金属や磁石などの特徴を持ちさまざまなエレクトロニクスへの応用が期待されているストロンチウムルテニウム酸化物SrRuO3において、強く混成し一体化していると考えられていたルテニウム原子と酸素原子の電子状態が、実際は異なっていることを発見しました。
本発見により、遷移金属における電子間の相互作用(電子相関)のみを考慮した従来の理論・材料設計では見落とされていた、酸素原子の電子相関が材料の物性を決めるために重要であることを明示しました。
本成果は、機能性酸化物材料の新たな設計指針を提供し、低消費電力磁気メモリや量子デバイスを用いた次世代エレクトロニクスへの貢献が期待されます。
[画像1]https://digitalpr.jp/simg/2341/114978/600_366_20250729160638688872fe7cbcd.png
機能性酸化物SrRuO3における各電子軌道の伝導電子:SrRuO3のRu 4d-O 2p混成軌道における電子間の相互作用(電子相関)が電子軌道に依存することが明らかになった。Ru 4d軌道(赤色四つ葉型の軌道)では電子相関が弱く、この軌道の電子(赤色)が主に電気伝導に寄与する(赤色破線の矢印)。一方、O 2p軌道(青色亜鈴型の軌道)では電子相関が強いために電子(青色)はO 2p軌道に局在し、電気伝導にはほぼ寄与しない(電子同士の散乱によりサイト間を移動する(青色破線の矢印))。
概要
東京大学大学院工学系研究科の関 祐一大学院生(修士課程2年:研究当時)、稲垣 洸大大学院生(修士課程2年:研究当時)、武田 崇仁大学院生(博士課程3年:研究当時)、田中 雅明教授、小林 正起准教授(研究当時)らの研究グループとNTT株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下、NTT)は、東京大学大学院理学系研究科の藤森 淳東京大学名誉教授、国立研究開発法人日本原子力研究開発機構の竹田 幸治研究主幹、藤森 伸一グループリーダーらと共同で、強磁性(磁石)の性質を持つ金属であるストロンチウムルテニウム酸化物SrRuO3[Sr(ストロンチウム)、Ru(ルテニウム)、O(酸素)からなる化合物]の電子状態を放射光(注1)による光電子分光(注2)を用いて調べ、酸素原子の電子軌道(注3)が強い電子相関(注4)により陽イオンRuの電子軌道と異なった電子状態を持っていることを世界で初めて明らかにしました。陽イオンの遷移金属原子と陰イオンの酸素原子から作られる機能性酸化物は、磁性・誘電性・超伝導性などさまざまな物性の宝庫であり、次世代エレクトロニクス材料として基礎・応用の両面から精力的に研究されてきました。機能性酸化物の物性は、フェルミエネルギー(注5)における電子の振る舞い(電子状態)によって決定されますが、これまで一般に、遷移金属と酸素の電子軌道は強く混成し、類似した電子状態を持つと考えられてきました。本成果は、従来の酸化物研究の常識や標準モデルでは予測されてこなかった結果であり、今後、機能性酸化物やそれらを用いた素子設計に重要な指針を与える成果です。
本成果は、2025年7月25日(米国東部夏時間)に米国学術誌「Physical Review Letters」のオンライン版に掲載されました。
発表内容
【研究の背景】
遷移金属原子と酸素原子の化合物である機能性酸化物は、従来のエレクトロニクスで活用されている金属・半導体・絶縁体等の電気伝導性、磁性や誘電性に加えて、将来のエレクトロニクスへの活用が期待される超伝導、巨大磁気抵抗効果、多重強的秩序(マルチフェロイクス(注6))などの多彩な物性を示すため、機能性材料として精力的に研究されてきました。物質中における電子の間に働く静電気的な反発力(クーロン相互作用)がもたらす電子の複雑な運動は“電子相関”と呼ばれ、特に陽イオンである遷移金属における電子相関がこれらの物性の発現において重要な役割を担うと考えられてきました。そのために、酸素原子の電子状態に着目した研究はほとんど行われてきませんでした。
機能性酸化物SrRuO3は、金属伝導や強磁性、垂直磁気異方性などエレクトロニクス応用上重要な特性を持つ物質であり、発見以来、60年以上も研究されてきました。特に近年、超高品質な薄膜において、磁性ワイル半金属状態(注7)と呼ばれるトポロジカルな性質(注8)を反映した電子状態が存在することが実証され、トポロジカルスピントロニクス応用が期待される物質として注目を集めています。SrRuO3は、陽イオンであるRuと陰イオンである酸素の電子軌道が混成した電子状態を形成しますが、上記の特性を担うフェルミエネルギーにおける電子状態がどのように材料の物性に寄与するかはわかっていませんでした。
【実験概要】
本研究では、SrRuO3における陽イオンRuと陰イオン酸素のそれぞれの電子の性質を精密に調べるために、世界最高品質の結晶性の高さを持つSrRuO3薄膜に対し、放射光を用いた光電子分光測定を行い、フェルミエネルギーにおける電子状態を精密に調べました。本光電子分光測定では、入射X線のエネルギーを調整することで、各電子軌道に由来する電子状態(部分状態密度(注9))を実験的に分離して調べることができます。
【実験結果】
本研究により、陽イオンRuの電子軌道由来の部分状態密度がフェルミエネルギーを横切っており金属的(電子が遍歴的:電気伝導への寄与が大きい)であるのに対して、酸素の電子軌道由来の部分状態密度はフェルミエネルギーでほぼゼロであり絶縁体に近い状態(電子が局在的:電気伝導への寄与が小さい)であることを発見しました(図1)。
[画像2]https://digitalpr.jp/simg/2341/114978/700_262_20250729160636688872fc7fdbf.png
図1:機能性酸化物SrRuO3の電子状態
(a) 光電子分光で観測されたRu 4d電子軌道(赤色)とO 2p電子軌道(青色)に由来する部分状態密度(PDOS)。(b) Ru 4d-O 2p混成状態の概略図。破線で示すように、Ru 4dとO 2p PDOSは大きさが異なるが同じ形状をしていると考えられていた。
従来、SrRuO3におけるRuの電子軌道と酸素の電子軌道が混成した電子状態は、強く混成して電子軌道に依存せず同一の形状になると考えられており(図1)、本研究での観測結果は従来の考えと異なります。そこで、酸素原子の電子軌道における“電子相関”の大きさを実験的に見積もったところ、酸素の電子相関がこれまでの研究から見積もられていたRuの電子相関の大きさに比べて数倍大きいことがわかりました(図2)。この酸素の大きな電子相関によって、酸素の電子軌道由来の電子状態が絶縁体に近く、電気伝導にはほぼ寄与しないと考えられます。酸素の電子相関がフェルミエネルギーにおける電子状態に与える影響を明確に観測した結果は世界初であり、長い歴史を持つ機能性酸化物研究に新基軸を与えるものです。
[画像3]https://digitalpr.jp/simg/2341/114978/700_278_20250729160636688872fc37bb9.png
図2:SrRuO3における酸素の電子相関(Upp)
(a) 電子相関の見積もり。酸素のオージェスペクトル(橙色、電子相関を含む)と価電子帯の自己畳込みスペクトル(緑色、電子相関を含まない)の比較。ピークのエネルギー差が電子相関の大きさ(Upp)を反映している。ここで、自己畳込みスペクトルとは、価電子帯の混成に寄与しないO 2p電子状態を自己畳込みすることで、電子相関がない場合のスペクトルに変換したものである。
【技術ポイント】
① 放射光光電子分光
高輝度のX線を利用できる放射光施設では、最先端の分光法を用いた物質研究が日々進展しています。放射光は、高輝度であることに加えて、X線のエネルギーを変えられることが特徴です。放射光を用いた光電子分光では、特定の元素の電子軌道の吸収エネルギーにX線のエネルギーを合わせることで、特定の電子軌道に由来する部分状態密度の信号強度を増大して観測することが可能です。今回の研究では、Ru 4d電子軌道とO 2p電子軌道の吸収エネルギーに対応したX線を用いることで、それぞれの部分状態密度を観測することに成功しました。
② 高品質薄膜作製技術
ペロブスカイト構造と呼ばれる結晶構造を持つSrRuO3薄膜を、2019年にNTTが開発した機械学習を援用した酸化物分子線エピタキシー法(ML-MBE)により作製しました。高品質な薄膜を作製するには薄膜作製条件の精緻な調整が不可欠であり、従来は研究者・技術者によるトライアルアンドエラーによって行われてきました。ML-MBE法では、ベイズ最適化という統計的機械学習手法により薄膜作製条件を高効率に最適化します。この技術により、原子レベルでSr、Ru、Oが規則的に配列した超高品質なSrRuO3薄膜(図3)の作製が可能となりました。
【各機関の役割】
本研究では東京大学とNTTが共同で実験計画を策定し、大型放射光施設SPring-8における放射光を用いた光電子分光測定を実施しました。NTTは酸化物ML-MBE法による高品質なSrRuO3薄膜を作製し、その薄膜の物性評価を行いました。
[画像4]https://digitalpr.jp/simg/2341/114978/550_334_20250729160637688872fd50da7.png
図3:SrRuO3薄膜の電子顕微鏡像
(報道発表「世界で初めてエキゾチックな準粒子の量子的電気伝導を観測 ~超高品質SrRuO₃薄膜を用いて『磁性ワイル半金属状態』の存在を実証~」より引用 https://group.ntt/jp/newsrelease/2020/10/09/201009a.html
)
【今後の展開】
本研究では、機能性酸化物SrRuO3において、強く混成し一体化していると考えられていた遷移金属と酸素原子の電子状態が異なることを発見しました。これまで一般に機能性酸化物では、陽イオンである遷移金属の電子相関が物性に重要な影響を与えると考えられてきました。従来の通説を覆す今回の結果は、機能性酸化物における酸素の電子相関の影響を見直す必要性を示すものであり、遷移金属と酸素の電子軌道が混成する他の物質にも広く適用できる新概念の発見といえます。今後、酸素の電子相関を取り入れた理論的枠組みの構築による物質設計の精度向上により、理論計算、大規模計算による物性予測に基づく機能性酸化物の機能設計・シミュレーションを用いることで、新原理に基づく磁気メモリや量子デバイスの開発が可能になると期待されます。
発表者・研究者等情報
東京大学
大学院工学系研究科 電気系工学専攻
小林 正起 研究当時:准教授
兼:同大学大学院附属スピントロニクス学術連携研究教育センター
現:NTT株式会社 物性科学基礎研究所 主任研究員
関 祐一 研究当時:修士課程
稲垣 洸大 研究当時:修士課程
武田 崇仁 研究当時:博士課程
現:東京大学 大学院工学系研究科 助教
田中 雅明 教授
兼:同大学大学院附属スピントロニクス学術連携研究教育センター
大学院理学系研究科
藤森 淳 東京大学名誉教授
兼:台湾国立清華大学物理系・前瞻量子科技中心 客員教授
NTT株式会社 物性科学基礎研究所
若林 勇希 特別研究員
谷保 芳孝 上席特別研究員・グループリーダー
山本 秀樹 上席特別研究員
ヨシハル・クロッケンバーガー 主任研究員
国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構 原子力科学研究所 物質科学研究センター
竹田 幸治 研究主幹
藤森 伸一 グループリーダー
論文情報
雑誌名:Physical Review Letters
題 名:Correlated Ligand Electrons in the Transition-Metal Oxide SrRuO3
著者名:Yuichi Seki, Yuki K. Wakabayashi, Takahito Takeda, Kohdai Inagaki, Shin-ichi Fujimori, Yukiharu Takeda, Atsushi Fujimori, Yoshitaka Taniyasu, Hideki Yamamoto, Yoshiharu Krockenberger, Masaaki Tanaka, and Masaki Kobayashi*
DOI:10.1103/n9qh-6739
URL:https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/n9qh-6739
研究助成
本研究は、日本学術振興会 科研費「挑戦的研究(萌芽)(課題番号:19K21961)」、「基盤研究(S)(課題番号:20H05650、22H04948)」、「基盤研究(C)(課題番号:22K03535)」、科学技術振興機構 「CREST(課題番号:JPMJCR1777)」、スピントロニクス学術研究基盤と連携ネットワーク(Spin-RNJ)、台湾国家科学及技術委員会「専題研究計画(課題番号NSTC 113-2112-M-007-033)」、文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業(課題番号:JPMXP1222AE0031)、JAEA施設供用制度(2022A-E23)、JASRI利用研究課題審査委員会(課題番号:2020A3841)の支援により実施されました。
用語解説
(注1)放射光:
リング状の超高真空の通路に極めて高速に加速された電子を走らせ、磁場中でその加速度を変化させた際に接線方向に放射される紫外線、X線などの光を放射光と呼びます。放射光は、極めて高い強度を持つ白色光のため、目的に応じた波長の光を選択的に取り出すことで、高感度な分光測定による詳細な物性評価や分析が可能です。このため、材料開発を進める上で非常に重要と考えられています。我が国では、SPring-8(播磨)、フォトンファクトリー(つくば)などの放射光施設が広く利用されています。
(注2)光電子分光:
波長の短い(エネルギーの高い)X線を物質に照射すると、光電効果により物質表面から電子が飛び出します。この電子を“光電子”と呼びます。
(注3)電子軌道:
物質を構成する原子では、量子力学的な効果で、離散的なエネルギーを持つ電子軌道を形成します。この電子軌道は、K殻(s軌道)、L殻(p軌道)、M殻(d軌道)として知られています。それぞれの電子軌道は占有できる電子数が決まっています。物質を構成する元素の最外殻の電子軌道は混成することで、離散的ではなく、連続的なエネルギー準位を持つ価電子帯を作ります。
(注4)電子相関:
電子の間には静電気力による斥力相互作用が働き、これはクーロン相互作用と呼ばれます。物質の内部の電子においても互いに避け合う相互作用が働いており、多電子系における電子間の相互作用が“電子相関”です。電子相関は、空間的に局在しているd電子軌道やf電子軌道で顕著に働き、超伝導や金属-絶縁体転移などの量子物性の発現において、鍵となる性質と知られています。
(注5)フェルミエネルギー:
物質を構成する元素(イオン)のエネルギーの低い電子軌道から電子を詰めていき、最も高いエネルギー準位の位置がフェルミエネルギーです。物質の特性はフェルミエネルギー近傍の電子状態によって決まります。金属ではフェルミエネルギー上に電子状態(状態密度)が存在し、一方で、絶縁体ではフェルミエネルギー上に電子状態は存在しません。
(注6)マルチフェロイクス:
物質中における強的秩序には強磁性や強誘電性、強弾性などがあり、外場がゼロの熱平衡においてそれぞれ磁化、電気分極、歪が自発的に生じている状態を表します。物質中における複数の対称性の破れにより多数の強的秩序が共存し、それらが強く結合している状態を有する物質群をマルチフェロイクスと呼びます。マルチフェロイクス物質では、磁性と電気特性などが相関することで、磁場誘起の電気分極反転など大きな電気磁気効果が起こることが知られています。
(注7)磁性ワイル半金属状態:
固体物質中で実現する『ワイル半金属状態』と呼ばれる状態には、磁性とは無関係に発現する『非磁性ワイル半金属状態』と、物質の持つ磁性がその発現に本質的な役割を果たす『磁性ワイル半金属状態』との2種類があります。前者は、2015年に固体の非磁性物質TaAs[Ta(タンタル)、As(ヒ素)からなる化合物]中に実現することが複数の研究グループにより発見されました。後者は、2年遅れて、2017年にMn3Sn[Mn(マンガン)、Sn(スズ)からなる化合物]中で実現することが発見されました。SrRuO3中に存在することが実証されたのは、後者の『磁性ワイル半金属状態』です。ワイル半金属状態での電子の振る舞いは、ワイル粒子という準粒子の振る舞いとして理解されます。この粒子は、1929年にドイツの物理学者ヘルマン・ワイルによって予言された質量のない粒子で、長らく高エネルギー物理学(素粒子物理学)の領域で研究されてきましたが、素粒子物理学の実験では存在が確認されていませんでした。近年、固体物質中に実現するエキゾチックな状態(ワイル半金属状態)でこの粒子が存在し得ることが判明し、固体物理学の領域で盛んに研究されるようになりました。
(注8)トポロジカルな性質:
トポロジー(位相幾何学)とは、ある形に対して変形を加えても保たれる普遍的な性質を元に、対象物を分類したり、対象物の性質を理解したりする概念です。よく示される例に、半円形の持ち手がついたコーヒーカップ(カップと持ち手の間に穴が1つ)と中心に穴の開いたドーナッツの比較があり、どちらも穴の数が1つで片方から他方へ連続変形できるためトポロジーの観点からは同類となります。トポロジカルな性質とは、物質中に実現した状態が示す性質のうち、トポロジーの概念を用いると良く理解できる性質のことで、『磁性ワイル半金属状態』にはそのような性質が含まれています。
(注9)部分状態密度:
状態密度は連続的なエネルギー分布を持つ価電子帯において、ある微小なエネルギー幅にどのくらいの電子が占有できるかを表す物理量です。価電子帯を形成する電子軌道毎に状態密度を定義することが可能で、ある電子軌道由来の状態密度を“部分状態密度”と呼びます。価電子帯を構成する全ての部分状態密度の足し合わせが物質の状態密度に対応します。放射光を用いた光電子分光では、内殻励起を利用した共鳴光電子分光という手法により、特定の電子軌道に由来する部分状態密度を実験的に観測することができます。