本研究の成果は、2025年7月31日にJournal for ImmunoTherapy of Cancer誌オンライン版に掲載されました。
【本研究のポイント】
切除不可能と判断された進行膵癌10名に「WT1標的免疫化学療法」を実施したところ、7名の膵癌が縮小ないし長期間安定し手術が可能となりました。
そのうち4名は5年以上の長期生存が可能となり、3名は再発・転移なく現在でも6年以上の生存を維持しています。
長く生存された方では、治療効果予測バイオマーカーとして治療前からWT1に反応する免疫の働き(免疫応答)がすでに備わっていることが判明しました。
特に、膵癌細胞を繰り返し攻撃できる「記憶型のT細胞(セントラルメモリーCD8+T細胞)」が増えていたことがわかり、これが長期生存に関係している可能性が示されました。
この治療法では、WT1以外にも膵癌細胞が持つさまざまな目印(抗原)に対しても免疫が反応することが確認されました。
切除不能進行膵癌の方でWT1に対する免疫応答を有している場合は「WT1標的免疫化学療法」が有望な治療戦略となる可能性を見出しました。
【今後の展望】
本臨床試験では、切除不能進行膵癌を対象に、Neo-WT1樹状細胞療法(計15回)と標準化学療法(Nab-P/Gem)の併用治療を実施しました。今後は、化学療法単独治療群などを設定した比較対照を含む大規模な臨床試験により、本治療法の有効性と安全性を検証することが重要です。
【論文情報】
掲載誌:Journal for ImmunoTherapy of Cancer誌オンライン版
論文タイトル:Predictors of patients with advanced pancreatic cancer patients undergoing conversion surgery via chemoimmunotherapy with a multifunctional Wilms' tumor 1 (WT1) peptide cocktail-pulsed dendritic cell vaccine
著者:Shigeo Koido, Junichi Taguchi, Masamori Shimabuku, Tuuse Bito, Soyoko Morimoto, Yusuke Oji, Yoshihiro Oka, Masaki Ito, Yoko Shimizu, Zensho Ito, Kan Uchiyama, Masayuki Saruta, Nobuhiro Sato, Toshifumi Ohkusa, Shigetaka Shimodaira, Haruo Sugiyama
DOI:10.1136/jitc-2024-011426
掲載URL: https://jitc.bmj.com/content/13/7/e011426
本研究はJSPS科研費の助成をうけたものです。
【協力メンバー(氏名・研究実施時の所属)】
小井戸 薫雄・東京慈恵会医科大学附属柏病院 消化器・肝臓内科
田口 淳一・東京ミッドタウン先端医療研究所
島袋 誠守・東京ミッドタウン先端医療研究所
尾藤 通世・東京慈恵会医科大学附属柏病院 消化器・肝臓内科
森本 創世子・大阪大学大学院医学系研究科 癌幹細胞制御学寄附講座
尾路 祐介・大阪大学大学院医学系研究科保健学専攻 生体病態情報科学講座
岡 芳弘・大阪大学大学院医学系研究科 癌幹細胞制御学寄附講座
伊藤 正紀・東京慈恵会医科大学 総合医科学研究センター 臨床医学研究所
清水 洋子・東京ミッドタウン先端医療研究所
伊藤 善翔・東京慈恵会医科大学附属柏病院 消化器・肝臓内科
内山 幹・東京慈恵会医科大学附属柏病院 消化器・肝臓内科
猿田 雅之・東京慈恵会医科大学 消化器・肝臓内科
佐藤 信紘・順天堂大学大学院医学研究科 腸内フローラ研究講座
大草 敏史・東京慈恵会医科大学附属柏病院 消化器・肝臓内科 / 順天堂大学大学院医学研究科 腸内フローラ研究講座
下平 滋隆・金沢医科大学 再生医療学講座
杉山 治夫・大阪大学大学院医学系研究科 癌免疫学寄附講座
【本研究内容についてのお問い合わせ先】
東京慈恵会医科大学附属柏病院 消化器・肝臓内科 非常勤講師
小井戸 薫雄
電話 04-7164-1111(代表)
【報道機関からのお問合せ窓口】
学校法人慈恵大学 経営企画部 広報課
電話 03-5400-1280
メール koho@jikei.ac.jp
国立大学法人大阪大学 医学系研究科 保健学事務室庶務係
電話 06-6879-2504
メール i-hoken-syomu@office.osaka-u.ac.jp
東京ミッドタウン先端医療研究所
電話 03-5413-7920
メール cell.care@tokyomidtown-mc.jp
学校法人金沢医科大学 広報部 広報企画課
電話 076-286-2211(代表)
メール kikaku@kanazawa-med.ac.jp
学校法人順天堂 総務局 総務部 文書・広報課
電話 03-5802-1006
メール pr@juntendo.ac.jp
研究の詳細
背景
進行膵癌は、体の免疫が働きにくい特別な環境を癌の周りにつくってしまうため、これまでの化学療法や放射線治療、免疫の働きを助ける薬(免疫チェックポイント阻害薬)が効きにくいことがあります。
WT1は、膵癌の細胞や癌の根元となる細胞(癌幹細胞)、癌に栄養を送る血管、さらに免疫の働きを抑える細胞にも多く発現していることがわかっています。そのため、WT1はさまざまな癌に対する治療の標的として注目されています。私たちは、これまでのWT1とは異なる新しいタイプのWT1(Neo-WT1)ペプチドを用いて、免疫を活性化させる細胞(樹状細胞)にWT1の情報を与えて、膵癌の方に投与する「Neo-WT1樹状細胞療法」を開発しました。これを、現在使われている抗癌剤(ナブパクリタキセルとゲムシタビン:Nab-P/Gem)と組み合わせた「WT1標的免疫化学療法」を、世界に先がけて考案・実施してきました。この治療法は、WT1という癌の目印に対して強い免疫の働きを引き出すことができ、手術が不可能な進行した膵癌の方でも、癌を完全に取り切る手術(R0切除)が可能になった例もありました。ただし、「WT1標的免疫化学療法」の効果には、それぞれの免疫反応など、さまざまな要因が関係していると考えられています。そのため、この治療が誰にどのように効くかを事前に正確に予測することは、まだ難しいのが現状です。
<WT1標的免疫化学療法>
これまでとは異なる新しいタイプのWT1(Neo-WT1)ペプチドを使って作製した「Neo-WT1樹状細胞」に加え、標準的な癌治療薬である「ナブパクリタキセルとゲムシタビン(Nab-P/Gem)」を併用した新しい治療法を「WT1標的免疫化学療法」と呼びます。この治療法の全体の流れを、下の図でご紹介します。
<WT1標的免疫化学療法の治療スケジュール>
1コース目は標準化学療法のみを使用し、2コース目からNeo-WT1樹状細胞療法と標準化学療法(Nab-P/Gem)を併用しました。Neo-WT1樹状細胞の投与は15回に限定しました。
目的・手技
多くの膵癌の細胞の中には、WT1というたんぱく質があります。このWT1をねらって攻撃する「免疫療法」と、抗癌剤による「化学療法」を組み合わせた治療法を「WT1標的免疫化学療法」といいます。この治療法がどれくらい効果があるのかを予測するために、私たちは体の中でどのような変化が起きているか、また癌の状態がどうなっているかを詳しく調べました。今回は、当初には手術ができなく進行した膵癌の方9名を対象に、次のようなことを調べました。
WT1に反応して癌を攻撃する免疫細胞(キラーT細胞)のうち、再び癌に出会ったときにすぐに働ける「記憶を持ったT細胞(メモリーT細胞)」がどのくらい存在するか
WT1を発現している癌を攻撃する「抗体」が、どのくらい体の中にあるか
癌のまわりに集まっている免疫細胞の種類や数はどうか
血液の中に流れている癌細胞の循環腫瘍DNA(ctDNA)にどのような変化があるか
膵癌の細胞そのものが、どのような特徴を持っているか
これらの情報をもとにして、「WT1標的免疫化学療法」がどのような方に効果が出やすいのかを明らかにすることが、本研究の目的です。
成果
治療成績
切除不能進行膵癌9例における無増悪生存期間および全生存期間の中央値は、それぞれ、2.23年と3.52 年でした。6年以上の生存者が3例いました(下図)。
膵癌が縮小ないし安定後に手術が可能であった方(7例)は、手術ができなかった方(2例)と比較し、長期間の生存が認められました。手術が可能であった4名は5年以上生存しました。また、3名では6年経過後も再発や転移を認めていません。長期生存された方は、局所進行切除不能膵癌で、WT1特異的免疫反応が強く誘導でき、手術が可能となった方でした(下図)。
(2) 治療効果予測バイオマーカー
長期生存をきたした方は、治療成績がやや劣った方と比較して、次のような特徴を有していました。
1.WT1特異的CD8+ナイーブT細胞数が治療前の段階で、末梢血中に減少していました。
2.WT1に対するIgM抗体量が治療前から多くみられました。
3.血液中の癌遺伝子KRAS・TP53などに変異が治療前から見られませんでした。
4.治療前から血中腫瘍DNAに変異が見つかっていた人では、治療後にその頻度が減少しました。
5.膵癌細胞がPD-L1というタンパク質をあまり発現していない方は長期生存されました。PD-L1は、免疫細胞の働きを「ブレーキ」する役割があり、これが少ないと免疫が効きやすくなります。
6.膵癌のまわりの組織(腫瘍微小環境)を詳しく見たところ、特に治療効果が高かった方では、CD103+細胞(以下の茶色い細胞)やCD20+細胞(以下の茶色い細胞)という免疫細胞が多く集積集していましたが、生命予後との関連は認められませんでした。
7.治療後、WT1特異的CD8+セントラルメモリーT細胞数が末梢血中で増加していました。
このように、「WT1標的免疫化学療法」の効果が高い方には、WT1に対して免疫の準備が整っているような状態が見られました。今後は、治療の前にこれらの特徴を調べることで、誰にこの治療が有効であるかを予測できるようになるかもしれません。
今後の応用、課題
今後、このWT1を標的にした免疫化学療法の効果を正確に確かめるためには、化学療法だけの治療や、免疫治療だけの治療を比較対象(コントロール)とした大規模な臨床試験を行うことが望まれます。こうした研究を通じて、「WT1標的免疫化学療法」が本当に他の治療よりも効果的かどうかを科学的に検証することができます。
要約
「WT1標的免疫化学療法」にて優れた治療成績が得られた「スーパーレスポンダー」と治療成績がやや劣った「非スーパーレスポンダー」におけるWT1特異的免疫反応の相違について、要約図を以下に示します。
【要約図】
(要約図の説明)
膵癌の多くは腫瘍微小環境において免疫細胞、特にT細胞がほとんど存在しない、または免疫応答が抑制されている腫瘍(cold tumor)がほとんどですが、「WT1標的免疫化学療法」にて一部の腫瘍は免疫が活性化した腫瘍(hot tumor)に変換できる可能性があります。
治療前の時点でWT1特異的CD8+ナイーブT細胞の数が少なく、WT1特異的IgM抗体のレベルが高い方は、「WT1標的免疫化学療法」の恩恵を受ける可能性があります。
「WT1標的免疫化学療法」のスーパーレスポンダーでは、非スーパーレスポンダーよりも有意に多くのWT1特異的CD8+セントラルメモリーT細胞が増加しました。
治療前に、血漿中の循環腫瘍DNA(ctDNA)中に、2つの主要遺伝子(KRASとTP53)のいずれかの変異(すなわち、ネオアンチゲン)があり、PD-L1を高レベルで発現している膵癌細胞がある方は、予後が有意に不良でした。
化学療法や「Neo-WT1樹状細胞療法」により膵癌が破壊された後、様々な腫瘍抗原が放出されます。その結果、ネオアンチゲンやオンコアンチゲンに反応する「IFN-γを産生するCD8+T細胞」の誘導を確認することができました(下図の下段に示した青色矢印)。すなわち、「WT1標的免疫化学療法」では、ネオアンチゲン(変異のあるTP53など)とよばれる癌細胞特有の異常なたんぱく質や、様々なオンコアンチゲン(WT1やTP53やKRASなど)にも反応する免疫が誘導されることを確認しました。したがって、この治療により、ネオアンチゲンやオンコアンチゲンを発現している膵癌細胞を免疫が認識し、攻撃・排除することが期待されています。
青色矢印:ネオアンチゲンやオンコアンチゲンに反応する「IFN-γを産生するCD8+T細胞」の誘導を確認することができました。
脚注、用語説明
(1) WT1
WT1とは、多くの種類の腫瘍に見られる「たんぱく質」の一つです。癌細胞が持つ特徴的な目印のようなもので、白血病や肺癌、大腸癌、膵癌、さらには骨や筋肉の腫瘍、脳腫瘍など、さまざまな腫瘍でWT1が多く発現していることがわかっています。また、WT1は癌の元になる「癌幹細胞」や、癌のまわりに集まって癌を助ける「マクロファージ」や「癌に栄養を送る血管」にも見られます。そのため、WT1を狙って治療することで、いろいろな角度から癌を攻撃できる可能性があり、治療効果への期待が高まっています。
(2) Neo-WT1
免疫療法は、体に本来備わっている「免疫の力」を利用して、癌細胞を攻撃し、治療しようとする方法です。癌細胞には、体の正常な細胞にはあまり見られない「癌特有の目印」がたくさんあります。この目印となる物質は「腫瘍抗原」と呼ばれています。その中でも、WT1という名前のたんぱく質は、特に多くの種類の腫瘍で見られる代表的な腫瘍抗原です。免疫療法では、こうした「癌特有の目印」をもとに、癌細胞だけを狙って攻撃できるように体の免疫を強く働かせます。そのため、正常な細胞にはあまり影響せず、副作用が少ない治療法と考えられています。
「Neo-WT1樹状細胞」というワクチンを皮膚の下に注射すると、体の中の免疫細胞(リンパ球)がトレーニングされて、「WT1」という目印をもつ膵癌細胞を見つけて攻撃できる、「強い戦う細胞」になります。この働きによって、癌を攻撃する免疫の力が高まります。ただし、どれくらい強く、どのくらいの期間その免疫が働くかには個人差があります。長くしっかりと免疫が効く人もいれば、反応が弱い人もいました。しかし、膵癌の多くで「WT1」という目印が見つかっているため、多くの方がこの免疫療法が使える可能性があります。
(3) 無増悪生存期間(PFS: Progression-Free Survival)
治療を受けている方が、病状が悪化せずに生存している期間です。
(4) 全生存期間(OS: Overall Survival)
診断や治療開始からあらゆる原因で死亡するまでの期間です。
(5) ナイーブT細胞
まだ本格的に働いたことのない「新人」の免疫細胞です。数が少ないということは、すでに免疫の「経験者」が多い可能性があります。
(6) IgM抗体
IgM抗体とは、体が最初に作る抗体です。これが多いと「敵(すなわち癌)が来た」というサインにすばやく反応できます。
(7) 血中腫瘍DNA
血中腫瘍DNAとは、癌細胞から出て血液中を流れている癌の遺伝子の断片です。
(8) ネオアンチゲン
ネオアンチゲンとは、癌細胞が突然変異によって作り出した、まったく新しい癌の目印のようなものです。
(9) オンコアンチゲン
オンコアンチゲンとは、癌細胞だけが持っている特別な癌の目印のようなものです。WT1はオンコアンチゲンの一つとして知られています。
ネオアンチゲンやオンコアンチゲンなどの癌の目印を、特別な免疫細胞が見つけることで、癌細胞を攻撃することができるようになります。
(10) CD103+細胞
CD103+細胞とは、癌のある場所にとどまって、攻撃し続ける免疫細胞です。
(11) CD20+細胞
CD20+細胞とは、B細胞に発現しており、抗体を作る手助けをします。
本件に関するお問合わせ先
学校法人慈恵大学 広報課
メール:koho@jikei.ac.jp
電話:03-5400-1280
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