苦戦続きだった日本もオランダには大勝。
ここまでの1次・2次ラウンド、そして現在アメリカで行われている試合を振り返ると、過去2回のWBCよりも活躍する国、選手がバラエティに富んでいる、という印象を強く受ける。その象徴が、アメリカでの1次ラウンドでメキシコ・カナダを破って2次ラウンド進出を決めたイタリア。そして日本が昨日対戦したオランダだろう。韓国・キューバに力で圧倒したオランダは今後もまた対戦する可能性もあり、侮れない。
ヨーロッパで最も野球が盛んな国であるオランダ代表には、日本の野球ファンにもおなじみのバレンティン(ヤクルト)、ジョーンズ(楽天)らが所属。他にもメジャーで一線級で活躍する選手も大勢いる。なぜオランダ代表? と首を傾けてしまうかと思うが、その理由は彼らの出身地であるカリブ海の島・キュラソー島やアルバなどがオランダ王国の構成国であるから。カリブ出身、と聞くだけでドミニカやベネズエラ、キューバと同等国にも思えてくるから不思議だ。
『ベースボール労働移民』という本がある。
ビール片手にヤジを飛ばしながら楽しむ野球もいいけれど、たまにはアカデミックに野球を考察してみたい、そんな人にオススメしたい本だ。
著者・石原豊一はスポーツ社会学の研究者。
本書の中で、カリブ海地域に野球がどのように伝来していったのかが記されている。
アメリカから最も早く野球が伝えられたのがキューバで、1864年のこと(ちなみに、諸説あるが日本への伝来は1872年といわれている。※佐山和夫著『ベースボールと日本野球』より)。さすがは世界ランキング1位。日本野球よりも古い歴史を誇り、一日の長があるということがわかってくる。だが、すんなり「国技」となったわけではない。闘牛という伝統スポーツを要する宗主国・スペインに対する闘争のシンボルとみなされ、それゆえ取締りの対象にもなっていた歴史があった。その後、独立をめぐる混乱の中、戦火を嫌って海を渡った者によってドミニカに野球が伝わることになる。
同様に、ベネズエラにもキューバ人によって野球が伝えられたという。アメリカで生まれた野球=ベースボールという競技が、敵対国家であるキューバによって広められたという事実はなんとも皮肉的である。
前回までは6大陸16カ国の参加国だったWBCは、今回、予選も含めれば28カ国と前回から12カ国も増え、より「ワールド」という冠がふさわしくなってきた。これをもって「野球のグローバル化が進んだ」と捉えることもできるだろうが、競技そのものが広まったというよりは、人の移動、の意味合いが強い。WBCを「国」と「選手」で分けて見ていくと、また違った考察ができる。
キューバから野球が伝わり、その後冬季リーグ化し、MLBの人材供給地・選手育成の場と化したドミニカ野球。
アメリカと地続きでありながらも、ドミニカとは異なる独立した野球文化を形成していくことになるメキシコ野球。
野球不毛の地でありながら「プロ野球」を創設し、他国のプロリーグへの選手送出機関として存在したイスラエル野球(昨年まで中日に在籍していたマキシモ・ネルソン投手もイスラエルリーグ出身だ)。
他にも本書では中国・韓国・台湾の野球事情についても触れられている。当然、その立ち位置によってリーグのレベルも、選手の置かれる境遇(待遇)も変わってくる。MLBシーズンオフの調整やトレーニング的に参加する者、出稼ぎの場として活用する者、一方でバケーションの場としてのリーグ選びや、 自分探しの場として野球を追い求める者も出てくる。サッカーの世界では「越境フットボーラー」なんて言葉があるが、そのうち野球でも「越境ベースボーラー」なんて言葉が生まれるかもしれないなぁなんてことを思っていると、その「野球移民」がもたらす負の側面にも警鐘を鳴らす。
《先進国社会は現在空洞化に悩まされている。
《現在、アメリカのマイナーリーグや独立リーグには、ドラフトから漏れた多くの日本の若者が夢を追いかけて身を投じている。逆に日本の独立リーグでも韓国プロ野球からあぶれた者や南北アメリカ大陸からプロ野球選手を目指して海を渡ってきた若者が日本人選手に交じってプレーしている。そこに集う若者の多くは(略)「自分探し」型のスポーツ労働移民と同様、見込みの薄い夢を追いかけて低報酬の不安定雇用に身を置いている。(略)ベースボール・レジーム(※「人材獲得」「放送網」「マーチャンダイズ」など、野球の拡大によって生まれる各国リーグのモザイク状に広がるネットワーク)とは、グローバル化の行き着く先の、夢を媒介とした新たな収奪の装置であるとも言えるのではないだろうか》
本書『ベースボール労働移民』は、野球の国際化、そしてそこで働く、ということについて多くの示唆を与えてくれる。
社会学的な専門用語が多く、気軽に読み進められないのが難点。願わくばもう少し「わかりやすく伝える姿勢」があると良かった。「野球が置かれた現状を魅力的に、わかりやすく伝える」…それこそが、野球という競技が五輪復活を目指して世界的に広く認知される上でも求められることであると思うのだが。
(オグマナオト)