちソ連軍に蹂躙され、満州国の首都・新京(現在の長春)もソ連機の空襲を受けて市民のあいだに不安が広がった。当時、新京の人口は90万人を超え、約15万人の日本人が暮らしていた。
翌10日、新京駅では軍服姿の男たちが家族らしい女性や子ども、老人たちを列車に載せようと右往左往していた。市民たちが切符を求めようとすると、「すべて軍用で切符は出せない」の一点張りだった。この混乱は、軍の関係者を優先的に避難させるためのものだった。
「最強」と呼ばれた満州の関東軍だが、主力部隊をフィリピンなどの戦いに引き抜かれ、戦争末期には張子の虎状態だった。そのうえ敗戦を覚悟した日本政府は、ソ連のスターリンに米英との仲介を依頼し、「国体」を維持することに一縷の望みを賭けていた。そのため大本営と日本政府はソ連との本格戦争を避け、関東軍に北朝鮮との国境に近い通化まで撤退することを命じる。それにともなって軍は、自分たちの家族を優先的に避難させようとしたのだ。
軍人家族につづいて避難を始めたのは、満州国の官吏と満州鉄道社員の家族だった。しかし一般住民をさらに驚愕させたのは、軍人家族より先に当の関東軍が秘密裏に退却を始めていたことだった。
その結果、満州各地で凄惨な光景が繰り広げられた。
8月12日、避難中の満蒙開拓団はソ連軍との交戦に巻き込まれ400人あまりが死亡している(麻山事件)。13日には新京からの避難民を乗せた列車が暴徒に待ち伏せされ、強姦を逃れようとした100人以上の女性たちが崖から飛び降りて自殺した(小山克事件)。14日には満州国北西部の興安から避難していた1200人の日本人女性と子どもたちがソ連軍の戦車部隊の急襲を受け、1000人以上が戦車でひき殺され、機関銃で射殺された(葛根廟事件)。これ以外にも史実に記載されない惨劇は数多く、満州在住の日本人155万人うち25万人が引き揚げにあたって死亡し、幼い子どもの多くは中国人に売られて残留孤児となった。
これらの悲劇にはソ連軍の責任を問うべきものがあるとはいえ、満州の荒野で死んでいった日本人や遺族のいちばんの思いは、「なぜ日本軍がそこにいなかったか」だろう。その理由は明白で、戦前の日本軍は「皇軍」すなわち天皇の私兵であり、その目的は「国体」を守ることで、市民・国民を守ることではなかったからだ。本土決戦に備えて軍の消耗を避け、市民を見捨てることは、日本政府や軍部にとって当然の選択だったのだ(半藤 一利『ソ連が満洲に侵攻した夏』、井上卓弥『満州難民』)。
それに対してドイツでは、「東部戦線においてドイツ軍は、国民を赤軍(ソ連軍)の暴虐から守るために雄々しく戦い全滅した」とされている。“栄光あるドイツ軍”は、「(オーストリア出身の外国人である)ヒトラーとその取り巻きのカルト集団」に国を乗っ取られ、不本意な戦いを強いられたが、それでも最後まで市民の盾になろうとしたのだ。こうしてドイツでは、ナチスに対してはどのような批判もかまわないが、ドイツ軍を侮辱するような言動は強いタブーになっている。
戦後、ドイツのリベラルは「憲法愛国主義」を掲げたが、日本のリベラルは「愛国」を強く嫌悪した。同じ戦争末期において、ドイツ軍が東部戦線でドイツ住民の生命を救おうとしたことと、関東軍が満州で日本人を見捨てたことのちがいが、それぞれの国の「愛国」に大きな影を落としている。
軍備を放棄して自国を丸裸にするような「平和憲法」がこれほど長く戦後の日本人に支持されてきた理由も、この体験から理解できるかもしれない。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)など。最新刊は『80's エイティーズ ある80年代の物語』(太田出版)が好評発売中。
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