2017年に日本で公開されたイギリス・アメリカ合作映画『否定と肯定』は、イギリスの歴史学者デイヴィッド・アーヴィングから訴えられたアメリカのホロコースト研究者デボラ・E・リップシュタットと弁護士たちの法廷闘争を描いている。すでにDVDになっているから、観たひとも多いだろう。

 この映画が注目される背景に、トランプ大統領誕生があることは間違いない。トランプを熱烈に支持する白人至上主義者の多くはフェイクニュースを信じる「陰謀論者」であり、(ユダヤ系の支配する)マスメディアはウソばかり報じ、ネットに流通する偏向した主張こそが真実だと思っている。そのうえ、どれほどそれが事実に反していると説明してもいっさい気にしない。

 こうした態度は、ホロコーストを否定するひとたちとものすごくよく似ているのだ。


「否定に肯定を対置してはならない」

 映画『否定と肯定』の邦題には問題がある。原題の“Denial(否定)”にどういうわけか「肯定」を加えているのだ。なぜこのようにしたのかはわからないが、これによって映画のテーマが大きく損なわれている。

 映画の原作となったのはリップシュタット自身が裁判体験を記録した“DENIAL Holocaust History on Trial(否定 裁判にかけられたホロコーストの歴史)”だが、この邦訳本も(映画に合わせての発売だから仕方のないことだが)『否定と肯定』(ハーパーBOOKS)とされている。

 裁判の原因となったのはリップシュタットが1993年に発表した“Denying The Holocaust(ホロコーストを否定する)”の記述で、こちらは『ホロコーストの真実 大量虐殺否定者たちの嘘ともくろみ』(恒友出版)のタイトルで邦訳されている。このいずれにも“Deny”が使われていることからわかるように、この言葉には著者の強い主張が込められている。

「アウシュヴィッツにガス室はなかった」というような主張は、一般に「歴史修正主義(Historical revisionism)」と呼ばれるが、リップシュタットは、歴史家の仕事は通説を見直す=修正することにあるのだから、この呼称は適切ではないとする。

 エルヴィス・プレスリーは1977年に42歳の若さで世を去ったが、その死因については過食やドラッグの乱用、心臓病などさまざまな説がある。

しかしその一方で、あまりに若すぎる死を受け入れられない熱烈なファンがいる。1990年代の世論調査によると、「エルヴィスはどこかでひっそりと生きている」という伝説を信じているのはアメリカ人のなんと2割もいるという。

 この例では、エルヴィスの死因をドラッグ乱用とする通説に対して、毛髪などのDNA解析によって遺伝性の心臓病が原因だとするのが「歴史の修正」だ。それが正しいかどうかは別として、新たな知見によって歴史は更新され、修正されていく。

 それに対して、「エルヴィスは生きている」というのは歴史=事実の否定だ。修正論者とは大いに論争すべきだが、否定論者と議論することにはなんの意味もない。彼らはたんに「もういちどエルヴィスに会いたい」という夢を見ているだけで、死亡の証拠をいくら並べたところで見たいものを見るだけだ。

 自由な社会では、事実であるかどうかにかかわらず、どのような主張をするのも自由だ。「エルヴィスは生きている」という夢を見るファンの権利を他者が侵害することはできない。

 そしてこれは、ホロコースト否定論者についても同じだと、自身がユダヤ人であるリップシュタットはいう。ドイツのようにホロコースト否定を法で禁じているところもあるが、言論の自由が憲法で保障されたアメリカでは、「ホロコーストはなかった」と主張する者たちの活動を公権力が規制することはできないし、そうすべきはない、というのが彼女の立場だ。

 だったら何が問題なのかというと、歴史の修正と否定を同列に並べて、「否定派にもホロコーストについて議論する権利がある」とするひとたちがいることだ。

彼らはネオナチや極右というよりも、多くの場合リベラルなマスメディアだ。

 メディア関係者は視聴率目当てに、リップシュタットとホロコースト否定論者を対決させる企画を持ち込んでくる。そのときの根拠がリベラリズムで、「異説を拒絶するのではなく、事実でもって誤りを指摘すべきだ」ということになる。

 これは一見正論だが、否定論者は自説を撤回するつもりはなく、こうした番組やイベントを自分たちのPRの場としか考えていないのだから、そのようなところに出ていく理由はない。リップシュタットは「ホロコースト否定論者を批判するが論争はしない」を原則としており、だからこそアーヴィングに訴えられて、裁判の場に引きずり出されることになった。その映画の邦題を『否定と肯定』にしてしまっては、「否定に肯定を対置してはならない」というリップシュタットの主張を、それこそ否定してしまうのだ。

ユダヤ人の虐殺はヒトラーの知らないところで行なわれたと主張するアーヴィング

 リップシュタットと対立するデイヴィッド・アーヴィングはイギリスの歴史家で、1963年に25歳で発表した『ドレスデンの破壊』で高い評価を得た。この本でアーヴィングは、連合国を善、ナチスドイツを悪とする戦後の歴史観に異を唱え、ドレスデン市街を灰燼に帰し多数の市民が犠牲になった(死亡者数は2万5000人から15万人まで幅がある)連合国の戦争行為を強く批判している。その後、1977年の『ヒトラーの戦争』(早川文庫NF)ではヒトラーの「悪魔化」に異を唱え、ヒトラーがホロコーストを命じた文書が存在しないことから、ユダヤ人の虐殺はヒトラーの知らないところで行なわれたと主張して大論争を巻き起こした。

 ここまでなら毀誉褒貶はあるものの、アーヴィングは通説に異を唱える修正主義者であり、一般読者だけでなく歴史家のあいだでも高く評価する声があった。しかしその後、「ヒトラーはホロコーストを知らなかった」という主張は「ホロコーストはなかった」に変わっていく。

 ただしリップシュタットは、『ホロコーストの真実』のなかでアーヴィングを代表的な否定論者として扱っているわけではない。

アーヴィングが出てくるのは数カ所で、たとえばこんな感じだ。

「ナチ総統の熱烈な崇拝者であるアービングは、机の上にヒトラーの肖像画を飾り、ヒトラー山荘の訪問を聖地巡礼と称し、ヒトラーは繰り返しユダヤ人に救いの手を差しのべた、と主張した。

 1981年、“穏健ファシスト”を自称するアービングは、将来イギリスの指導者になるとの信念にもとづき、自分で右翼政党をつくった。イギリスがナチスドイツに戦争を仕掛ける愚を犯したため、転落の一途をたどっていると確信する超国家主義者であり、英独間の戦争をストップしようとした行為により、ルドルフ・ヘスにノーベル平和賞を与えるべしと提唱する男である。ヒトラー遺産の継承者をもって自任しているふしもある」

 それぞれの指摘には出典も示されているが、アーヴィングはこれを重大な名誉棄損と考え、イギリスの裁判所にリップシュタットを訴えた。アメリカでは、名誉棄損の立証責任が原告側にあるが、イギリスでは逆に被告側が原告の主張は事実無根だと証明しなければならない。こうしてリップシュタットは困難な裁判に巻き込まれていくことになる。

 アーヴィングはけっきょくこの訴訟に負けるのだが、それでも大きな威嚇効果をもったことは間違いない。

 裁判が始まったのが2000年1月、判決が言い渡されたのが同年4月11日だから裁判そのものは迅速に行なわれたものの、リップシュタットのもとに訴状が届いたのが1996年9月で、法廷に出るまでの準備に3年4カ月が費やされている。

 リップシュタット側の事務弁護士はダイアナ妃の離婚を担当した著名なアンソニー・ジュリアスで、ノーベル文学賞を受賞した詩人T.S.エリオットの反ユダヤ主義についての著作もあり、自ら無償で弁護を買って出た。だがその後、裁判が「ホロコーストの嘘」を全面的に法廷で争うという前代未聞のものになるにつれ、専門家やリサーチ担当者、その他のスタッフへの支払いが必要になり、費用を請求しなければ弁護団を維持できなくなった。「特別料金」で大幅に値引きされたものの、リップシュタットに届いた第一回の請求金額は160万ドル(約1億8000万円)だった。

 この裁判費用はアメリカのユダヤ団体などが負担したが、誰もがこうした支援を受けられるわけではない。それに対してアーヴィングは、「自分以上に自分を弁護できる者はいない」という理由で弁護士を雇わず本人が法廷に立った。イギリスの名誉棄損裁判では、原告は立証責任を負う被告の質問に答えればいいので、こうしたことも可能なのだ。そのためリップシュタット側から協力を求められたホロコーストの専門家のなかには、アーヴィングからの訴訟を懸念して協力を断る者もいたという。

映画には原作本にはない演出がある

 映画『否定と肯定』は、原告であるアーヴィングを演じたティモシー・スポール(『ターナー、光に愛を求めて』で第67回カンヌ国際映画祭・男優賞)の名演もあって、ホロコースト否定をめぐる“世紀の裁判”が緊迫感をもって描かれている。だがそこで気になったのは、制作側の演出だ。

 映画の冒頭、リップシュタットがホロコーストについて講演している場にアーヴィングが現われ、「議論もしないで否定論者を侮辱するのか」と会場から大声で抗議し、宣戦布告する場面がある。予告編にも使われている印象的なシーンだが、原作を読むとこのような事実はない。リップシュタットがアーヴィングにはじめて会ったのはロンドンの法廷だ。

 もちろん娯楽映画なのだから、多少の演出が必要なのは理解できる。冒頭に敵役のアーヴィングを登場させなければ、そもそも物語が始まらない。それに加えてこの映画は、最初から大きな制約を課せられていた。

 裁判ものの定石として、そのクライマックスは「正義」のリップシュタットと「悪」のアーヴィングの法廷での対決シーンだと誰もが思うだろうが、この作品ではそれが禁じられている。アーヴィングは法廷で自説を開陳するために、自分で自分を弁護する本人訴訟を選んだ。そのアーヴィングとリップシュタットが法廷で議論するようなことになれば、まさに「否定と肯定」の図式で、相手の思うつぼにはまるだけだ。そのため弁護側は最初から、リップシュッタットは法廷には出るもののいっさい発言しないことに決めていた。

 法廷戦術としてこれは当然だが、そのため法廷場面をドラマティックに演出するのがきわめて難しくなってしまった。娯楽作品にするためには、ドラマは裁判外の出来事でつくるしかないのだ。

 イギリスの裁判では、裁判前に原告と被告が必要な証拠を開示することになっている。アーヴィングは1500件近い膨大な開示リストを提出したが、そこには娘の誕生を録画したビデオなど、事件とはなんの関係もないものも含まれていた。弁護側はそうした開示資料をすべて精査しなければならないが、それに加えて必要な証拠を請求することもできる。

 リップシュタット側は、書簡とともに個人的な日記の閲覧も請求した。アーヴィングは抵抗したものの、裁判所が認めたため、プライベートな記録を弁護側に開示せざるを得なくなった。

 こうして映画では、弁護士事務所の若いスタッフがアーヴィングの自宅を訪れ、日記を「押収」する。

私はこの場面を見て、イギリスではほんとうにこんなことが行なわれているのか驚いたのだが、原作の『否定と肯定』を読むとこれも演出だ。アーヴィングは、裁判所の決定に従って自主的に日記を提供している。

“実話”を謳う映画が演出ばかりでは主題までもフェイクと言われかねない

 映画『否定と肯定』では、アウシュヴィッツの生存者(サバイバー)である老女が裁判の傍聴に来ていて、腕に刺青された番号を見せて「自分に証言させてほしい」と迫る場面がある。

 リップシュタットは弁護士たちに「生存者を証人に呼ぶべきだ」と力説するが、アーヴィングを利するだけだと一蹴される。著名な否定論者の一人であるドイツの出版業者エルンスト・ツンデルの裁判ですでに生存者との対決が行なわれており、裁判官が止めないのをいいことに、被告側は証人がほとんど知らない細々とした質問をして好きなようにいたぶっている。生存者を法廷に立たせたら、アーヴィングは嬉々として同じことをするだろう、というのだ。

 リップシュタットの正義感と挫折を描く印象的な場面だが、じつはこれも演出で、ホロコーストの専門家である彼女は、当然のことながら否定論者の“蛮行”を知っており、弁護側の方針として、生存者には証言させないことがあらかじめ決まっていた。そのうえこれは、ガス室があったかどうかの裁判だから、一般の生存者には証言することができない。――ガス室を見た者は、ゾンダーコマンドという特殊作業員のわずかな生き残りを除いて、みんな死んでいるのだ。

 もちろん、映画のすべてが演出というわけではない。

 裁判の初日が終わったとき、リップシュタットは法廷を出たところで小柄な老婦人に腕をつかまれた。彼女は片腕を突き出し、袖を肘までまくりあげ、前腕に刺青をされた数字を指さしていった。
「あなたはわたしたちのために戦ってくれている。わたしたちの証人よ」

 リップシュタットはこの言葉を、激励だけでなく警告とも受け取った。“勇気を出してがんばって。でも、何をするにしても、わたしたちを落胆させないで”。

 この実話でもじゅうぶん印象的だと思うのだが、娯楽映画にする以上、やはりさらなる演出が必要だったようだ。

 誤解のないようにいっておくと、私は「実話に基づいた映画」が演出を加えてはならないといっているのではない。だがやはり気になるのは、『否定と肯定』がフェイクをテーマにしているからだ。

 リップシュタットが弁護士たちとともにアウシュヴィッツを訪れ、ヘブライ語で追悼の祈りを唱える印象的な場面は実話だが、それ以外は、冒頭のアーヴィングからの宣戦布告も、アーヴィングの自宅に日記を「押収」に行くことも、サバイバーから証言を迫られる場面も、法廷外の記憶の残るシーンの多くは演出だ。これは事実ではないのだから、すなわち「フェイク」ということになる。

 もちろん制作者は、法廷場面には手を加えていないというだろう。実際、アーヴィングと法廷弁護士であるリチャード・ランプトン(イギリスでは事務弁護士と、法廷に立つ弁護士が分かれている)のやりとりはリップシュタットの原作に書かれているとおりだ。法廷外の出来事まで事実しか描けないのなら、娯楽映画ではなくドキュメンタリーになってしまうし、それでは多くのひとに観てもらえないというのもその通りだろう。

 だが否定論者は、この映画に対して次のようにいわないだろうか。

「あれも演出、これも演出、“実話”をうたっているがウソばかりだ。当然、リップシュタットが裁判で勝ったというのも演出だ」

 この主張には一部の事実(ファクト)が含まれている。そして「陰謀」は、こうした事実の上につくられていくのだ。

映画では描かれていない原作本の印象的な場面

 原作の『否定と肯定』には、映画では描かれていない印象的な場面がある。

 身体に障がいを持つアーヴィングの娘が、裁判の2、3カ月前に38歳で亡くなった。新聞には自殺と出ていた。葬儀のあとで家族のもとに白薔薇と百合の豪華な花束が届いた。添えられたカードに、“まことに慈悲深き死”と書かれ、“フィリップ・ボウラーと友人たち”という署名が入っていた。ボウラーは、心身に障がいのあるドイツ人を安楽死させる計画の監督を任せられていたナチスの医師の名前だ――。

 アーヴィングは、リップシュタットの著書によって被った影響として法廷でこの話をし、自分こそがユダヤ社会から憎悪を向けられた被害者だと訴えた。それを聞いてリップシュタットは、添え状の件はあまりに出来すぎていて、アーヴィングのつくり話ではないかと疑う。

 だがその直後、実の娘を悲劇的な状況で亡くしたばかりの相手をそんなふうに思う自分にやましさも感じる。そして、アーヴィングへの怒りが憎悪に変わるのを抑える努力をしなければならないと思う。被害者が加害者に憎悪を向けるのは当然だが、多くの場合、それはかえって被害者を苦しめることになる。加害者は被害者のことなどまったく気にしていないからだ。

 これは「加害と被害の非対称性」を考える重要な場面だと思うが、うまく映像化はできなかったようだ。

 映画に出てこないスリリングな出来事としては、イスラエル政府から「門外不出」とされていたアドルフ・アイヒマンの手記を入手する場面がある。

 親衛隊中佐としてユダヤ人の強制収容所への大量移送を指揮し、戦後はアルゼンチンに逃れたアイヒマンはイスラエルの諜報機関モサドによって拘束され、エルサレムで裁判にかけられる。これが世界の注目を集めた「アイヒマン裁判」だが、死刑に処せられる前にアイヒマンは独房で手記を書いていた。

 裁判後、イスラエル政府は、アイヒマンの証言が裁判記録としてすべて残されているのだから、これ以上その主張を公表する義務はないとして手記を封印した。そのため関係者以外は誰も読んだことがなかったのだが、たまたまリップシュタットの友人夫妻と3人の子どもがロンドンを訪れていて、アイヒマンの手記が証拠になるかもしれないという話を聞いた子どもの一人が、「イスラエルに手記の閲覧を申請すればいいんじゃないの」といった。驚いたことに、これまで誰もそれを試した人間はいなかった。

 そこでリップシュタットが、知人の伝手を使って、裁判の証拠として請求したところ、イスラエル政府から手記が送られてきたのだ。

 これほどドラマに相応しい話はないと思うのだが、残念なことに、リップシュタットの原作にも、アイヒマンの手記になにが書かれていたのかは出てこない。これはイスラエル政府から、手記の利用は裁判目的に限るとされたからのようで、そのため映画にも使えなかったのかもしれない。なおアーヴィングは、裁判の当事者としてこの貴重な手記を入手している。

敗訴によってアーヴィングの声望は地に堕ち社会的に葬られた

 2000年4月11日、ホロコースト否定論を徹底的に検証したこの裁判の判決で、裁判官は「証拠に関する客観的検証から導きだされる結果を大幅に偽って伝えている」としてアーヴィングの主張をことごとく退け、リップシュタットの全面的な勝利を宣言した。この判決をイギリスの新聞は、「アーヴィング、嘘つきの人種差別主義者として歴史に名を残す」(ガーディアン)、「歴史家としてのデイヴィッド・アーヴィングの評判が打ち砕かれる」(ロンドン・タイムズ)と報じ、アーヴィングの声望は地に堕ち、社会的に葬られることになった。これ以降、西欧社会では「知識人」を自称する者がガス室を疑うことはできなくなった。

 この判決でアーヴィングは、訴訟費用200万ポンド(約3億円)を支払うように命じられてもいる。アーヴィングは破産し、弁護側は売却できそうな歴史資料のコレクションまで差し押さえたが、日本と同じくイギリスでも債権回収は困難なようで、破産関係の専門家と相談した結果、それ以上の追及に時間と労力をつぎ込むのはやめたとういう。

 こうして裁判は勝利で終わったものの、リップシュタットも認めるように、だからといってホロコースト否定論者がいなくなったわけではない。そもそも彼らは、「ホロコーストはなかった」という“夢”を見ていたいだけだから、事実を突きつけることだけでは限界があるのだ。――彼らがなぜこのような主張をするのかは、あらためて考えてみることにしたい。

 アーヴィグは2005年に、1989年に行なった演説がホロコースト否認を禁じる法に違反したとしてオーストリアで逮捕され、(リップシュタットを訴える前の)1991年から考えを変えたと主張し、「ナチスはたしかに数百万のユダヤ人を殺害した」と抗弁したが認められず、2006年に3年間の服役という判決を受けた。

 けっきょくアーヴィグにとって、歴史とは、自分が有名になるためならどのように改変してもかまわないものだったようだ。

橘 玲(たちばな あきら)

作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)、『橘玲の中国私論』の改訂文庫本(新潮文庫)など。最新刊は、『朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書) 。

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