お金儲けの神様「邱永漢」人生最後の弟子で、2005年より中国四川省成都に在住。日本生まれの韓国人で、現在はグループ会社3社の社長兼取締役を勤める金さん。

今回からは金さんと焼肉店「牛牛福」との9年間にわたる格闘の日々の記録。その第1回は、邱永漢氏との出会いから、現職を捨てて成都行きを決意するまで――です。

事業家になることを夢見て……

「あなたの才能をひとつだけ言いなさい」と聞かれたらどう答えますか?

 私の答えは、「すばらしい人と出会う才能には自信がある」です。

 2004年末、私は全世界に52のオフィスを構える、世界でもっとも歴史の長い“外資系コンサルティングファーム”におりました。そこで働きはじめたもともとのきっかけが「すばらしい事業家になるための最短コース選び」だっただけに、5年ほど勤めた私の中に、「コンサルティングという仕事は自分が期待していた以上にやりがいのある仕事だ」という気持ちと、「やっぱり事業という戦場で思いっきり闘ってみたい」という気持ちが共存していました。

“意思あれば道開ける”の言葉どおり、その頃たまたま読みはじめた邱永漢公式サイト「hi-Q (ハイハイQさんQさんデス)」の中に「成都でビジネスホテルやりたい人は?”(2004年11月5日)」という記事を見つけ、さっそく邱先生に手紙くことにしたのが同年12月21日のことでした。

 手紙を投函した後、1カ月ほどなんの連絡もなかったのですが、ある日の昼下がり、虎ノ門のロイヤルホストで一人仕事をしていた時に、先生の秘書の方から電話をいただきました。

「もしもし、わたくし邱永漢事務所の……」の声に、おもわず起立して「はいっ、ご連絡ありがとうございます!」と応えて、まわりのお客さんに変な目で見られたことをよく覚えています。

 こうして、“金儲けの神様”と出会うチャンスは突然やってきたのでした。

「2時間200万円」の出会い

 “1講演=約100万円”。これが、私が先生の講演料について風の噂で聞いた金額でした(真相については先生に確認しておりません)。そこで、「お忙しい先生だから、10分約15万円としておそらく30万円(=20分)が限度だろうな」などと変な計算をしながら、渋谷の邱永漢事務所に着きました。



 コートを脱ぎ、エレベーターを上がったらそこが事務所でした。応接室に座り5分もすると、先生がゆっくりと入ってこられました。

「あなたがキムくん?」と聞かれると、自分のことを紹介する間もなく、すぐにお話が始まりました。

 ホテルの計画だけでなく、雲南のコーヒー農場、成都のイトーヨーカドーなど話題は尽きず、ぐいぐいと先生のお話に引き込まれ、あっという間に200万円=2時間が過ぎました。最後にふと沈黙が訪れ、先生はぼそっと「まあ、君ならできるかも知れんな」と呟かれたのでした。

 正直にいうと、2時間のあいだ合計2分も自分の話をする機会のなかった私は、どうやってそう判断されたのか不思議で仕方なかったのですが、その理由を聞く前に先生から、「まっ、もし本気なら現地を見てらっしゃい」と言われ、迷うことなく、「それでは来週にでも行かせていただきます」と応えました。

 もちろん当時はサラリーマンですから、そんなに簡単に時間の都合をつけられるわけでもないのですが、そこにチャンスがあるのであればつかまない手はありません。

「先生は次回いつ成都に入られますか?」と聞いてみると、「しばらく行く予定はないね……」とちょっとそっけない返事でした。忙しい先生を煩わせることもないと思い、「では一人で見てまいります」と言うと、先生は軽く天井を見上げ、胸の中から手帳を取り出され、「……2月25日だったら一緒に行ってあげてもいいな」とおっしゃるので、「その日にご同行させてください」と即答したのでした。

「お金儲けの神様」へのプレゼン

 東京の事務所で日程を調整し、結局、翌年2月28日に香港国際空港のロビーで先生とお会いしました。

 その後、飛行機で雲南省昆明市に向かい、そこから2日間コーヒー農場を視察させていただきました。私はコーヒー事業に大いなる可能性を感じたと同時に、「事業として完成させるにはまだ多くの課題がある」と考えたのでした。



 そもそも、私は旅に出かける前からひとつの目標を立てていました。私はコンサルティング会社に勤めておりましたから、提案をしたり、そのための資料をつくったりできることが私の武器でした。ですから、「旅の間に私の価値を先生に感じてもらうために何らかの事業提案を行なう」というのが今回の私のテーマでした。早くもそのチャンスが昆明で訪れたのです。

 その日の夜に泊まったのは、昆明の最高級ホテル、翠湖賓館でした。目の前に美しい湖をのぞむホテルで、朝から夕方までコーヒー事業に関する先生のお話とおいしい食事をご馳走になった後、夜10時前でしょうか、「では明日8時半にロビーで」と先生と別れ部屋に帰った私は、自分に「勝負!」と気合を入れ、1日半かけて見聞きした内容を資料にまとめて提案書をつくりはじめました。

 私にとっては自分の人生を賭けた提案書ですから、眠くなると机に3分ぐらいうつぶせになり、また起きては資料をつくり、とうとう朝の8時を迎えてしまいました。その時点でまだ自分で納得いくレベルに達していなかったので、私は迷いました。

「先生との約束は、たとえ朝ごはんという小さなことであっても破るわけにはいかない。でも、このレベルでは先生に見せたくない」

 じっと考えました。そして部屋の電話をとり、先生の秘書に「どうしてもやることがあるので朝食はとれません、と先生にお伝えください」と頼みました。大したことではないと思われるかもしれませんが、私にとっては賭けのようなものでした。

まだ旅が始まったばかりの時に、先生の心象を悪くしたくなかったからです。

 でも、私は思ったのです。「自分が納得いくものができたら、きっと先生も評価してくださる。その資料の意味を見抜いてくださるだろう」と。

 資料ができあがったのが10時過ぎでした。そのままビジネスセンターに駆け込み、20ページにわたる資料を3部印刷し、ロビーに座ってコーヒーを飲む先生に渡したとき、私は徹夜明けの青白い顔にぼさぼさに乱れた髪で、寝巻き代わりのジーンズとラフなシャツという格好でした。

 心をこめた資料を先生に渡すと、部屋に戻ってシャワーを浴び、すっかり明るくなった部屋のベッドを見て思わず笑いがこみ上げてきました。

「結局、シーツを1回もめくらなかったな」

 その日の午後、昆明から成都に飛びました。

人あたりが柔らかい成都人

 昆明での睡眠不足から飛行機の中での記憶はあまりありません。気づくとすでに成都の空港でした。

 飛行機を降りてブリッジを渡ったところに、成都地区のボスである王さんがにこやかな表情で立っています。もちろん、一般人は入れないはずの場所です。



 余談ですが、聞くところでは数年前まで、機体の真横まで黒塗りのベンツが横付けして先生をお迎えに来ていたそうです。しかしこれではあまりに露骨だと感じた先生が、「普通に向かえにくるだけでいい」と言ったとか言わなかったとか……(本当かどうか尋ねたことはありませんが)。

 シェラトンに到着すると、さっそく食事に出かけることになりました。おいしい料理に舌鼓を打ちながら、はじめて来た成都とはじめて出会う成都人に、他の地域と異なる雰囲気を感じていました。人のあたりが柔らかいのです。

 中国を旅行したことがある人ならご存知のとおり、日本と比べればサービスレベルはかなり低いのですが、それは単なる技術的なものではなく、人間一人ひとりの他人に対する意識に原因があります。その意味で、成都人のあたりの柔らかさは非常に意外で、「ここだったらホテルのようなサービス業もできるかも」と感じたのでした。その後、市の中心にあるイトーヨーカドーを見学しました。

「この地でやりたいと思います」

 成都に入った1日目の夜には、私の心はほぼ決まっていました。翌日、昼食を終えて先生と同じエレベーターで部屋に戻るとき、「この後少しお時間をいただけませんか」と思い切って言いました。「いいですよ」の言葉に続き、先生の部屋に入ると、「どうしました?」と訊かれます。

「成都をいろいろ見ましたが、この地でやりたいと思います。

やらせていただけませんか」と、単刀直入に伝えました。

 先生は、「やるの? 苦労するよ」と笑った後、「邱永漢学校は変わった学校なんです。普通の学校は、学生が自分で学費を支払って学ぶところですが、うちの学校は先生である私が君たち学生に学費を用意してあげて学ぶ場所なんです……」とおっしゃいます。

「もし僕らと一緒に仕事するならね、今から言う3つのことを覚えておきなさい。まず、まわりの人間とよく相談すること。次に、よく教えてもらうこと。そして、素早く動くこと。この3つに気をつけながら、目上の人に可愛がられなさい」

 話はそれで終わりで、「さあ、僕は書くものがあるからもう行きなさい」と言われました。

 その日の夜、部屋で独りになると、心を落ち着けてから妻に電話をかけました。「俺、もう決めたからね。今日、邱先生に話したから。これからは中国だから」。
そう伝えると、妻は一言「わかりました」と答えました。

 その翌日、成都から北京に向かう飛行機の中で、この3日間で起きた出来事を噛み締めていました。そこで書いたメモを久しぶりに読み返すと、当時の心境がよみがえってきます。

「やっとここまで来られた。出発地点に立つことができた。そしてやっと出会うことができた」

 幸い窓際の席で隣の人に気づかれずに済みましたが、もし見られていたら、「こいつは何を泣いているんだろう」と思われたにちがいありません。

(文/写真・金伸行)

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