あれから3年8ヶ月。

ズボラながらにも(ほんの)少しだけ成長(変化)した花
単身赴任の夫・ゴロさんを待ちながら、主婦の花が日々の食事をいかにして「ズボラ飯」で乗り切るか!? その奮闘の様子と花の食べっぷりが人気を呼んだこの作品。コミックス派にとって、2巻の最後は唐突で、そして実に「次」が気になる展開だった。
妊娠し、できちゃった結婚することになった親友ミズキ。その過程でわかる花の過去。ミズキへの優しさ。
そして、2巻最終話でようやく、最愛の夫・ゴロさんの元へと向かった花。ついに「声」の出演を果たしたゴロさん。ともに携帯電話を忘れるなか、果たしてふたりは出会うことができるのか?
これ、どう考えたって「ゴロさんとどう出会うか(出会えないのか)」が3巻で描かれると思うじゃないですか!
でも3巻の花は、2巻最後のちょっと緊迫した展開がまるでなかったかのように、単身赴任のゴロさんを待ちながら、またいつものズボラで寝てばかりいる花に戻っている。
ゴロさんの姿はまだ出てこない。むしろ、もっと遠くなった気すらしてしまう。
その一方で、2巻から3巻にかけてひとつ年を重ねた花は、ズボラながらにも(ほんの)少しだけ成長(変化)の兆しも見せる。
たとえば、2巻で「お燗するのメンドクサイ」と言っていたにもかかわらず、3巻では人肌にお燗することも憶えてしまった花。
たとえば、制限時間内に調理が間に合わない! という状況でも「ちょっとでも美味しくしたいの!」と妥協を許さない花。
「女子力満々美人焼きそば」なんていう、もうズボラでもなんでもなく、かなりメンドクサイ料理まで創作してしまう花。3巻で「ズボラ飯」と素直に思えたのは、「お茶漬け海苔パスタ」と「鯖の水煮缶丼」ぐらいだった。

天才花子の元気が出るレシピ
そして変化はもうひとつ。自身の「天才性」に溺れる頻度が格段に増しているのだ。
振り返れば、1巻第1話、「花のズボラ飯」を人気作品にした名物料理「シャケトー」。このメニューを食べた際の感想からして「天才」がキーワードだった。
「天才……!!間違いなく天才だ!! このちょいと焼けたマヨがたまらん坂」
その後も、忘れた頃に「天才」を自称していた花なのだが、3巻ではそれが激増。
参考までに2巻で自身を「天才」と称した描写を数えてみると3回。それが3巻では9回と3倍増だった。
ズボラではなくなった、といいたいわけではない。
ズボラとは手抜きにあらず。
そして相変わらずの妄想癖と、脳からこぼれ出る饒舌っぷりはむしろ清々しい。
「うわうわ!! うまうま!! ネギの香りとセリの食感が芋煮会を晩餐会に 晩餐会を今 舞踏会に変えたわ!! 食べるほどに美味しい!! セリー・アントワネット妃輝いてる!! 香りが高貴!!」
東北出身者ゆえ、この季節は毎週のように芋煮会をしていたが、こんな高貴な芋煮の感想をいう人に、ついぞ出会ったことはない。
やっぱりこの作品、ズボラレシピを楽しむよりも、花の無駄な語彙力を駆使した料理の描写を堪能するのが楽しいだな、と再確認。
そこには、話の展開も物語性もほとんど存在しない。
ゴロさんを待ちながら、「ただ何も起きない」物語。
それでも花は、今日もまた飯を食べる。
(オグマナオト)