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●ギリシア問題の本質は、「南」が経済だけでなく思想、ライフスタイルすべてで「北」に敗北したということ
今回は、カッサーノの“南の思想”を日本に紹介したファビオ・ランベッリ氏のイタリア論を見てみたい。ランベッリ氏はイタリア・ラヴェンナ生まれ、ヴェネツィア大学日本語日本文化学科を卒業したのち、京都大学、東京外国語大学に留学して東洋研究で博士号を取得、札幌大学で異文化交流や比較宗教学を講じた(現在はカリフォルニア大学サンタバーバラ校)。
日本人の「イタリア」のイメージは著しく偏っている文化人類学者の故山口昌男に師事したランベッリ氏は、『イタリア的考え方』(ちくま新書)、『イタリア的 「南」の魅力』(講談社選書メチエ)などの著作で、日本におけるイタリアのイメージを分析している。
日本を訪れたイタリア人が最初に驚くのは、レストランやデパートなど街のあちこちにイタリアの三色旗(トリコロール)が溢れていることだ。イタリア人は「国家」というものに強い関心を持っていないので、母国でもこれほどの数の国旗を見ることはないという。
日本で暮らすようになると、日本人の「イタリア」のイメージが著しく偏っていることが気になりはじめる。
日本人のなかには、イタリア半島(ローマ帝国)の古代史やルネサンス文化にイタリア人以上に詳しいひとがいる。料理だけでなく、イタリアのデザインやファッションも大人気だ。だがこうした「イタリア好き」も、ごく一部の例外を除いて、現代イタリアの美術や音楽、学問にはほとんど関心がない。
イタリア映画は1950年代のネオレアリズモ(『自転車泥棒』など)からせいぜい70年代のフェリーニやヴィスコンティまでだし、現代イタリア文学はウンベルト・エーコの『薔薇の名前』しか知らないひとがほとんどだろう。
日本在住のイタリア人をとりわけ戸惑わせるのは、日本におけるイタリア男性のイメージだ。これは男性向け雑誌の表紙を飾るモデルの影響が大きいと思われるが、イタリアの男は「明るい」「気楽」「お洒落」「ちょい悪」で、いつも両手に花で人生を謳歌していることになっているのだ。
ランベッリ氏は、こうしたステレオタイプは本来のイタリアとはなんの関係もないと述べる。日本人は自分が見たい、ないしは商業主義によってつくられた「幻想のイタリア」を楽しんでいるだけなのだ。
もちろんこうしたステレオタイプは、イタリア人に対するものだけではない。そもそも日本人は、「日本人」を恥の文化、集団主義、タテ社会、甘えなどのキーワードで理解しているが、ここに日本人だけにしかあてはまらない特殊なものはなにひとつない。こうしたステレオタイプはもともと、太平洋戦争後の占領に備えて米軍がアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトに依頼した日本人研究に基づいている。
ベネディクトはそれまでいちども日本を訪れたこともなく、日本人の知り合いもほとんどいなかったが、文献資料と日系米国人、日本兵の捕虜とのインタビューによって日本文化論をまとめた。
こうした経緯から明らかなように、米軍は日本占領にあたって、「日本人はアメリカ人とどのように違っているのか」の知識を求めていた。日本人とアメリカ人のあいだにもよく似ているところはたくさんあるが、そのような知識には価値がなかったのだ。だからこそベネディクトは、西欧と日本を「罪の文化」「恥の文化」というステレオタイプで論じ、戦後、それが日本に輸入されたことで「日本人」のアイデンティティがつくられていった(これについては〈幻冬舎文庫〉で書いた)。
日本における「イタリア」もこれと同じで、イタリア人と日本人がたいして変わらないのでは商品価値はない。日本人の男性(ないしは商業雑誌の編集者)が「ほんとうはこうなりたい自分」を重ね合わせたために、ランベッリ氏から見ると愕然とするような「イタリア人」のイメージが日本社会に氾濫するようになったのだ。
「イタリア料理」は19世紀までなかったランベッリ氏によると、イタリアは(イギリス、フランス、ドイツ、北欧諸国などの)北のヨーロッパから見ればもっとも近い「南」であり、その位置づけは「途上国」だった。創作に行き詰まったゲーテは古代の遺産と陽光あふれる自然に憧れてイタリアを旅するが、自分たちのせわしない日常にはない特別な時間を「異世界」に求めるのは、現代の日本人が沖縄や南の島々に憧れるのと同じだ。
もちろん当の「南」のひとたちには彼らの日常があるのだが、「北」から一方的にステレオタイプを押しつけられることで、いつしかそのステレオタイプを自ら演じるようになっていく。これが、エドワード・サイードのいう「オリエンタリズム」だ。
イタリアの歌といえば「オー・ソレ・ミオ(我が太陽)」などのカンツォーネだが、これはもともとナポリ地方の民謡で、一般のイタリア人はほとんど知らないし、聞いたことはあっても歌うことはできない。そもそもカンツォーネ(canzone)は「歌」という意味しかないから、なんの注釈もなければポップス(日本でいえばJポップ)のことだと思う。
それではなぜ、ナポリの民謡が「イタリアの伝統」になったのか。もちろん歌そのもののちからもあるだろうが、もっとも大きな影響を与えたのは南イタリアからアメリカに移民したひとたちだろう。彼らが故郷を思って歌ったナポリ民謡がアメリカ社会に広がり、それが「カンツォーネ」として逆輸入されイタリアのイメージをつくっていったのだ。
これは料理についても同じで、「イタリア料理」といわれているものは19世紀になるまで存在しなかった。
コース料理を食べられるのは料理人を抱える地方領主のような特権層だけで、それも揚げ物やロースト、ボリット(茹で肉)やシチューといった肉料理が中心で前菜(アンティパスト)はなかった。オリーブオイルが使われるのは中南部に限られ、北部はバター、またはラードだった。上流階級の食卓はフランス料理の影響を受けていたが、それは洗練にはほど遠く、たんなる「田舎貴族の料理」に過ぎなかった。
それでは、「イタリア料理」はいつ生まれたのだろうか。
1891年、ペッレグリーノ・アルトゥージなる人物が『台所における科学、あるいは美味しい食生活の芸術』という本を出してベストセラーになる。題名からもわかるように、アルトゥージは「正しい食生活は正しい生き方につながる」として、当時の科学至上主義、実証主義に則ってイタリア半島の地方料理のレシピを体系化したのだ。
アルトゥージは北から南までさまざまな地方料理を紹介したが、そのなかでも中心となったのがトスカーナ料理だ。
トスカーナはフィレンツェ、ピサ、シエーナなどの古都があるイタリア半島中西部の地域で、近代イタリアにとっては特別な意味がある。「イタリア」という国家は、中世トスカーナの自由都市の理念に基づいてつくられていて、イタリア語(標準語)がトスカーナ方言であるのと同様に、理想の「イタリア料理」の基本もトスカーナの郷土料理なのだ。
アルトゥージの最大の功績は、トマトソースをつくったことだろう。
歌にしても料理にしても、「イタリアの伝統」とされるものはすべて近代以降につくられている。なぜなら、それ以前にはそもそも「イタリア」はどこにも存在していなかったのだから。
イタリア人の「不信の文化」近代イタリアの特徴は、「途上国」であると同時に、地域性が強く中央集権が困難だったことにある。イタリア統一後の有名な標語として、「イタリアはすでに作ってしまった。これからはイタリア人を作らなければならない」が知られているが、これは「人工国家」の事情をよく物語っている。
こうした歴史的経緯から、ほとんどのイタリア人は標準語と地方語のバイリンガルになった(地方語といっても日本の方言とは違い、標準語=トスカーナ方言とはほとんど会話が成立しなかった)。その結果、イタリア人は自分たちを「イタリア国民」とは考えず、ローマ人、ナポリ人、シチリア人、ロンバルディア人などのアイデンティティを持つようになった。
地方ごとに分断された社会では、ひとびとは地方出身者を「同胞」と感じることができない。こうして家族や地域を基盤とし、他者を排除する「不信の文化」が生まれたのだとランベッリ氏はいう。
イタリア人の不信の対象となるのは政府や政治家など、権威・権力の地位にあるものすべてで、要は「身内」のネットワークの外部にいるひとのことだ。
だがイタリア的な不信は、排他的で受動的な態度ではない。日本人は「信用できないひととは関わらないほうがいい」と思うが、多くのイタリア人は「権力者は私をだまそう(利用しよう)としているのだから、相手に利用される前に利用してしまえばいい」と考える。これはイタリア語で「フルビツィア(furbizia)」といい、「狡猾」と「利口」という両義的な意味を持つ。「ずるいことをして他人をだます」のは悪だが、「頭を使って困難を乗り切る」のは生きるための必須の知恵なのだ。
このフルビツィアを、ランベッリ氏は次のように説明する。
「数少なくないイタリア人が、上手く世の中を生きるために、極端な場合、他人を騙さなければならない、と考えているようである。この論理をもう一歩追求すると、無防備で簡単に騙されるのは、騙される人の方が悪いということになるだろう。なぜなら、このような世の中で自分を守れないのは、自分の責任だからである。イタリア的自業自得である」
フルビツィアの社会では、誰に騙されるかわからないのだから、人間関係を「内」と「外」に分けて身を守ろうとする。
「イタリア人の一般的なイメージとは正反対かもしれないが、イタリアでは本当の意味での友人を作るのは非常に難しい。「知り合い」はたくさんできても、「親友」という関係を成立されるのはとても困難である。なぜなら、「(家族、親戚、親友などの)広い家族」の外部にいる人は、仲間と認められるまで、つまり深い信頼関係がもてるようになるまでに、長い時間とさまざまな「試練」を要するからである」
私は近著(ダイヤモンド社刊)において、中国人の行動原理は「ひとが多すぎる→他人を信用できない」という環境要因から説明できると論じたが、イタリア人の「不信の文化」は中国人の「関係(グワンシ)の文化」ととてもよく似ている。
ランベッリ氏が指摘するように、これは「途上国に特有の文化」で、イタリア人(あるいは中国人)の性格に起因するものではない。ユーラシア大陸の東西に分かれたイタリアと中国で似たような文化が成立したことは、権力や他者を安易に信用できない環境では、ひとは誰でも同じような仕方で自分と家族を守ろうとすることを示している。
ランベッリ氏の指摘で興味深いのは、こうした「不信」や「ずる賢さ」の背景に、前近代的な途上国としての劣等感や、絶対的権力に支配される無力感があるということだ。そしてこれが、「イタリア的悲観主義」へとつながっていく。
イタリア現代史を辿るなら、アントニオ・グラムシ(思想家でイタリア共産党の設立者)やピエル・パウロ・パゾリーニ(スキャンダラスな生涯で知られた映画監督)のような悲観主義の系譜を見ることができる。
この悲観主義から、「イタリア人の明るさ」という逆説が生み出される。
イタリア人は悲観的なのに(あるいは悲観的だからこそ)自分の人生や運命を絶えず変えようとして、ユートピアを夢見たり、カーニバル(秩序の一時的な転覆)に熱狂したりする。イタリア人は、暗いからこそ明るいのだ。
そしてこの逆説は、イタリアという国に独特の陰影を与えている。のっぺりとした西欧近代に対抗する「南の思想」は、この陰影から生まれるかもしれない。
橘 玲(たちばな あきら)
作家。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ベストセラーに。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、政治体制、経済、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ最新刊