ずいぶんむかしの話だが、私が大学生の頃はポストモダンというのが流行っていて、みんなが「スキゾ」とか「パラノ」とか呪文のように繰り返していた。「スキゾ」はスキゾイド(統合失調症)、「パラノ」はパラノイア(偏執病)のことだ。

 近代社会はどんどんパラノイアっぽくなって、生きるのが苦しくなってくる。だったらスキゾになって、パラノな社会に対抗しよう。そんなふうに世間のしがらみを軽々と越えていくのがスキゾキッズだ。

 こういう新奇な用語は「新人類の神々(@朝日ジャーナル)」の筆頭だった浅田彰が広めたが、もともとはフランスの哲学者ジル・ドゥルーズと精神分析学者フェリックス・ガタリの2人が言い出したことで、『アンチ・オイディプス』という分厚い本を持ち歩くのがポモ(ポストモダン)のお約束だった。もちろん、なにをいっているのかさっぱりわからなかったけれど。

「スキゾ」「パラノ」といっしょに流行したポモ用語が「ノマド」だ。これは北アフリカの遊牧民のことで、パラノな世界に定住し、権力関係にしばられてにっちもさっちもいかない人生を送るよりも、遊牧民のごとく常に移動し、知の領域を軽やかに横断し、欲望という蜘蛛の巣にからめとられないよう疾走し続けることがポストモダン的な生き方だとされた。浅田の「逃げろや逃げろ、どこまでも」という標語もいまは懐かしい――恥ずかしくてもう口にはできないけど。

「スキゾ」「パラノ」は死語になったけれど、「ノマド」はいまも健在だ。最近では会社に属さず、特定のオフィスも持たず、移動しながら自由に働くライフスタイルを「ノマドライフ」とか「ノマドワーカー」といったりするらしい。

 なぜいきなりこんな話を始めたのかというと、モロッコの砂漠でほんもののノマドに会ったからだ。

西サハラの砂漠に暮らす遊牧の民・トゥアレグ

 北アフリカの原住民であるベルベル人について前回書いたが、じつはベルベル語を話すのは彼らだけではない。

[参考記事]
●古代ローマ時代からひもとく、北アフリカのベルベル人の来歴

 ベルベル人のガイド、ヨセフの解説によると、モロッコに暮らすベルベル語の話者は大きく3つに分けられる。ベルベル、ノマド、トゥアレグだ(この三者には方言の違いがあるらしい)。

 モロッコはアトラス山脈を境に南北に分かれ、地中海に面した北側はマラケシュやフェズ、カサブランカなどの都市がある農業地帯で、南にはサハラ砂漠が広がっている。

 都市には支配民族であるアラブ系の住民が多く暮らし、郊外やアトラス山脈周辺に追われたベルベル人は、オリーブやデーツ(ナツメヤシ)などを育て、独自の言葉や文化を保持したまま各地に定住した。彼らがアラブ人の侵略から身を守るためにアトラス山麓につくった村がカスバ(城砦都市)だ。

 それに対してトゥアレグは西サハラに暮らす砂漠の民で、ラクダに荷を積んでサハラ砂漠を横断する交易の民でもあった。

 トゥアレグのイメージがもっともよくわかるのが、ベルナルド・ベルトルッチの映画『シェリタリング・スカイ』だ。モロッコのダンジール(タンジェ)に移り住んだアメリカの小説家ポール・ボウルズの小説を原作とするこの映画では、モロッコを訪れたアメリカ人女性が、夫を病気で失ったあと、トゥアレグの隊商とともに砂漠を渡り、若い男の囲い者となって彼らの村で暮らすことになる。

 トゥアレグの男たちは、一枚の布を器用に頭に巻いて、頭部だけでなく鼻と口元を覆い、目だけを出したターバンにする。顔全体を隠すこうした衣装は、いまではイスラム原理主義の女性が身につけるブルカとして知られているが、実際に砂漠を訪ねると宗教とはなんの関係もないことがよくわかる。砂嵐が舞うなかでは、男であろうが女であろうが鼻や口を外にさらしていることはできないのだ。映画のなかでも顔を隠すのは砂漠を旅する男たちで、村で帰りを待つ女たちはブルカを身につけていない。

実用から生まれたファッションだから、砂嵐のない場所では意味がないのだ。

ほんもののノマドライフとは?

 砂漠でラクダとともに暮らすのがトゥアレグなら、ノマドは季節によって砂漠とアトラス山麓を往復する遊牧民だ。

 モロッコのサラハ砂漠ツアーでは、砂漠に面した簡素なホテルに荷物を預けたあと、ラクダに揺られて1時間ほど砂漠を進み、日没を眺めながらキャンプ地へ向かう。キャンプには木の柱を砂漠に打ちつけ、布を張った四角いテントが並んでいる。私たちは総勢8人でテント4張りの小さなキャンプに泊まったが、大人数のツアーに対応した巨大なテント村もあるという。

 宿泊用のテントのほかには、夕食の供される大型テント(椅子と長テーブルが置かれている)と食事をつくる台所用のテント(ガスコンロを使ってかんたんなタジン料理をつくる)がある。

 夕食の前に甘いミントティー(ベルベル・ウイスキー)をつくってくれたアリーという青年が片言の英語を話した。そのアリーが、「ぼくはベルベル人じゃなくてノマドなんだよ」と自己紹介したのだ。

 アリーはサハラ砂漠の観光ガイドで、外国人観光客を自分たちのキャンプに案内し、夕食をつくり、ベルベル音楽(両足に挟んだ太鼓を叩きながら民謡のような節をつけて歌う)を楽しんでもらうのが仕事だ。

 ときには「もっと本格的な砂漠を体験したい」というヨーロッパ人の観光客を相手にすることもある。「砂漠で1週間過ごすのはほんとうに大変なんだ。とくに、砂漠のことをなにも知らない観光客と一緒だとね」と肩をすくめた。

 ベルベル人のガイドは私たちを出発地のホテルまで連れて行くだけで、砂漠のテントには同行しない。ベルベル人とノマドのあいだできちんと役割分担ができているようだ。

 アリーは結婚していて、砂漠の近くの町に家もある。ただし、そこで暮らすのは1年の半分くらいだ。親や親族がまだ遊牧を続けていて、彼らといっしょに砂漠で生活することもあるからだという。

 80年代にポストモダンの洗礼を受けた世代にとっては、「ノマド」は憧れのライフスタイルだ。それから30年たって、まさかほんもののノマドに会えるとは思ってもみなかった。

 そこでアリーに、ノマドライフがどんなものか聞いてみた。

 アリーは最初、質問の意味がよくわからずきょとんとした顔をしていたが、やがていった。

「そんなの、家で暮らした方がいいに決まってるよ。砂漠も悪くはないけど、1年に1回でじゅうぶんだね」

<執筆・ 橘 玲(たちばな あきら)>

作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。

2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。「新世紀の資本論」と評された『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 究極の資産運用編』『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術 至高の銀行・証券編』(以上ダイヤモンド社)などがある。ザイ・オンラインとの共同サイト『橘玲の海外投資の歩き方』にて、お金、投資についての考え方を連載中。

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