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阿部サダヲが伝説に挑む。宝塚歌劇、プロ野球、ターミナルデパートの祖「経世済民の男 小林一三」

ソースライスの話は、一貫して消費者目線で考え続けた一三をしのばせる“伝説”といえる。じつは一三以前には、そんな企業家はほとんどいなかった。というのも、当時の日本経済の柱であった紡績・鉱山・造船・金属などの企業は、製品を問屋やメーカーに売りさばけばそれで終わりであり、消費者と接することはなかったからだ。《小売は小商人のやることであり、一般には企業経営者の意識のなかには、消費市場への対応に低い評価しか与えなかったのである》(宮本又郎『企業家たちの挑戦』)。

それでも、大正初めの第一次世界大戦前後ともなると、都市への人口集中が進み、日本でもようやく大衆消費市場が芽生えようとしていた。一三はその動きを鋭敏にキャッチして、さまざまな独自のサービスを展開した先駆者のひとりであった。

球界や電力業界にも足跡を残す


小林一三は日本の野球史にも足跡を残している。今年100年を迎えた高校野球の最初の全国大会(当初の名称は全国中等学校野球優勝大会)は阪急の所有する大阪府の豊中運動場で開催された。大正末の1924年にはプロ野球チームである宝塚運動協会を設立している。これは長続きしなかったが、一三はやがて関西の電鉄会社によるプロ野球リーグを構想、1936年1月には阪急軍、のちの阪急ブレーブスが結成された。ライバル会社・阪神電鉄が大阪野球倶楽部(現・阪神タイガース)を結成した翌月のことである。

ただし中等野球は第2回以降、阪神所有の鳴尾球場、さらに1924年の第10回大会からは阪神甲子園球場で行われるようになる。プロ野球に関しても、戦前こそ阪急と阪神の試合は阪神・巨人戦以上に人気のカードであったが、戦後のリーグ分裂により阪神はセリーグ、阪急はパリーグとなったことで両球団は明暗を分けた。

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