【概要】
がんの死因の大半を占める「転移」は、腫瘍を取り巻く微小環境の変化によって引き起こされます。
がん細胞に発現するGPNMBは、がん特有のシアル酸修飾を受けており、これにより、マクロファージ上に発現するSiglec-9受容体と高い選択性で結合することが分かりました。GPNMBは、腫瘍微小環境における多様な免疫抑制性マクロファージ(TAM)の誘導を促進する役割があり、その中でもSiglec-9は、シアル化GPNMBとの相互作用を介して、特定のTAMサブセットの分化と機能制御に関与する分子として同定されました。さらに、Siglec-9陽性TAMが、がん細胞の浸潤性とEMT(上皮間葉転換)促進に関与することが示されました。
マウスモデルを用いた実験では、Siglec-E(マウスにおけるヒトSiglec-9の機能的相同分子)および免疫チェックポイント受容体PD-1の阻害が、サイトカインIL-6を介したEMTや腫瘍の転移を有意に抑制しました。これらの結果から、腫瘍細胞に発現するGPNMBとマクロファージに発現するSiglec-9との相互作用による腫瘍微小環境の免疫抑制的な再プログラム化が、TNBCの進行と治療抵抗性に関与する中心的な経路であると考えられ、新規免疫療法開発における有望な標的となる可能性があります。
【研究代表者】
・筑波大学医学医療系
川西 邦夫 助教 (研究当時、現:昭和医科大学医学部解剖学講座顕微解剖学部門 教授)
加藤 光保 教授
■研究の背景
がんの進行や転移、治療抵抗性には、腫瘍微小環境(tumor microenvironment:TME)*¹の動的な変化が深く関与しています。TMEは、がん細胞のみならず、免疫細胞や間質細胞など多様な細胞種から構成され、それぞれが複雑に相互作用することで、がんの悪性化を促進します。中でも、腫瘍随伴マクロファージ(tumor-associated macrophages:TAM)*²は、TMEの中心的構成要素として、免疫抑制性の性質を持ち、がん免疫応答の回避に寄与することが知られています。TAMは、がん組織に浸潤・定着し、炎症促進や免疫抑制など、がん種や進行段階に応じて幅広い機能的スペクトラムを持ち、免疫逃避、血管新生、転移促進に関与します。
近年、シングルセル解析技術*³の進展により、TAMの分子的多様性と極性転換の実態が明らかになりつつありますが、その上流でTAMの機能を制御する腫瘍由来因子、とりわけ糖タンパク質を介した免疫調節メカニズムについては未解明の部分が多く残されています。
本研究では、がん細胞に高発現する糖タンパク質「GPNMB(Glycoprotein non-metastatic melanoma protein B)」に注目しました。GPNMBは、悪性黒色腫(メラノーマ)、脳腫瘍など多くの悪性腫瘍で過剰に発現しており、がん幹細胞性*⁴や転移促進といった腫瘍悪性化に関与することが示唆されています。特にトリプルネガティブ乳がん(TNBC:エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2受容体がすべて陰性の乳がん)では、GPNMBは免疫抑制性TAMのマーカーとしても報告されていますが、TAMの極性変換を誘導する「上流因子」としての役割や、シアル酸を介した免疫チェックポイント受容体Siglec-9との関係性については、これまで明確にされていませんでした。
■研究内容と成果
本研究では、GPNMBが高度に発現するトリプルネガティブ乳がん(TNBC)において、免疫抑制性マクロファージ(TAM)と腫瘍の上皮間葉転換(epithelial-mesenchymal transition:EMT)*⁵を同時に誘導する分子機構を解明しました。ヒト組織のRNA-seq(次世代シーケンサーを用いたRNAの塩基配列解析)やレクチン解析(糖鎖構造解析)などから、GPNMBはTNBCで著しく高発現するとともに過剰なシアル酸修飾を受け、Siglec-9*⁶と協調的に発現して予後不良と関連することが示されました。さらに、腫瘍細胞由来GPNMBではα2,3-シアル化が主体である一方、マクロファージ由来GPNMBではα2,6-シアル化が主体であることが判明しました。GPNMBとSiglec-9の結合はこのシアル酸修飾に依存しており、このパターンの違いによってSiglec-9は腫瘍細胞由来GPNMBをより選択的に認識します。また、腫瘍細胞と単球(白血球の一種)の3次元共培養モデルを用いた解析により、腫瘍GPNMBが単球内のGPNMB発現を誘導し、免疫抑制的かつEMT関連のTAMへと分化させる「自己増幅ループ」が形成されることを確認しました。この結果、腫瘍内には炎症性と免疫抑制性の両極性を持つTAMネットワークが構築され、転移促進に寄与することが示唆されました。
さらに、マウスモデルを用いた免疫療法実験では、Siglec-E(マウスにおけるヒトSiglec-9の機能的相同分子)と免疫チェックポイント受容体PD-1*⁷を同時に阻害すると、IL-6を介したEMTを抑制し、肺転移の著明な減少をもたらしました。この際、免疫抑制性TAMおよび抑制性T細胞(Treg)の抑制に顕著な効果が見られ、またCD8⁺T細胞活性*⁸に関してはPD-1単独阻害と比較して異なる作用プロファイルを示すことが明らかになりました。これにより、併用療法における有効性と作用機序の違いが明確になりました。
以上より、GPNMB-Siglec-9軸は、TNBCの免疫抑制環境と転移促進における中心的な糖鎖-免疫チェックポイント経路であり、新たな治療標的となる可能性が示されました(参考図)。
■今後の展開
本研究は、免疫抑制性マクロファージと腫瘍の転移を制御する新たな分子経路「GPNMB-Siglec-9軸」を明らかにし、トリプルネガティブ乳がんの進行に深く関与していることを示しました。特に、この軸がIL-6など複数の炎症性因子やがん幹細胞性、上皮間葉転換を同時に活性化することを発見し、転移や治療抵抗性の一因であることを示唆しました。
今後は、本経路を標的とした新たな免疫療法や薬剤開発、既存の免疫チェックポイント療法との併用戦略が期待され、TNBCなど予後不良ながんに対する革新的な治療法の創出につながると考えられます。
■参考図
図 GPNMB-Siglec-9軸による腫瘍随伴マクロファージの再プログラム化と多臓器転移促進機構
がん微小環境におけるGPNMB依存的な免疫抑制機構と転移促進経路を示す。腫瘍細胞に高発現する糖タンパク質GPNMBは、単球由来または組織在来マクロファージのTAMへの分化を促進し、シアル酸依存的な免疫チェックポイント受容体Siglec-E(マウス)/Siglec-9(ヒト)を介して、その免疫抑制的極性を強化する。こうして誘導されたTAMは、IL-6を分泌する腫瘍関連線維芽細胞(iCAF)や肥満細胞と協調して、腫瘍上皮細胞における上皮間葉転換(EMT)を誘導することで、浸潤性と転移能を亢進させる。これら一連のプロセスが連鎖的に作用して、多臓器への遠隔転移が促進されることが示唆される(Created with BioRender.com.)。
■用語解説
*1 腫瘍微小環境(tumor microenvironment:TME)
がん細胞を取り巻く微小な環境全体を指し、免疫細胞、腫瘍関連線維芽細胞(CAF)、血管内皮細胞、細胞外マトリックスなどが含まれる。がんの進行や転移に重要な役割を果たす。
*2 腫瘍随伴マクロファージ(tumor-associated macrophages:TAM)
がん組織に浸潤・定着するマクロファージ(白血球の一種)で、炎症促進から免疫抑制まで幅広い機能スペクトラムを示し、免疫逃避、血管新生、転移促進に関与する。
*3 シングルセル解析技術
個々の細胞ごとの遺伝子発現やエピゲノム情報(遺伝子の働きを決める仕組みに関する情報)を解析する手法。
*4 がん幹細胞性
自己複製能と多分化能を持つ腫瘍細胞の性質。治療抵抗性や再発、転移の原因とされる。GPNMBがこの性質に関与する可能性が報告されている。
*5 上皮間葉転換(epithelial-mesenchymal transition:EMT)
上皮細胞が間葉系様の性質を獲得する可逆的な過程。これにより、細胞接の着性が低下し、遊走(移動)性や浸潤(周囲への広がり)性が増し、転移の引き金となる。
*6 Siglec-9(Sialic acid-binding Ig-like lectin 9)
細胞間の情報伝達に関わるシアル酸を認識する免疫抑制性受容体で、好中球やマクロファージなどに発現する。腫瘍細胞表面の糖鎖と結合して抑制性シグナルを伝え、免疫応答を低下させる。
*7 PD-1(Programmed cell death protein 1)
主にT細胞に発現する免疫チェックポイント受容体で、がん細胞に発現するPD-L1との結合によりT細胞の活性化・増殖・細胞傷害機能が抑制される。
*8 CD8⁺T細胞活性
細胞傷害性T細胞(CTL)として腫瘍細胞を直接攻撃する中心的免疫細胞。がん治療においては、この細胞の活性化が免疫療法の鍵となる。
■研究資金
本研究は、日本学術振興会 科学研究費補助金(24K02257)、科学技術振興機構(JST)START 大学発新産業創出タイプ(JPMJST2052)、文部科学省による革新的研究「メゾヒエラルキー」に関する科研費(23H04879)、ならびに科学技術振興機構(JST)のCRESTプログラム「自在配列システム」(JPMJCR20B3)の支援を受けて行われました。
■掲載論文
【題 名】 Tumor-expressed GPNMB orchestrates Siglec-9⁺ TAM polarization and EMT to promote metastasis in triple-negative breast cancer
(GPNMB-Siglec-9軸による免疫抑制性TAMの再プログラム化とTNBC転移の分子機構)
【著者名】 Thuy Linh Dang Cao 1, Kunio Kawanishi 1,2, Sachie Hashimoto 3, Kowit Hengphasatporn 4, Chiaki Nagai-Okatani 5, Takaharu Kimura 6,7, Mohammed Abdelaziz 1, Rie Shiratani 1,3, Thanasis Poullikkas 1, Nuriza Ulul Azmi 1, Masaki Baba 8, Yukari Okita 1, Yukihide Watanabe 1, Hiroko Bando 3, Satoshi Yamazaki 6,7, Yasuteru Shigeta 4, Atsushi Kuno 5, and Mitsuyasu Kato 1
1 筑波大学 医学医療系 実験病理学
2 昭和医科大学 医学部 解剖学講座 顕微解剖学部門
3 筑波大学 医学医療系 乳腺・甲状腺・内分泌外科
4 筑波大学 計算科学研究センター生命科学研究部門
5 国立研究開発法人産業技術総合研究所 生命工学領域 細胞分子工学研究部門
6 筑波大学 医学医療系 幹細胞治療研究室
7 東京大学 医科学研究所 医科学研究所附属 システム疾患モデル研究センター
8 筑波大学 医学医療系 診断病理学
【掲載誌】 Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America(PNAS)
【掲載日】2025年9月1日
【DOI】 10.1073/pnas.2503081122
▼本件に関する問い合わせ先
【研究に関すること】
・川西 邦夫(かわにし くにお)
昭和医科大学 医学部 解剖学講座 顕微解剖学部門 教授(兼 筑波大学 医学医療系 非常勤研究員)
TEL: 029-853-3944
E-mail: kukawanishi@md.tsukuba.ac.jp
URL: https://www.md.tsukuba.ac.jp/epatho/index.html
【取材・報道に関すること】
・筑波大学広報局
TEL: 029-853-2040
E-mail: kohositu@un.tsukuba.ac.jp
・昭和医科大学 総務部総務課 大学広報係
TEL: 03-3784-8059
E-mail: press@ofc.showa-u.ac.jp
▼本件リリース元
・昭和医科大学 総務部総務課 大学広報係
TEL: 03-3784-8059
E-mail: press@ofc.showa-u.ac.jp
【リリース発信元】 大学プレスセンター https://www.u-presscenter.jp/