戦後、遠くへ食料の買い出しに自転車で行く妻の苦労を見かねて自転車用補助エンジンを開発したのが会社のスタートだったというホンダ。その想いが創業者 本田宗一郎の本音だったのか、誇張された美談となって神格化された話なのかはともかく、創業以来「技術は人のために」という企業精神を掲げて独創的な製品を開発してきたのは多くの人が知るところです。


2000年に登場した人間型ロボット「ASIMO」も、そんなホンダのチャレンジの1つ。バイク、クルマ、そして飛行機といった乗り物のとはちょっぴり毛色の違う、でもホンダらしい存在でした。昨年末、20年以上長きにわたり進化を重ねてきた開発の中止が発表され、その後も日本科学未来館やホンダウエルカムプラザ青山でショーを行いながらホンダの理念や未来を語り続けてきましたが、今月末をもってその役目を終えることとなりました。

【画像】見られるのは3月31日まで!ASIMOの開発歴代モデル

現在、ホンダウエルカムプラザ青山で行われている特別展示「ASIMO開発の歩み」では、1980年代の開発モデルから最新のASIMOまでが一堂に展示されています。あとわずかな時間ですが、これを機にちょっぴりASIMOの歴史を振り返ってみます。

1986年、ホンダが人間の2足歩行を研究するために作った最初のロボット「E0」が登場します。あらゆる地形を移動できる人間は究極のモビリティだとの考え方から手探りで研究を始めたASIMOの祖先です。言われてみればたしかに人間は2本の足でどんな凹凸も傾斜地も器用に進めますね。ちなみにこの年、ホンダはN.ピケとN.マンセルが駆るウイリアム・ホンダFW11で初のF1のワールドチャンピオンに輝きます。そんな時代に始まったホンダのロボット開発はその後、E1、E2、E3…と開発は続きE6で歩行安定化技術を確立。1993年には上半身も備えた人間型ロボットP1が登場します。

人間型となったP1の後継モデルP2で、これまで外置きだった電源やコンピュータは必要な機器を内蔵し自立し、1997年にはP3へと進化を遂げます。
P3は身長160cm、体重130kgとちょっと重めですがサイズ感も人間にずいぶん近づき、白い樹脂で覆われたスタイリッシュなボディはASIMOの原型とも言えるデザインとなっています。

このP3の次に登場するのが2000年に登場するASIMO、とホンダの公式サイトでは説明されています。ところが、同じ2000年の前半にもう一台の機体がありました。P3の改良型試作機という位置付だったこのモデルは、じつは一時期「P4」と名付けられツインリンクもてぎ(現 モビリティリゾートもてぎ)内、ホンダコレクションホール(栃木県)にも展示されていましたので記憶に残っている人もいると思います。このP4、ちょっとパープルっぽいアクセントカラーが使われており、それが90年代中盤にソニーから登場したパーソナルコンピュータVAIOっぽく感じたものです(そんな事思うのは筆者だけかもしれませんが…)。

さて、個人的な余談はともかく2000年11月20日、これまでの研究開発で培ってきた技術の成果としてASIMOが誕生します。P3を洗練させたようなデザインのASIMOは身長120cm、体重43kgと小柄かつ軽量で柔らかいフォルムにとてもかわいらしさを感じます。ホンダによると、人間と同じ生活空間での活躍を想定してのサイズだそうですが、小学1年生くらいの身長と、その小さな体に似合わないほど大きなランドセルを背負ったようなフォルムにどことなく子供っぽさすら感じます。一方で宇宙服のような色使いや生命維持装置のような背中の大きな装置、ヘルメットには70年代のアポロ計画を思わせるような懐かしさと、未来感が同居。そんな不思議な感覚もあり、その親しみやすいデザインはASIMOの大きな特徴の一つでしょう。

企業理念に「技術は人のために」を掲げたホンダのASIMOのデザインは、決して人を模したようなリアリティを目指していないのが特徴です。人のためになるテクノロジーを追求しながらも、人に親しみを持ってもらえるような存在感を大切にしたホンダデザインの力作だと感じます。
ブラックアウトした顔の奥に2つのレンズが薄っすらみえるものの「目」としての存在感は薄く、それでいてどことなく可愛らしさを感じるのはASIMO誕生の前年に登場したソニーのAIBOの初期モデルのかわいらしさに通じるように感じます。「またソニーかよ」とお叱りを受けそうですがこの2つの会社、ときどきイメージが重なるのは企業風土に似たような部分があって、それがプロダクトに見え隠れするのかもしれません。

ホンダとソニーは先ごろEVの共同開発や販売、モビリティ向けサービスの提供において手を組むと発表しました。こちらの戦力的提携は両社から正式に発表されたもので、この新しいプロジェクトにもホンダやソニーらしさに満ちた夢のある何かを期待したいものです。

話をASIMOに戻します。2000年に誕生したASIMOはその後、様々な技術を進化させ身体能力や作業機能を向上させます。今はバックも片足でケンケンもできるようになりました。柔らかい紙コップも持てるし、複雑な指の動きを必要とする手話もできるようになりました。複数のASIMOがネットワークを介して作業を分担し共同作業もできるようになりました。東京モーターショーをはじめホンダの様々なイベントで来場者を楽しませてきました。かつて一歩すすむのに5秒もかかったE0から進化してきたASIMO。今や9km/hで走ることができ、サッカーボールを蹴ることもできます。


2011年3月、東日本大震災に伴う福島第一原発の事故が起こった際、ホンダには「ASIMOは、原発に行けないんですか?」との声が相次いだそうです。生身の人間が近寄ることのできない危険な現場でこそロボットに何とかして欲しいという期待は自然なものだったのかもしれません。ここからASIMO開発チームがこれまで積み重ねてきた知見を生かしながら2年の歳月をかけ高所調査用ロボットが開発され、現場に投入されたとのことです。

思えばE0が登場した1986年というのは現在のウクライナに位置するチェルノブイリ原発が大事故を起こした年です。あれから36年近く経った今、ASIMOはその役目を一旦終え、培われたノウハウはアバターロボット(分身ロボット)の開発にバトンを渡しました。近い未来には危険な場所での作業もそれぞれの専門家の分身が担ってくれるかもしれません。

2011年に登場したASIMOはデザイン的にもさらに洗練された優しさを感じます。ランドセルもずいぶん小さくなりました。球形に見える頭も実は横から見るとちょっぴり下膨れに見えとても愛嬌を感じます。

冒頭で記したように、ホンダウエルカムプラザ青山では3月31日まで特別展示「ASIMO開発の歩み」が開催されています。ASIMOが歌って踊ってサッカーボールも蹴るASIMOステージショーも毎日行われています。あとわずかの日程ですがクルマやバイクだけじゃないホンダの理念が形になったASIMOを見に行きませんか。
もちろん入場無料です。

〈文と写真=高橋 学〉
編集部おすすめ