ベトナムでは、カフェにパソコンなどを持ち込んで仕事や勉強をしている人がかなり多い。ベトナム在住17年の中安昭人さんもそんななかのひとりです。
これまでカフェでパソコンを放置したまま席を立っても、いちども盗難にあったことがなかった中安さんが、友人に聞いたパソコン盗難話。ベトナムのカフェは安全なのでしょうか、それとも危ない?

「実は、先日カフェでノートパソコンを盗まれてしまったんですよ」

 こう切り出したのは、ホーチミン在住の日本人男性・Aさん(48歳)。カフェで仕事をしていたときにトイレに立ち、席に戻ってきたらテーブルの上に置いてあったノートパソコンが消えていたのだという。

「ベトナム在住10年目になりますが、盗難に遭ったのはこれが初めてです」

 私自身、カフェで3時間、4時間と長時間仕事をすることが多い。当然、トイレに行くこともある。その際、ノートパソコンは机の上に置きっぱなしだ。

 そういうことを、かれこれ17年ほど続けてきて、一度も盗難に遭っていないので、「ベトナムのカフェは安全だ」と信じ切っていたのである。それだけにAさんの話には驚くと同時に興味を持ち、詳しい状況を聞かせてもらうことにした。

落ち着いた雰囲気の店内でまさかの犯行

 彼が仕事をしていたのは「ザ・コーヒー・ハウス」という人気カフェチェーンのチャンナオ通り支店だ。ホーチミンシティの中心部から少し外れた2区にある。定員は50人程度で、カフェとしては中規模の部類に属するだろう。同チェーンはコーヒー1杯が2万9000ドン(約140円)~で、これはベトナムのカフェのいちばんのボリュームゾーンだ。

「私が入店したのは平日の朝8時半頃です。1時間くらい仕事をしたところでトイレに立ちました。その時点で店内は8割くらい埋まっていたでしょうか。私と同じようにパソコン作業をしている人は少なくなく、パソコンを置いたままで席を離れることに不安は感じませんでした」(Aさん)

 ところが数分後、戻ってきたときに、パソコンが消えていたのだ。テーブルに電源アダプタは残っており、持ち去られたのは本体だけ。すぐに店内を見渡したが、ノートパソコンを抱えた不審な人影はない。

「店長さんに話をすると、彼は『それは大変!』と言うやいなや、すぐにお店を出て左のほうに走り始めたんです」(Aさん)

居直る犯人に店長と警察官の2人で対応

 後で店長のテーさん(27歳)に話を聞いたところ、その時の事情をこう説明してくれた。

「こういう仕事をしていると、徐々に、『いい人』と『そうでない人』の区別ができるようになります。Aさんのすぐ近くに座っていた男性客は、それまでにも何度か店に来たことがあって、あまり印象が良くなかったんです。Aさんの話を聞いて、彼の座っていた席を見ると、案の定、姿が見えません。それで『盗ったのは彼に違いない』と、即座に思いました。彼がお店を出て左のほうに行った記憶があったので、追いかけたんです」

 そのとき、偶然、店内には緑色の制服を着た公安(日本の警察に相当)職員がいて休憩をしていた。

店員さんから置き引き事件のことを聞いた彼は、加勢すべく店を飛び出すと、バイクに乗って店長の後を追いかけた。

「お店から数百メートルのところで、チャンナオ通りから脇道に入っていく男性客の姿を見つけることができました。彼を呼び止めると、最初は『これは自分のパソコンだ』って言い張るんです。しかし『いや、それは別のお客さんのものだ』と詰問をすると、今度は『パソコンは返すよ。これでいいだろう』と立ち去ろうとしました。例え盗ったものを返しても犯罪は犯罪ですから見逃すわけにはいきません」(テーさん)

 そうこうするうちにバイクに乗った警察官も到着した。そこで男も観念したようだ。

 事件発生から10分くらい経った頃だろうか、お店の前で待つAさんのもとに、3人乗りをしたバイクが戻ってきた。いちばん前には警察官、後ろにはAさんのパソコンを抱えた店長さん、そしてその間に挟まれて20代後半とおぼしき男性がうなだれて乗っていたのである。
 
「犯人はがっしりした体格の男でした。店長さんに比べてかなり大柄で、よくぞ、勇気を持って捕まえてくれたなと、感謝の気持ちが湧いてきました」(Aさん)

犯人と共に警察署へ

 Aさんとしては、パソコンが戻ってきたので、それで終わりかと思ったら、公安職員が「犯人を警察署に連れて行くので、被害者であるあなたもついてきて欲しい」と言う。Aさんは先導してくれる公安職員のバイクの後ろを、自分のバイクで追いかけた。

数分で到着したのは、犯行現場であるカフェがある地区を管轄する警察署だ。

 最初に2階の大部屋に案内され、5分ほど待ったところで、小さな会議室に通された。そこに英語が話せる職員が出て来ると、聞き取り調査の開始である。同行してくれた店長さんも、ベトナム語から英語への翻訳を手伝ってくれた。

「取り調べの人には『すぐにパソコンを引き取って仕事に戻らなければいけない』という事情を説明して作業を急いでもらったのですが、3時間くらいかかりましたね。警察署を出たのは結局、昼頃でした」

 警察署を出るとき、犯人の青年が1階の隅に座っているのが見えたそうだ。

 警察からは夕方に再度呼び出しがあった。その時に作った書類は、「午前中に作成した書類のうちの1つとまったく同じだった」そうだ。今回は30分程度で終了した。

2週間後、警察から再び呼び出しが

 Aさんは犯人を告訴する気はなく、それで一件落着かと思っていた。

「ところが2週間ほどして警察から連絡が来て、再び同じ警察署に出頭しました」

 警察署で話を聞くうちに、犯人がどんな人物かも分かってきた。彼は両親と同居。

定職にはついておらず、さらに借金を抱えて首がまわらない状態だったため、出来心で犯行に及んだという。

「事件が発生した日から2週間、彼が自宅に戻ることは許されなかったと聞いて驚きました」

 警察からは話し合いで解決する際の一通りの説明がなされた。その後、犯人の父親が警察署にやってきた。

「50歳前後でしょうか。朴訥とした雰囲気の人なのですが、焦燥しきった表情を浮かべていました。何度も何度も頭を下げて謝罪をした後、無言で封筒を差し出してくるんです。何かと思ったら、中には200万ドンのお金が入っていました。パソコンの購入価格が約2000万ドンだったので、一割を目安にしたのでしょうかね」

 200万ドンは日本円に換算すると約1万円だが、統計上の平均月収が3万円程度のベトナムでは、かなりの大金だ。

犯人は刑務所で6カ月の服役

 一部始終を見守っていた警察官は、Aさんがサインをすべき書類を持ってきた。ベトナム語版に加え日本語版も用意されていたという。

「それで青年は無罪放免になるのかと思っていたら、違いました。それから6か月間、刑務所に入るのだそうです。

私が話し合いによる解決に応じなかったら、服役期間はおそらく2年間以上になっただろうと、警察官が説明してくれました」

 それを聞いたAさんは「ずいぶん厳しいなあ」と感じたそうだ。私も少し驚いてベトナムの刑法を調べてみた。第138条「財産の窃盗罪」が今回の事例に該当するようで、「6カ月以上3年以下の懲役に処す」という文言があった。

 Aさんにとってもう1つ意外だったのは、警察の対応が非常に丁寧だったことだ。「今回の件で警察だけでなく、ベトナムという国を見直す気持ちになりましたね」という。

 日本人在住者からは「盗難にあってベトナムの警察に届け出たけれど、ちゃんと対応してくれなかった」などの不平・不満をよく耳にする。確かに日本の警察と比べると見劣りはするだろうが、徐々に向上しているのだろう。

店員さんと仲良くなるのが盗難対策

 ベトナムでは、外国人・ベトナム人を問わず、カフェにパソコンを持ち込んで、仕事や勉強をしている姿をよく見かける。いやそういう人が大部分で、単におしゃべりや食事だけに来ている人のほうが少数派だと言っていいだろう。

 仕事や勉強をしている人は、数時間単位で長居をするから、トイレのために席を立つこともある。その時、パソコンをはじめとする身の回りのものは、どうすればいいのだろう。

 Aさんは「店員さんと顔見知りになっていると、荷物は置いたままでも、基本的には安全だと思うんですよね」という。

私も同感だ。

「事件が起こってしまったのは残念でしたが、その後の対応は極めて迅速でした。店長さんをはじめ、その時、お店にいたスタッフが強い責任感をもって対応してくれたのには、感謝の気持ちを超えて感動すら覚えましたね」(Aさん)

 店長・テーさんはこう語る。

「Aさんのことは、この事件が起きるまでお名前は存じ上げませんでした。しかしウチの店には頻繁に来てくださっていましたから、私はもちろん、店員も全員、顔は覚えていましたよ。そういうこともあって、『大切なお客様にご迷惑があってはいけない』と、すぐにスタッフ総出で対応したんです」

 私自身が店員さんと顔なじみになっている店では、トイレに行くために席を立つと、何も言わなくても、店員さんは私のテーブルに注意を払ってくれるし、テーブルの横に立って、パソコンの番をしてくれていることもある。ほぼ毎日カフェで仕事をしていて、パソコンだけでなく、時にはスマートフォンから財布まで、机の上に置きっぱなしでトイレに行っても、今まで私が一度も盗難に遭わずに来ているのは、店員さんたちのお陰なのだ。改めて感謝の気持ちが湧いてきた。

 旅行や出張で当地を訪れている場合だと、店員さんと仲良くなるのはハードルが高い。そういう場合、例えば、英語で「ハロー」と店員さんに声をかけるだけでも、店員さんの対応はずいぶん変わってくる。

「自分の手荷物からは目を離さない」が原則

 とはいえ、原則としては、カフェなどで自分の手荷物から目を離すのは「絶対にご法度」だ。私自身、Aさんの話を聞いてから、以前よりも用心深く振る舞うようになった。

 日系企業約1000社が加入しているホーチミン日本商工会議所が会員向けに発行しているメールマガジン「ベトナム生活虎の巻」では、防犯の専門家による以下の注意を掲載している。

「カフェなどで、席を確保するために、カバンを置いてから席を離れる人がいます。これは絶対に止めましょう。すぐに盗られてしまいます。被害に遭った人は『わずか数分だったのに』とおっしゃるのですが、数分あればカバンを盗むのには十分です」

(文・撮影/中安昭人)

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