プロ野球では早くも前半戦を終え、後半戦へと向かいます。前半戦では毎年Bクラスだった横浜DeNAベイスターズがなんと首位ターンを果たしました。
これは1998年以来とのことです。さて、1998年といえば野球ファンにとってはおなじみですね。横浜ベイスターズが日本一に輝いた年です。

【横浜ベイスターズの特徴】


マシンガン打線

当時のベイスターズはマシンガン打線と呼ばれた打線が大きな武器でした。一度打ち始めると止まらないと言われ、チーム打率が非常に高かったんです。象徴的な試合としては7月15日の巨人戦が挙げられ、0-7とリードを奪われながらも打線が爆発し、13-12で最終的には勝利しました。
当時のスタメンは
1番:石井琢 2番:波留 3番:鈴木尚 4番:ローズ 5番:駒田 6番:佐伯(中根) 7番:進藤 8番:谷繁
と好打者揃いでした。

大魔神・佐々木

抑えにはあの大魔神・佐々木主浩が控えていました。この年の佐々木は特に異次元な活躍をしており、7月7日まで無失点、1年間のセーブ失敗は2回のみ(いずれも三浦の先発時)、シーズン防御率0.64、シーズンセーブ数45など数々の記録を残しました。

セットアッパーローテーション
佐々木に繋げるリリーフ陣にも特徴がありました。それは「セットアッパーローテーション」と呼ばれるもので4~5人の中継ぎを交代交代で使っていくというものです。これによって中継ぎ投手の消耗を抑える効果がありました。

内野守備が安定
投手陣を支える守備力もありました。
内野の守備は鉄壁であり、1998年のゴールデン賞では捕手・谷繁、一塁・駒田、二塁・ローズ、遊撃手・石井琢、三塁・進藤と総なめにしました。

【優勝に導いた権藤監督】



ベイスターズを優勝に導いた権藤監督も特徴的な方でした。そのため色々なエピソードが残っています。
「監督」と呼ぶことを禁止
権藤さんは非常に選手たちとの壁をなくそうと自身のことを「監督」と呼ぶのを禁止しました。権藤監督と呼んでしまった選手にはなんと罰金が科せられたそうです。

ミーティング・夜間練習を廃止
チームとしての和よりも選手個人がプロとしての自覚を持つことを大切にしていました。そのため、普通チームとして行われるミーティングや夜までの練習を撤廃しました。これは一見楽そうに思いますが、裏を返せば選手個人が強いプロ意識を持たなければなりません。実際、この時の選手たちは自発的に選手同士でミーティングを開いたり、自主練習を多く行ったことが優勝につながりました。

「やられたらやり返せ」
この言葉が権藤さんのモットーでした。この言葉通り、前日に打たれた打者にあえて同じ投手をぶつける、走塁ミスをした選手に対しては次の機会に盗塁のサインを出すなどの采配が見られました。この姿勢が選手たちの戦う姿勢の向上につながったとも言えるでしょう。

【リーグ優勝と日本一】



権藤率いる横浜ベイスターズは38年ぶりのリーグ優勝に輝きました。
続く西武との日本シリーズでも大魔神・佐々木が発熱で万全でないながらも、リードオフマン石井琢を中心に足でかき回し、日本一になりました。優勝の瞬間は選手やフロントはもちろん、記者たちまでも皆感極まり泣いていたといいます。

さて、歓喜の1998年から17年が経った今年、ベイスターズは再び優勝のチャンスが訪れています。今の勢いを保ったまま後半戦を突っ走ることはできるのでしょうか。中畑監督をはじめ、筒香や梶谷などの若い力にも期待したいところです。
(さのゆう)
(「オーナーズリーグ OL15 LE ローズ/横浜(内野手)」)
(「オーナーズリーグ プレミアムマスター(ベースボールゲームマガジン付属) 佐々木 主浩)」)
(「勝つ管理 私の流儀―横浜ベイスターズ38年ぶりの日本一!」)
(「横浜ベイスターズ’98リーグ優勝記念オフィシャルCD~VIVA YOKOHAMA」)
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