『名古屋あるある』という本にこんな“あるあるネタ”が出てきて、思わず膝を打った(カッコ内の番号は本書に出てくる「あるあるネタ」の順番。以下同)。
私としては、ここに「地元出身の女性が話していて、ふいに名古屋のイントネーションを口にするとグッときてしまう」という“あるある”も加えたいところだ。いや、名古屋弁でしゃべること自体にというより、ポロリと漏らすことに対してグッとくるのだが……って、それは自分だけですか?
関西出身の作家やライターが、地元の言葉で軽妙な文章を書いているのを読むとうらやましく思ったりする。名古屋弁ではこれが意外とできないからだ(なかには清水義範のような作家もいるけれど)。そこにもおそらく名古屋弁の微妙なイントネーションが関係しているような気がする。
ここで思い出したのが、小説家の二葉亭四迷が、どうすれば口語体で小説が書けるのか、先輩の坪内逍遥に相談したところ、三遊亭圓朝の落語の速記本を勧められたという話だ。そもそも、口語体で書くのなら自分が普段しゃべっているとおり書けばいいはずなのに、どうしてそうしなかったのか? それは四迷も逍遥も尾張藩士の息子であり、普段は名古屋弁を話していたから……という説がある(藤井康生『名古屋を読む』)。その真偽はともかく、先述のような名古屋弁の性格を思えば、さもありなんという気もする。
せっかくなので自慢しておくと、四迷と逍遥だけでなく、近代の国語学の基礎を確立した学者・上田万年もまた尾張藩士の息子であり、そう考えると現代の日本語をつくったのは名古屋人だといっても過言ではないのである。過言だが。まあ、『名古屋あるある』にあるように、名古屋人は《「日本一」と「日本初」を異常にありがたる》タチなんで(No.009)、許したってちょうでゃあ(ああ、発音表記が難しい)。
こんなふうに地元をことさらに自慢したかと思えば、変に自虐的なところもあったりするのも名古屋人である。いや、正確にいうなら、自虐すら自慢に変えてしまうのが名古屋人なのかもしれない。《「エビフライは名古屋名物じゃない!」と言い切れなくなってきた》こと(No.096)などは、まさにその代表例といえる。もともとエビフライは名古屋名物ではなく、単にタモリにネタにされたおかげで「名古屋=えびふりゃあ」なるイメージが広まったという話だったはずなのに、いつしか、それを逆手にとって観光客相手にジャンボエビフライなるメニューを出す店まで現れた。
結局のところ、自慢も自虐も、名古屋人がほかの地方の人間の目をことさらに気にしているということの表れなのだろう。だいたい、自分たちの住むところの地域性や県民性に関する本がことあるごとに書店に並び、話題になるような大都市というのは、名古屋ぐらいではないか。すでに1980年代には三遊亭円丈『雁道』や船橋武志『100%名古屋人』といった名古屋本が地元で話題となっていたのを思い出す。それ以降も「名古屋論」「名古屋人論」の類いは絶えず出続け、名古屋の書店の一角を占めている。
このたび刊行された『名古屋あるある』も、そんな名古屋論の系譜に連なる一冊といえる。本書は、長らく「トッピーネット」というサイトで、名古屋・愛知に関するトリビアルな情報を発信し続けている川合登志和と、『中日ドラゴンズあるある』シリーズなどの著書もあるライターの大山くまおと、愛知県出身の2人による共著だ(イラストの福島モンタも愛知県出身)。
そこでとりあげられる341本の“あるあるネタ”を読んでいたら、昔ながらの“あるある”とともに、比較的最近の現象をとらえた“あるある”もちらほらと目につき、ここ10~20年でのこの地域の変化を感じずにはいられない。それは私が、愛知県出身ながら5年前まで東京で15年近く暮らしていたがゆえ、よけいに目につくのだろう。
昔ながらの“あるある”のなかには、30代後半にして独身で車の免許も持っていない、この地方ではマイノリティに属する私からすれば、ちょっとゾクッとしてしまうものもある。たとえば、《嫁の実家は車と家具を用意し、旦那の実家は土地と家を用意する》(No.017)。このように家の存在がいまだに強固で、独り者にとってはいささか肩身の狭い風土というのは、名古屋が「大いなる田舎」と呼ばれるゆえんであろう。《ブランドショップには母娘の姿ばかり》(No.056)というのも現象としては新しいが、それも衣裳が変わったにすぎず、昔ながらの地域性と根本では何ら変わってはいないように思う。
そう文句を垂れながらも、もし自分がいま高校生だったら、進学や就職のため東京なりどこか他所に出ようと思うだろうかと考えると、思わないような気がするのもたしかだ。私が上京した20年ほど前は、まだかろうじてマスコミ幻想が残っていた頃で、出版界で働くなら東京しかないと思ったからだが、いまとなっては、編集者はともかくライターならネットがあれば何とかなりそうだ(実際に何とかなってる)。そうなると、高い家賃を払ってまで東京に住むメリットというのがよくわからなくなってくる。《一生、名古屋で暮らしたいと本気で思っている》(No.020)のは中高年ばかりでなく、いまや若い世代にも大勢いそうだ。
まあ、若いうちから地元で充足してしまうことは、人間の器を小さくしてしまうような気がしてならんのですが。そう、信長だって秀吉だって家康だって、み~んな外に出て大きくなったんじゃなかったか!?
ここで何の気なしに、家康を信長・秀吉と並べてしまったが、本書の第7章「三河あるある」によれば、三河人は《家康を名古屋人扱いしてほしくない》(No.207)と思っているらしいので要注意。それにしても、「三河あるある」があるなら、わが「知多あるある」の章もほしかったなあ。
このほかにも、考えさせられたり、ツッコんだりせずにはいられない“あるあるネタ”が満載の『名古屋あるある』。最後にこれだけツッコんでおこうか。
《名古屋市の姉妹都市を暗記している》(No.008)
名古屋市の姉妹都市とは、ロサンゼルス、メキシコシティ、南京、シドニー、トリノの5都市のこと。南京をのぞけばすべてオリンピック開催経験のある都市というところに、名古屋のコンプレックスの根深さを感じずにはいられない。
と思ったら、こんな“あるある”もあった。
《名古屋オリンピックのことはそっとしておいてほしい》(No.026)
あ、はい。すんません。
(近藤正高)