松坂大輔と横浜高校が奇跡的な逆転劇を演じた98年の対明徳義塾戦も、
2004年夏、駒大苫小牧が初めて優勝旗を北の大地にもたらした瞬間も、
がばい旋風が吹き荒れた2007年夏、佐賀北vs.広陵の伝説の決勝戦も、
この人の声が甲子園球場とお茶の間をつなぎ、
高校野球というドラマを完成させた。
NHKの名物アナ、小野塚康之アナウンサーの実況は、
今年も、甲子園大会の魅力を存分に伝えてくれている。
小野塚アナが解説する甲子園の魅力
小野塚アナの今夏初登板は大会2日目第4試合。こんな第一声で始まった。
「第4試合というのは数々の名場面も歴史の中では描いてきています。箕島と星稜の延長18回も、カクテルライトの中での戦いでした。これから、日は沈んでいきます」。
「高校野球100年」の節目の年だからこそ、過去の名場面とのオーバーラップで「今」を紡ぎ出す……いまどき、こんな詩的な情景描写が似合うのはこの人くらいだ。
そんな小野塚アナが本を出した。
『甲子園「観戦力」をツーレツに高める本』

小野塚節を語る上で外せない「ツーレツ」(本当は「トゥーレツーーー」としたかったんじゃなかろうか?)を込めたタイトルは、高校野球ファンであればきっとニヤニヤできるに違いない。
本書には、甲子園観戦を楽しむ上でぜひとも押さえておきたい歴代アイドル球児や怪物たち、名物監督、打順ごとの打者の役割などが、「実況席視点」でまとめられている。小野塚アナの口調よろしく、リズミカルな文体は読んでいて心地よい。
だが、一番楽しいのは、甲子園の語り部・小野塚アナがどのような視点で野球を見ているのか。そして、どんな心構えで放送に臨んでいるのか、という「声の制作背景」も描かれている点だ。
《私は打った結果、投げた結果だけを捉えてどうなったかと伝えるのが実況中継だとは思っていない。投げる前や打つ前に、あるいは打ちにいく、投げ始める動作の中でいち早く何かを見つけたり感じ取ったりして結果につながる体の動きの特徴や傾向を描写できないものかと考えている》
こうした実況アナの矜持を守るための解説者との掛け合いや取材でのポイントなど、高校野球ファン、小野塚ファンにはたまらない内容になっている。
野球は、過去よりも今、これから行われることが面白い
たとえば、冒頭でも記した佐賀北対広陵戦での逆転満塁ホームランのシーン。小野塚実況の代名詞ともいうべき、「あり得る最も可能性の小さい、そんなシーンが現実でーす」という名フレーズはいかにして生まれたのか。
試合展開や大会の背景も踏まえながら、小野塚アナ自身が終盤の攻防一球ずつの「裏側」を解説する。
《まったくうまくいかなかった。正直に申し上げて3ボール1ストライクのカウントになるまで、押し出しは想定しなかった》
《実は、この後の満塁ホームランは想定できた。副島はこの大会ここまで2本打っていて長打力は実証済みだった。そして、明らかに野村に異変が出ていた。それは「力み」だった》
《この場面で両者ともに「力むな」というのは無理なのだ。その中で副島は決めたこれが佐賀北の強さだったと思う》
この前年(2006年)、早稲田実・斎藤佑樹と駒大苫小牧・田中将大の投げあいによる延長引き分け再試合によって、史上空前の盛り上がりを見せた高校野球。
それ故、2007年の大会前には、前年の強すぎる印象の反動によって注目度が下がるのでは?という懸念もあった。
《野球は、過去よりも今、これから行われることが面白いのであり、甲子園の高校野球も、記録も記憶も更新されていくものだ》という小野塚アナの記述は、この時の佐賀北に対してはもちろん、今まさに行われている甲子園での熱戦にも当てはまる至言だ。
「高校野球100年」で盛り上がりを見せる今年の甲子園。
だが、その高校野球人気が続いてきたのも、実況アナウンサーたちの「言葉」があればこそ。
全出場校が出そろい、これから中盤・終盤へと向かう甲子園大会を前に、実況中継のありがたみと重要性を本書で今一度確かめておきたい。
(オグマナオト)