「SNS依存」と聞いて「自分のことだ」と思う人も少なくないだろう。その反動なのか、ある日突然、ぱったりとSNSを辞めてしまう人もいる。
それを放棄する心理とは?
SNSをやっていると、多かれ少なかれ人の輪が広がっていく。人とのコミュニケーションがSNSの醍醐味(だいごみ)であり、対面して話し合う現実とは違った、しかし確固たる世界がネット上にも展開されている。
SNSは21世紀に普及した新種の人間関係の在り方であり、不慣れなツールに人類みな手探りという感でSNSいじめやSNS依存といった社会問題も見られるが、とりあえず楽しいので老若男女がたしなんでいる現状である。
SNSは人間関係と書いたが、意図してぶち壊そうと思うかあるいは相当な下手を打たない限り人間関係はながらく続いていくものであり、これがSNSにも当てはまる。現実世界とSNSの大きな違いは、SNSはログインしなくなれば人間関係を断つことになる、という点である。
まあそのせいで、「匿名だしやばくなったらアカウント消せばリアルには関係ないし大丈夫っしょ」と、SNSにまつわる全ての責任を放棄して生き方をゆがませる人もいるのがネットの闇なのだが、常識的な人はまずネットだろうが匿名だろうがアカウントを己の分身と扱って、誠意をもって運用していくものである。
しかし常識的な誠意を持ち合わせていて、かつSNSにそれなりにどっぷり漬かっている人でもSNSをやめてしまうことがある。自分が属するひとつの人間関係、およびコミュニティーを放棄するのだから本人にとってはちょっとした事件である。SNSをやめるに至る経緯や心理とはどういうものなのかを掘り下げていきたい。
なお、今回紹介するのは「SNSをそれなりにどっぷり利用していたけれどやめた人」に限っている。
読む量が増えていき
最近では死語扱いになっている“ROM専”という言葉だが、なぜかツイッター界隈ではまだ使われているらしい。ROM専とは「読み専門」を意味していて、ツイッターならツイートをせずに(何かをつぶやかずに)、タイムラインを追うだけの人(人のツイートを読むだけの人)ということになる。
Aさん(36歳男性)はツイッターをやっていて、ごくまれにツイートをするがほぼROM専といっていい関わり方をしていた。しかしタイムラインに表示される他人のつぶやきはまめに追っていて、通勤、休憩、トイレ、自宅で、暇さえあればツイッターを開いていた。そして心に響いたツイートには積極的に“いいね”やリツイートを、場合によってはフォロワー(知り合い)へのリプライ(返信)もしていたので、ほぼROM専とはいえAさんはフォロワー間でかなり存在感があった。
「自分から何か発信したいものを持っているほど大層な人間じゃないのでROM専でした。フォロワーさんは私のようなこだわりは特にないようで、日常の取るに足らないことをツイートしていましたが、それを見るのは面白かったんです。ただ自分がその気になれないというだけで」(Aさん)
海外ドラマが好きで、同じ趣味の人たちを中心とした人の輪は徐々に広がっていった。
「最初の頃のフォロワー数は30人くらいで、半年くらいそのままでした。落ち着いていて、中には過激な発言をする人もいるけどそれもキャラとして受け入れられていた。
ツイッターを始めて2年くらいたち、好きなドラマの新シーズンが始まって、同好の士を探しているうちにフォロワー数が50人くらいに増えました。ちなみに自分は相互フォローが基本です」
相互フォローとはお互いにフォローしている「知り合い」の状態のことを指す。
「フォロワーが増えるといろんな人がいろんな意見を言っているのを見るのが楽しいのと、知り合いがたくさんいること自体の楽しさというか、それにも気づいてしまって、『もっと知り合いを増やしたい』と思うようになりました」
知り合いが多いことがステータスとなりうるのはツイッターに限った話ではなく、SNS全般に見られる現象である。中高生などの若い世代では特に顕著で、「知り合いが多い方が偉い」という基準の下に格付けが行われることもある。
「それからは、積極的にフォロワー数を増やそうと活動するようになりました」
フォロワー数が100人を超えるとタイムラインの情報量はかなりのものになった。フォロワー数がもっと多いアカウントも珍しくはないが、Aさんは一人ひとりのフォロワーとみっちり向き合おうとしたから大変だった。
「フォロワーが増えてツイッターがさらに楽しくなりましたが、使命感、義務感も強くなりました。フォロワーさんのツイートはひとつ残らず目を通さなくてはいけないと気負っていて、意識してはいませんでしたがプレッシャーを感じてもいたと思います」
仕事などで忙しいのが続く1週間、ツイッターの確認はAさんにとって大きな負担となった。
「なんとか時間を確保して少しずつ未読のツイートを消化していくのですが、100人分のツイートですからどんどん新しいのが更新されていって一向に追いつく気配がない。ツイートに目を通せていない罪悪感があり、『最近タイムライン追えてなくてすみません』とツイートしたこともあります。
忙しい週は苦肉の策で週末に一気に取り戻すことにして、それで一段落つけていました」
課題に追われる勤勉な学生さながら、Aさんは生活を続けた。
しかしある週末のこと。みっちり予定が詰まってしまいツイッターを開く時間すら持てなかった。
「率直にいって、疲れているときにタイムラインを追う作業は『面倒くさい』です。『またあれをやらなくちゃいけないのか』と。
それと、月曜を迎えてタイムラインが追えていないことへの罪悪感はひとしおでした。自分の方で勝手に気まずさがあって、ツイッターを開くのがなんだかこわいというか、壁を感じてしまい、それ以来ログインすることはなくなりました」
Aさんなりの真摯(しんし)さで向き合ってきたからこその揺り戻しがここできたようである。
「始めたての頃のように、フォロワーがもっと少なかったら続けていたと思います。あるいは自分に流し読みするくらいの、いい意味での適当さが備わっていれば続けていたのかも。
『また同じ趣味の人とSNSで盛り上がりたい』『仲が良かったあのフォロワーさんとまた交流したいな』という気持ちはまだあります。でもいきなりログインしなくなった手前、急にログインし直すのもなんだかバツが悪いので、せずじまいです」