金城は30分もあれば一周できる小さな町で、団体客が泊まれるるような大型ホテルはない。台湾からの観光客は、古い街並みと、翟山(ディーサン)坑道などの中台紛争の遺跡を駆け足で見学すると、そのまま水頭フェリーターミナルからアモイに向かう。街はひなびた田舎の観光地という雰囲気で、時折、駐屯する台湾軍の兵士たちとすれ違うものの、彼らの表情から緊張は窺えず、若い男女が雑談しながら歩いている様子は軍服さえなければデートのようだ。
2001年から金門島・馬祖島と中国のあいだで小三通と呼ばれる通商、郵便、直行航路が開始され、2009年には金門島の住民だけでなく台湾人も、出入境証明があれば金門・馬祖から直接中国大陸に渡ることができるようになった。こうして金門島発着の中国ツアーが人気を集めるようになったのだが、経由地であるこの島に大きな恩恵をもたらすことはなかったようだ。
船戸与一の『金門島流離譚』が出版されたのが2004年で、それから10年もたたないうちに、「パチモノの島」の様子もずいぶん変わってしまった。船戸はこの島を「すべてが偽物でできている」と描いたが、観光客相手の土産物屋に並んでいるのはいまは地元でつくる高粱酒や海産物の干物ばかりだ。コピー商品は(すくなくとも表舞台からは)姿を消し、衣料品店には中国産の安い服やバッグ、靴などが並んでいる。
コピー商品の代わりに、いまでは包丁が金門島の特産品になった。58年の砲撃戦の後、島のひとたちが鉄の砲弾を溶かして包丁をつくるようになったのが始まりで、「金門剛刀」は包丁の高級ブランドだ。