そして今回の動画中に、まちがい発言がありました。新書『21世紀の落語入門』(幻冬舎新書)は小谷野さんから送っていただき、すでに一度以上読んだことがありました。おわびし、訂正します。自分の脳が怖いです。

読みやすい『江藤淳と大江健三郎』
動画の中で話したように、体調が悪くてもつい読んでしまうほど面白い『江藤淳と大江健三郎』(中央公論新社)。私が付箋を付けた部分をいくつか挙げさせていただきます。「→」のあとは私自身の感想コメントです。

p.180《大江には通俗物語作家的な才能があり、(略)それを評価しなければ、ディケンズもバルザックも評価できないことになるだろう。》
→小難しい印象しかない大江さんの小説を読んでみたいと思わせる記述が本書には多い。
p.189《大江の政治的発言が、小説の達成に比べて凡庸に過ぎるとは、かねてから言われることだが、残念なことは、その二つを分けて前者を正統に評価する批評家があまりいなかったことで、たいていは政治的に大江に同調する。》
→小谷野さん自身はこの二つを分けて考えるための仮説をいくつか本書に書いています。ここには書きません、読んでみてください。
p.222《その時の大江はノーベル賞作家だから、自作の批判は許さない狭量さだと噂されたものだが、それはやはり匿名が許せなかったからであろう。匿名批判が卑怯だというのは、私にとっては自明なことなのだが、世間の人はそうは思わないらしい。》
→批判だから許さなかったのではなく、匿名での批判だったから許せなかったのだろう、という指摘は納得。私も小谷野さん同様、匿名批判は卑怯だと当たり前のように感じているのですが、そう書いたら炎上したことがあります。
p.231《『洪水はわが魂に及び』についての大江のこの文章を読んで、暴力に魅力を感じる人間がいるのだ、ということに気づいた。(略)だが、戦後社会では、暴力はいけないことになっている。》
→小谷野さんは「暴力に魅力を感じる人間がいるのだ」ということに、わざわざ気づくような人間で、そのへんに共感します。私も最近まで「車の運転に快感を覚える人がいる」「そもそも車という物体に性的なほどの欲望を持つ男のほうが多数派」ということが全然わかっていませんでした。なるほど、だから交通事故が多発しても車は廃止されないのですね。生理的欲望のほうが勝つから。
p.336《妻の発病から江藤の自殺まで、福田和也はまったく登場しない。》
→福田和也さんは故・江藤淳さんの「弟子」として知られていますが、その師弟関係の絆を疑問視する指摘が本書には複数あります。あるいは生前の江藤淳さんと対談している上野千鶴子さんが、江藤さんの死後にどう振る舞ったかも端的に書かれています。なんという淡々とした、おそろしい「攻撃」でしょう。
お気の毒な江藤淳さん
分厚い本書を読み終えると、大江健三郎さんの小説が読みたくなり、江藤淳さんに対しては「お気の毒」という気持ちを持ってしまいます。小谷野さんが江藤さんのほうに比較的手厳しい印象があるのは、江藤さんが故人で「死人に口なし」だから好き放題書いたというわけではなく、小谷野さんが江藤さんと同じ文学の「批評家」だからだと思います。江藤さんがじつは大学教授というポストを欲しがっていたのに得られなかったのではないかという指摘は、小谷野さんご自身の欲望と重ね合わせての「推測」ではありますが、かなしいほど当たっているのではないかと思ってしまいました。
小谷野さんは本書の執筆にあたって、大江さんに直接お手紙を書き、調べてもどうしてもわからなかった部分の確認をとっています。きちんと返信があったということで、大江さんの誠実さに好感を持ちました。が、お手紙のやりとりをした大江さんのことを、それでもここまで手厳しく書くのかという箇所がいくつも本書にはあります。でもきっと、大江さんは「匿名」でなく本書を書いた小谷野さんのこの仕事を、きちんと評価し支持するような気がします。
小谷野さんはネットでは「粘着質」と批判されることも多い書き手ですが、粘り強くなかったらこんな本は書けるはずがない、という渾身の一冊でした。ああ面白かった! これからも煙草をたくさん吸ってストレス発散し、素敵な奥様を大切にして、批評や小説や様々な執筆活動を末永く続けていただきたいです。
なお小谷野敦さんの本に対する私の感想は、何度かに分けてツイッターにも書いていますので、そちらもご参照ください。
もし記事や動画の内容に「まちがい」が判明した場合は、私のツイッターで訂正していきますので、随時ご参照いただけると幸いです。
あと、歌人の加藤千恵さんが司会を担当する「真夜中のニャーゴ」という番組(ネットで無料で観られます)に7月29日(水)ゲスト出演し、小谷野さんの本を紹介する予定です。おたのしみに。
(枡野浩一)