微小な光素子を用いて2つの機械振動子間に複数の同期状態を生み出すことに成功しました。
さらに、それらの振動子間の異なる同期状態を所望のタイミングで遷移させることに世界で初めて成功しました。
生体系などの記憶や学習といった複雑な現象は多数の振動子の同期が関係すると考えられており、その実験的な解明に向けた展開が期待されます。
NTT株式会社(本社:東京都千代田区、代表取締役社長:島田 明、以下「NTT」)は、メガヘルツ帯の機械振動をレーザ光により自在に励起・制御できるオプトメカニカル素子を用いて、これまで困難であった複数の同期状態の生成に成功し、それらの間を瞬時に遷移させる技術を実証しました。
同期現象は、生体系などの複雑系に広く現れる現象であり、ここで創発する記憶や学習といった高度な「機能」との密接な関わりが示唆されています。本成果によって、光で設計可能な振動子間の同期のリアルタイム制御が達成されたことにより、多様な相互作用が生み出す高度な「機能」を搭載した新たな生体模倣技術の実現が期待できます。本成果は、2025年9月17日(米国時間)に米国学術誌「Science Advances」に掲載されました。
1. 背景
独立な2つのメトロノームを1つの土台の上に置くと、その土台を介して相互作用が起こり、バラバラだったリズムがやがて一斉に揃います。このような現象を同期現象と呼びます[図1(a)]。蛍の集団明滅やカエルの合唱といった生物の営み、2つのレーザの周波数を完全に一致させる技術など、ミクロからマクロ、自然科学から工学応用までさまざまな場面に同期現象は現れます。このような同期現象を人工デバイス上で自由自在に操る技術は、異なるシステム同士を長時間安定化させる上で非常に重要です。例えば、メトロノームの例のように、2つのデバイスのクロックを精緻に同期させることで、安定的に時を刻むデバイスを実現することができます[図1(b)]。
一方、このような同期現象は、脳内のニューロンが構成するネットワーク、すなわちニューラルネットワークで行われる情報処理と密接な関わりがあるとされています※1振動子が同じリズムで同期する様子と複数のニューロンが同じ興奮状態となる様子に類似点が多く、同じ仕組みとして説明できると考えられています。つまり、人工素子を用いて同期現象を自由自在に操ることができるようになれば、人間の脳内で起こるスマートな情報処理能力を秘めた人工ニューラルネットワーク※2の実現に繋がります。
脳内の神経回路では、たくさんのニューロンがその状態を時々刻々と変化させることで情報処理という「機能」を実現していますが※3、先述のメトロノームのように単一の同期状態に安定化するだけではそもそも情報を扱うことができません。同期する振動子(メトロノーム)の間に機能を持たせるためには、複数の同期状態を生み出し、それらの間を所望のタイミングで遷移させる手法の導入が重要となります。しかしながら、既存の同期状態に対する制御技術では、振動子間の相互作用(土台)が素子の形によって固定されていました。そのため、複数の同期状態を生み出すための相互作用の種類や、同期/非同期を切り替えるための相互作用の強さを所望のタイミングで制御することは困難でした。今回、NTTは1秒間に約5,000万回振動する2つの機械振動子※4対して、光によって相互作用を生み出す新手法を確立し、複数の異なる同期状態を実現するとともに、それらの間を所望のタイミングで遷移させることに成功しました[図1(c)]。
[画像1]https://digitalpr.jp/simg/2341/118322/500_393_2025091909000168cc9d01c2dcf.png
図 1: (a)メトロノーム(振動子)における同期の例。(b) 単一状態に同期し続ける振動の波。(c) 異なる同期状態を時々刻々と遷移する振動の波。同期A:同じ方向に振動しながら同期している状態。同期B:反対方向に振動しながら同期している状態。
2. 技術のポイント
①独自のファイバ型オプトメカニカル素子
NTTがノウハウを有するガラス加工技術を駆使し、髪の毛程度の細さのガラスファイバ上にくびれを導入したオプトメカニカル素子※5を作製しました(図2)。この素子のくびれに挟まれたボトル形状の部分では、この部分が膨張・収縮する「機械振動」と、表面を光が全反射で周回する「光共振」が互いに影響を及ぼしあいます(図3)。
②光強度変調による機械振動子間の同期の達成
振動子の間に同期を実現するためには、振動子(メトロノーム)間をつなぐ結合(土台)が必要となります。本研究では、2つの機械振動子の周波数差で強度変調した光を用いることで、振動子間に結合を生み出す新手法を確立し、振動子間の同期を達成しました。さらに、非同期状態と同期状態を比較したところ、この手法により周波数差のばらつきが約1000倍以上抑えられ、高い周波数安定化が得られることを確認しました。
③光変調のシンセサイズによる位相スリップの精密制御
位相スリップとは、同期している2つの機械振動子の相互関係が、振動一回分あるいは整数分の一の単位でずれる現象です。この位相スリップを引き起こすことにより、異なる同期状態の遷移を引き起こすことができます。今回、同期状態を多重化する特殊な結合効果を光で誘起し、その強さと周波数を時間的に変化させることで、位相スリップを所望のタイミングで発現させる新手法を確立しました。
[画像2]https://digitalpr.jp/simg/2341/118322/450_140_2025091909093068cc9f3a270d2.png
図 2: ファイバ型オプトメカニカル素子の素子構成図と光学顕微鏡像。顕微鏡像のオレンジの部分がくびれ(赤矢印)を持つファイバ型オプトメカニカル素子。
[画像3]https://digitalpr.jp/simg/2341/118322/500_237_2025091909093068cc9f3a3b3b1.png
図 3: ファイバ型オプトメカニカル素子における光と機械振動の相互作用の概念図。
3. 実験の概要
80ミクロン直径のガラスファイバ上に78ミクロン程度のくびれを2つ導入したファイバ型オプトメカニカル素子を作製し、1ミクロン程度まで細線化した光ファイバを素子に対して直交して接触させることで、レーザ光を共振させました(図3)。
次に、入射するレーザ光強度を、1つのボトル形状に共存する2つの機械振動子の差周波で強度変調することにより、振動子間に結合を生み出しました。実験では、出力光から2つの振動の「うなり」を計測することで、同期の有無を観測しました。光強度変調を施した結果、うなりの波の位置(位相差)が一定となることが確認されました[図4(a)]。このことは、光を用いることでメトロノームの同期に相当する機械振動子の同期が実現されたことを明確に示しています。
最後に、機械振動子間の差周波とその2倍波あるいは3倍波を合成した強度変調を加えました[図4(b)と(c)]。ここで、差周波変調信号の波の位置を時間的に変化させることで、同期状態の多重化と位相スリップを両立する特殊な結合効果を創出しました。その結果、一周期で2回または3回の位相スリップが生じ、異なる複数の同期状態間を遷移させることに成功しました。これらの状態は、位相が180度または120度ずつずれた振動状態に相当し、同じリズムで動くメトロノームにおいて、振動の向きや針の位置が瞬間的に変化する様子に対応しています。
[画像4]https://digitalpr.jp/simg/2341/118322/450_323_2025091909000168cc9d0125b05.png
図 4: 独自の光強度変調手法によって生み出されるうなりの波の位置(位相差)の同期。光強度のプロット色(左図)は位相差のジャンプ部分(中央図)の網掛け色に対応。
4 .今後の展開
今回の実験で光を用いた機械振動子間の同期制御の要素技術を確立しました。本成果で得られた2つの振動子間の同期のリアルタイム制御を多くの振動子間に拡張することで、微小振動素子を用いた新たな情報処理技術への展望が期待できます。特に、光で振動子間の同期を自由自在に設計可能であることから、脳内のネットワークを実際に構成しているニューロンのように、振動子同士が多様な相互作用で複雑に結ばれ合った高度な情報処理を可能とする生体模倣技術への応用が期待できます。
本研究への支援
本研究開発は、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業基盤研究(S)「極超音波トポロジカルフォノニクスの開拓と多機能弾性デバイスの開発」(研究課題番号:JP21H05020)と、同・基盤研究(S)「超高速マグノフォノニック共振器デバイス」(研究課題番号: JP23H05463)による支援を受けています。
論文情報
雑誌名: Science Advances
タイトル: Synthesized Kuramoto potential via optomechanical Floquet engineering
著者: Motoki Asano, Hajime Okamoto, and Hiroshi Yamaguchi
DOI: 10.1126/sciadv.ady4167
URL:https://doi.org/10.1126/sciadv.ady4167
関連する過去の報道発表
・2022年11月3日「世界初、光で液体の特性や液中の粒子を超高感度に検出する技術を実現
~液体中の所望の位置で計測できる化学・バイオセンサやレオロジー応用に期待~」
https://group.ntt/jp/newsrelease/2022/11/03/221103a.html
【用語解説】
※1:同期現象とニューラルネットワークとの関係性に関する参考文献:
J. J. Hopfield, “Neural networks and physical systems with emergent collective computational abilities”, Proc. Natl. Acad. Sci. USA 79, 2554-2558 (1982).
※2:人工ニューラルネットワーク
微小なレーザ素子や微小マグネット、電気回路などを複数用意し、光や磁極、電流などの情報担体の間に特殊な相互作用を生み出すことで脳内の一部の動作を模倣したさまざまな情報処理を可能にします。これにより、適応性や自律性を秘めた新たなIoTセンサやアクチュエータなどへの応用が期待できます。
※3:神経回路内のニューロン群同士の同期による効果的な情報伝達に関する参考文献:
P. Fries, “A mechanism for cognitive dynamics: neuronal communication through neuronal coherence”, Trends Cogn. Sci. 9, 474 (2005).
※4:機械振動子
ギターの弦やドラムの膜といった楽器のように機械的に振動する構造をマイクロ・ナノ領域に作り込んだ素子を指します。腕時計に含まれている水晶振動子もその代表例です。今回の技術では、膨らんだり萎んだりするファイバ型の素子を利用しています。
※5:オプトメカニカル素子
光は物体を押したり引いたりする「力」を持っています。
※6: 自励発振
外部から周期的な力や信号を加えずに、システムが自らエネルギーを取り込むことで強力且つ安定した振動を続ける現象を指します。息を吹き込むだけで笛が一定の周波数の音を出すように、光を入れるだけで一定の周波数の強い振動を生み出しています。