誰もが自分の運命を自分で決められるように、機会の平等を万人にもたらしたい。そのための「金融包摂」を世界で実現すべく、民間版“世界銀行”を目指す五常・アンド・カンパニー。

同社を起業し、途上国でマイクロファイナンスを展開する慎泰俊氏。新著で示された「使命感と進取の精神をもった最大手マイクロファイナンス機関こそが、顧客に対する正のインパクトを最大化させることができる」という考え。その真意を聞いた。3回の連載で送る。(取材・文/ダイヤモンド社 論説委員 大坪 亮、撮影/鈴木愛子)



カンボジア、スリランカ、ミャンマー、
インド、タジキスタンで事業を展開



――本書『世界の貧困に挑む マイクロファイナンスの可能性』の執筆理由から教えてください。



 いくつかの理由がありますが、起業して11年目となり、「マイクロファイナンスはどういうものか」についての自分の考えがまとまったので示したいというのが一つ目の理由です。



 二つ目は、マイクロファイナンスについて日本語で書かれた文献が少ないためです。関心を持った若い人などに「参考になるお奨めの本は何ですか」と時々聞かれるのですが、今日この領域で活動している人たちにとって常識となっていることや最新の知見についての日本語の本がないので、自分で書こうと思いました。



 三つ目は、日本が今後この領域で果たす役割が大きくなっていくからです。これまでは欧米の開発援助機関等が主に活動してきて、日本の関与は少なかったのですが、欧米系がトーンダウンしていく中で、日本の役割が大きくなっていくと考えるのです。



 先人は試行錯誤して進めてきました。中には失敗もあり、私たち後発組は同じ轍を踏んではいけないなと考え、本書をまとめました。



「誰もが自分の運命を自分で決められる世界」を実現するために。『世界の貧困に挑む マイクロファイナンスの可能性』著者、慎泰俊氏(五常・アンド・カンパニー代表)インタビュー


――欧米系のトーンダウンとはどういうことですか。



 米国トランプ政権下でのバックラッシュが一つあります。すでに知られているように、公的な開発援助機関が閉鎖や縮小に追い込まれています。



 また、欧州を含めて世界全体の流れとしては、金融包摂よりも気候変動対策などに資源を振り向けるという動きが強くなっています。(社会的活動について)新しい領域は一般に20~30年間は皆、一生懸命に取り組むのですが、それ以降の継続はなかなか難しい傾向にあります。それを支える納税者の意向などもあると思います。



――貴社はどのような活動をしているのですか。



 五常・アンド・カンパニーは、開発途上国にあるマイクロファイナンスの持株会社です。現在6カ国(カンボジア、スリランカ、ミャンマー、インド、タジキスタン)で、各国にある連結対象会社の金融機関を通じて現地の数百万世帯に金融サービスを届けています。



 マイクロファイナンスは、主に発展途上国の低所得層を対象にしている小規模・小額の金融サービスの総称です。融資(クレジット)、預金、保険、送金などのサービスを提供しています。



――本書では、「金融アクセスだけでなく、金融包摂が大切だ」と書かれています。



 金融アクセスは、金融機関に口座があるかどうかを意味しています。

口座数は計測しやすいので、各国の経済発展度合いの把握のKPIになっていました。世界銀行グループの3年に一度のレポートも、この金融アクセスを指標にしています。



 現状では、途上国でも約7割の人々に金融アクセスはありますが、課題も明らかになっています。たとえば、口座の維持費や、海外出稼ぎ者の自国への送金手数料などが高額で、途上国の低所得層には使いにくいのです。



 そこで、金融包摂という考え方が出てきました。手頃な価格(アフォーダブル)で、有益な(ユースフル)金融サービスへのアクセスがある状態のことです。今日、金融包摂がこの領域では主流の考え方になっています。私も、金融アクセスだけでは、もともと目指していたことが達成できないと考えています。



――「もともと目指していたこと」とは何ですか。



 機会の平等の世界中での実現です。私自身の人生のテーマでもあります。完全な機会の平等の実現は実際上すごく難しいものだと思っていますが、自分が生きている間に、可能な限り機会の平等がより多くの人に行き渡るようにしたいのです。



 やらなければいけないことは多々あります。大きなカテゴリーでいうと、ひとつは自然環境保全、つぎにハードなインフラ整備つまり電気、ガス、水道、道路、鉄道などの整備ですね。そして、ソフトなインフラ整備。システムや制度と呼ばれるもので、法、教育、選挙の制度など社会を回すための取り決めで、その1つに金融サービスがあります。



 きちんとした金融システムが存在して、人々が金融包摂されていることは、機会の平等の観点からとても重要です。人は全てのことはできませんから、私は自分にできることをやっているという状態です。



ダロン・アセモグルや
デヴィッド・グレーバーに学ぶ



――本書では、「一隅を照らす」という言葉を引用されています。その目的の実現に向け、「最大の正のインパクトを達成する」という点で、慎さんの場合、長い間培ってきた金融業でのノウハウを生かすことになるのですね。大学卒業後に外資系金融機関に就職されたのは、将来を見据えて金融業での力を付けようという考えからですか。



 もともとの進路希望は、人権弁護士でした。大学生だった2001年に9.11(米国同時多発テロ)があり、その後にアフガニスタンとイラクで戦争がありました。当時はインターネットが始まって間もない時期だったのですが、それでもアルジャジーラ(カタールに本社を置くアラブ系テレビ局)がアフガニスタンなどで起きていることをネットで報道していたんです。



 子どもたちが爆撃にあっている映像を見て、これは絶対におかしいと思ったので、デモなど抗議活動に参加しました。でも、何も変わらなかった。



 当時読んでいた本の一つに、カール・マルクスの『資本論』があります。そこに書かれているように、社会は「下部構造」としての経済の土台の上にあり、制度とか法律とかの「上部構造」よりも、社会を改善していくには下部構造を変革する必要があるのではないかと考え直すようになりました。それで、弁護士ではなく、経済全般を学べる金融機関で仕事をしようと考えたのです。



 共産主義や社会主義は、仕組みとしてはうまくいかなかったわけですが、マルクスが社会や経済を分析したことの価値は落ちていないと思うんです。同じく長い時間が経っても、彼が影響を受けたフリードリヒ・ヘーゲルの思想がいまも学び続けられているのと同じだと思います。



『資本論』は、当時の英国の労働者の惨状などを詳細に分析しています。今日ではダロン・アセモグルも同じような分析をしています。同様の問題意識を持つ経済学者は多いのです。



 ダロン・アセモグルの最近の著書Power and Progress(邦訳『技術革新と不平等の1000年史』)では、技術進歩が起きた時に格差が拡がり、労働運動などの抵抗がないと格差は縮まらなかったことを、いろいろな事例を示しながら書いています。



 我田引水が好きな人たちは、アセモグルの主張を階級闘争の正当化に用いるように思いますが、彼は階級闘争とは言っていません。

ただ、問題視していることは同じであると感じています。



――格差拡大という問題を解決するのは、革命でなく、改善であっていいということでしょうか。



 そうですね。基本的に私は保守主義者だと思います。エドマンド・バークが説く意味での保守主義者です。ラディカルに物事を進めるべき時はあるかもしれませんが、その過程で大勢の人が亡くなるようなことは間違っています。



 それに、極端なものはエラーの確率が高い。人間はそんなに賢くありませんから、やりすぎたりして変なことが起きるんです。漸進主義の良くないところもありますが、それでも基本的には少しずつ改善して進むことを私は選びます。



 ただし、会社組織のターンアラウンドになると、革命的な方法のほうが良い場合があります。特に経営陣の変更をしなければいけない時というのは、往々にしてすごいドタバタとなります。とはいえ、会社のターンアラウンドでは死人が出るわけではありません。



 一方で、社会機構のターンアラウンドや革命は死者がほぼ確実に出ます。社会と会社のターンアラウンドには決定的な違いがあり、私は社会変革に関しては保守主義者だと思います。



――ダロン・アセモグルに加えて、デヴィッド・グレーバー著『負債論』についても、本書では前向きに評価されているように読みました。



 大著なので、一言でまとめるのは憚られるのですが、お金の借り手を奴隷状態に陥れることがありうることが、金融が憎まれてきた理由なのではないかというのが彼の主張の1つです。奴隷商人が嫌われるのと同じような理屈です。一方で面白いのは、借りたお金を返済することは道徳だと皆がみなしていると書いてあることです。



 仏教教典『スッタニパータ』にも同じようなことが書かれています。不思議ですね。借金したお金を返すのは道徳だけれども、お金を貸すのは不道徳であるというのです。お金貸しもしくは金融は全体的に評判が良くない。なぜなのか。ちゃんと考えてみたいと常々思っていました。



 現時点で私が考えているのは、貸し借りが増えていくと次第にお金を返せない人が増えていき、そうなると社会が不安定になる。そのためにお金の貸し借りは教義によって禁じられ、禁じられた結果として忌み嫌われるようになったのではないかなということです。



 金融機関が誕生する以前の昔において、特にコミュニティの中で貸し借りができないというのは、貸し借りが仲間内の諍いの火種になるからではないでしょうか。かつてユダヤ教徒はキリスト教徒にはお金を貸しているけれども、ユダヤ教徒間ではお金を貸せないという戒律があるように聞いています。イスラム教も同様です。



 戒律ベースで生活する人たちには、生活の知恵だったと思うのです。その知恵が教義になり、ある時点で教条主義に人々が陥って、理由を考えなくなり、結果として身分差別みたいなものにつながったのではないか、というのが個人的に考えるところです。



――本書では、「友人にはお金を貸すな」という身近な話も書かれています。



 私の家庭では「人にお金は貸すな。人からお金を借りるな」、「どうしても人にお金を貸す必要があれば、あげろ」と教えられてきました。



*連載の第2回は、明日公開予定です。



慎 泰俊(しん・てじゅん)
1981年東京生まれ。朝鮮大学校および早稲田大学大学院ファイナンス研究科卒。モルガン・スタンレー・キャピタル、ユニゾン・キャピタルを経て、2014年に五常・アンド・カンパニーを創業。途上国における金融包摂に従事している。認定NPO法人Living in Peace、日本児童相談業務評価機関を共同創設。『ルポ 児童相談所』(ちくま新書、2017年)、『外資系金融のExcel作成術』(東洋経済新報社、2014年)、『ソーシャルファイナンス革命』(技術評論社、2012年)など著書多数。

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