たった1日で、新作漫才やコントを15本書き上げる。
伝説のハガキ職人・ツチヤタカユキさん。10代から生活の全てを笑いに差し出し、圧倒的なインプットとアウトプットを経て、勝手に頭の中で5秒に1個ボケが生まれるまでになった。『ケータイ大喜利』でレジェンドの称号を獲得し、ラジオや雑誌の投稿企画で常連となった。しかし、あまりにも笑いに特化した日々は、世間から認められなかった。
その道のりを記した私小説が『笑いのカイブツ』だ。「人間関係不得意」で知られるツチヤタカユキさんに、同じくケータイ大喜利レジェンドの井上がインタビューしました。

同じ日にレジェンドになった2人
≪もしも大喜利が苦手な僕が、この番組で「レジェンド」になることができたら、その瞬間に、才能は努力でカバーできるということの証明になるのではないか?もしもレジェンドになれたら、才能が無い僕でも、お笑いのプロを目指すことが許されるような気がした。(P.11)≫
── 実は僕も、ケータイ大喜利のレジェンドで……
ツチヤ 聞きました。初めてお会いしました、他のレジェンドに。
── レジェンドは全国に100人近くいますけど、なかなかこういう機会は無いですからね……。実は僕とツチヤさん、同じ日にレジェンドになってるですよ。2010年1月1日の元日SPでした。この時のこと、覚えてますか?
ツチヤ あんまり……うろ覚えですね……。
── そうです。僕が第14号「INO」で、ツチヤさんが第16号「MURASON侯爵」。せっかくの機会なので、今日はケータイ大喜利でツチヤさんが採用されたボケをリストにして持ってきました。

※詳細は『笑いのカイブツ』特設サイトの『ケータイ大喜利』採用ネタ一覧をご覧ください。
ツチヤ 懐かしい……。僕、この辺でニートになってます。2008年11月。初採用から半年開いて2段になった時で、20歳。ここからです、本気出したのが。
── ニートになってから、毎日自分で大喜利のお題を作って、自分で答えてたんですよね。
ツチヤ 夜中にケータイ大喜利っぽいお題を100〜200個バーッと一気に作って、朝起きたら1日かけて答えてました。
── すごい……。ケータイ大喜利ってNHKの番組なので、答えの縛りもキツいですよね。商品名はもちろん、エロや暴力、とがりすぎたボケはNG。文字数も30文字以内。
ツチヤ ベタでスタンダードなボケだけ、って感じですよね。
── スタジオがめっちゃウケても板尾審査員長が「2本」とか……。
ツチヤ ありますあります(笑)
── 縛りがキツいなかで、それだけ大量にボケを出すと、同じパターンしか浮かばなかったり、自分の中でマンネリ化が起きたりしませんか?
ツチヤ そこは、おもろなくてもいいから出す、っていう習慣をつけてました。止まってる状態が一番無駄じゃないですか。クオリティを無視しても、一回出す。
── そうやって数をこなすことで、ボケのクオリティも変わってくる?
ツチヤ 変わりますね。最初の頃のボケと全然変わります。さっきの「一回出す」みたいなことが無くなって、殺傷能力が上がっていく感じです。もともと、大喜利って苦手だったんですよ。瞬発力が無くて……。でも、『ダイナマイト関西』を観てたら、決勝行った人がM-1で全員残ったりして、「大喜利強い人はネタも面白い」という仮説が僕の中にできて、じゃぁこの力は絶対必要なんだなと。

── ちなみにレジェンドの「MURASON侯爵」という名前は、なにか由来があるんですか?公式サイトのレジェンド自己紹介では「打ち間違えた」とありましたが。
ツチヤ 高校時代に『時計仕掛けのオレンジ』って映画が好きだったんですよ。あれって、劇中でオリジナルの言葉を作ってるんです。それに影響されて、自分も「MURASON」って言葉を作ったんですよ。「めっちゃアホ」とう意味で……。
── 意味があるんですね!「侯爵」は?
ツチヤ 侯爵は、2番目に偉い爵位じゃないですか。僕は才能無いと思ってたんで、どんなに頑張っても2位までしかいけないだろう、でも2位でもいいからやろう、という意味でつけました。
── じゃぁ「打ち間違えた」というのは……
ツチヤ あれは……ウケるかなと思って、ボケたんじゃないですかね……。
衝動を受け止めてくれる場所を探して
── 当時、お笑いはどういったものを観てましたか?
ツチヤ テレビもビデオも、めちゃくちゃ観てました。ちょうどビデオからDVDに世の中が移行した時代で、ワゴンセールでビデオがただみたいな値段で売られてたんですよ。古いのは全部観ました。
── 「全部」というのは……。
ツチヤ もう全部。日本も、アメリカも、イギリスも……。モンティ・パイソンとかも全部観ました。テレビのバラエティも全部観て……ごっつ、ボキャブラ、オンバト、笑いの金メダル……M-1グランプリが始まったのが中1の時でしたね。
── 特定の芸人さんが好き、というわけではない?
ツチヤ 千原ジュニアさんが好きでした。千原兄弟はビデオも全部観て。
── 中学高校時代は自分で漫才やコントを書いていたと。
ツチヤ 最初は完全にオリジナルで作ってて、途中から「このネタ面白いな」と思ったら、どうやってできてんのやろ?ってノートに全部バーって書いてました。ここの振りでこのボケが生きてるんだとか、ソレのパターンを盗んで書いたりとか。M-1でも各組のボケ数を数えて、決勝いってる人は30個以上ボケあんな、準決勝は全員30いってないなとか。書き起こしてパターンを洗い出して。
── レジェンドになった後、そうして書き溜めていたネタを吉本の劇場に持ち込むわけですが、お笑いに関わるうえで、例えばNSCに入学するとか、他の選択肢は考えませんでしたか?
ツチヤ もう「ネタを作りたい」っていう衝動がすごかったんです。プレイヤーになったとしても、新人のうちは月2回くらいしかライブに出られない。毎日単独ライブやりたいくらいなのに、そんなんじゃ衝動が全然収まらん。じゃぁ、書くほうに行こ、という感じでした。劇場に入ってからは、倉庫から台本を持って帰ったり、袖からライブを観て勉強して、家でも会議中でもネタ書いてました。
── でも、放送作家になるのは……ちょっと違うと。
ツチヤ 芸人さんが作ったネタに意見を言うのが主な感じで、自分でネタを作らなくていい仕事なんだな……と。劇場で、誰も作ってなかったんですよ。じゃぁこれ意味無いんやと。で、その衝動を全部受け止めてくれる場所がハガキ職人だったんです。世の中に衝動がすぐに出せたんです。バババッと。

こいつが死んだら枠が3つ空く
── 多い時で、どれくらいのラジオや雑誌に投稿してました?
ツチヤ ラジオが伊集院光、爆笑問題、山里亮太、ナイナイ、バナナマン、オードリー。雑誌がファミ通、バカサイ、サンデー、ジャンプ……かな。月〜土まで埋まってて、日曜だけ無かったですね。
── 採用率も高かったんじゃないですか?
ツチヤ レジェンドになってから他のところに投稿を始めたんですけど、もう、無敵でした。2通出したら1通読まれるみたいな。図書カードとかめっちゃもらいましたし、ファミ通はガバスを貯めてゲーム機もらって、それを売ってお金にして生きてました。
── ハガキ職人で食ってたんですね……。ケータイ大喜利の時はレジェンドという目標がありましたけど、ハガキ職人の時は目標は……?
ツチヤ 無かったです。もう衝動無くなったらやめよう、あるいは読まれなくなったらやめよう、と。とにかく衝動をなんかしたいのが先で。ボケを出し続けると頭が空っぽになる感じがあって。空っぽになったら映画とか海外ドラマとか本とか、エンターテインメントならなんでも頭に入れてました。
── そこまでやると、逆に「採用されて当たり前」の感覚になりませんか? 最初の頃は採用されてうれしくても、回数を重ねると採用されることが普通になってきて、採用されないことに納得いかなくなったりするのかなと。
ツチヤ ありますね、「まだ足りひん」って。一回の放送で11個採用されていても、自分以外に3つ読まれている人とかムカつくんですよ。全部俺で埋めたいって。こいつ死んだらええねん!って。
── 「こいつが死ねば枠3つ空くねん!」と。
ツチヤ そう思ってました。

『笑いのカイブツ』(文芸春秋)
ツチヤタカユキ
1988年3月20日生まれ。大阪市出身。三組の芸人の構成作家、私小説連載を経て、現在ニート。エンターテインメントの仕事を全部募集中。
(井上マサキ)
後編に続く