VAIOの顔だった三浦謙太郎が、ソニーを辞めてアメリカで起業しようと思ったわけ
Douzen社CEOの三浦謙太郎氏。ソニーでVAIOやCLIEの商品開発に携わった後、ソニーピクチャーズ、ベンチャー企業を経て同社を起業。

大注目の新ガジェットの開発者とは?


アメリカの大手クラウドファンドIndieGoGoに上がっている一つのプロジェクトにガジェット好きたちの注目が集まっている。

それはHale Orbという写真・動画共有デバイスのプリセールスのプロジェクトだ。

家族のメンバーがFacebookやInstagram、Dropboxなどにアップした動画を、パソコンなどが苦手な高齢者でも簡単に閲覧できるデバイスである。たしかに球体を斜めに切った形状はスタイリッシュで、インテリアとしても格好良い。でも写真を共有するだけなら今でもすでに様々な方法がある。

それにも関わらずHale Orbが注目を集めているのはなぜか? その理由のひとつはその開発者にある。

三浦謙太郎。

ソニーVAIOの日本ローンチ時からの商品開発者であり、VAIOの顔として世界中を飛び回っていた人物だ。Hale Orbはソニーの最後の黄金期を知る三浦がソニーを辞めてシリコンバレーで立ち上げたベンチャーが満を持して送り出した商品なのだ。

花形ポストを捨て、起業へ


タッチスクリーンではなく、往年のソニーのジョグダイヤルを想起させる回転式の操作が手のひらに心地よい。

「本当はタッチスクリーンの方が作り手としては楽で、実動作を伴う操作だとホコリなどが入りやすくて壊れやすいんです。でもデザインとか、実際にコンシューマが手にしてみた時のワクワクどきどき感とか、そういうことを考えながら作るプロセスが身についてしまっているんですね。UX(利用者の体験)を大切にするソニーのいい伝統かも知れません」

そういう三浦だが、Hale Orbのアイディアを持ってソニーを辞めたわけではなかった。2006年にソニーを辞めてから、Hale Orbのコンセプトが出来上がるまでには9年ほどの年月を経ている。ソニーでは、社長に同行して社用プライベートジェットで世界中を飛び回る、誰もが羨むような華やかな仕事をしていた三浦はなぜそのキャリアを捨てシリコンバレーに向かったのだろうか?


VAIOのエバンジェリストから私費留学へ


VAIOの顔だった三浦謙太郎が、ソニーを辞めてアメリカで起業しようと思ったわけ
VAIO-C1。三浦氏が商品開発に携わったサブノート。消費者向けとしてはカメラが付いた初のラップトップで、アーリーアダプターたちの心を鷲掴みにした。商標を取ったMOTION EYE のネーミングは三浦氏発案のもの。

三浦がソニーに入社したのは1997年。中学、高校をアメリカで過ごし、スタンフォード大学卒業後、映画製作への憧れもありソニーに入社した。そこで配属されたのは日本ではまだ発売前のVAIOの商品企画。ヒット商品となった「VAIO-C1」の企画に携わった。今でもソニーが商標を持つ「MOTION EYE」というネーミングも三浦の発案によるものだった。

その後、VAIOのエバンジェリスト的存在として三年間働いた後、当時ソニーが力を入れていたPDA(携帯情報端末)「CLIE」のソフトウェアを担当するようになる。そこでエッジの立ったソフトウェアの技術を持つ世界中のベンチャー企業と一緒に仕事をする。

そのような華やかなキャリアを歩む中、自費でアメリカにMBAを取得しにいくことを決意。
「今までなかったものを世の中に出して面白いと人々に思ってもらうことに面白みを感じてそれだけを追究していたのですが、それ以外にもビジネスマン的な教養も身につけた方がいいかなと思ったんです。(大学まで育った)アメリカでは大学院まで行くというのは、普通の考えだったということもあったと思います」

ソニーでは通常1年までの休職しか認められないところ、紐付きになるのを嫌い私費にこだわり、上司に掛け合って2年の休職を取りUCLAでMBAを取得した。実はUCLAに行ったのは、学生時代から憧れていたコンテンツ製作に対する密かな思いもあった。

そして復職後、VAIOチームには戻らず、アメリカのソニーピクチャーズに赴任させてもらう。しかしここで三浦はキャリア上、最も大きな挫折を味わう。

ソニー退社を決意させたのはスティーブ・ジョブズ


「仕事が思っていたようなクリエイティブなものではなく、間に入って政治的なコーディネートをするというものでした。映画などのコンテンツに対するふわっとした憧れで入ったのですが、僕自身そうした仕事との相性が悪く、何の結果も出せずにキャリア的にはどん底でした」

その経験を経て、三浦は改めて自分がテクノロジーやエンジニアと話していることの方が好きだということに気づいたという。

そうしてキャリアについて悩んでいる時、三浦は母校で行われたあの有名なスピーチと出会う。

「スティーブ・ジョブズがスタンフォードの卒業式で行ったあの有名なスピーチが行われた翌日にその映像を観たんです。すぐに決意し、三カ月後には実際に離職していました」

キャリアに行き詰っていたとはいえ、必ずしもソニーを辞める必要はなかったはずだ。VAIOチームに戻ったり、社内ベンチャーを起こしたりする選択肢あったはずなのに、なぜ退社を選んだのだろうか?

「ソニーのことは大好きなのですが、ソニーの中でもうやりたいことはないなと思ったのです。VAIOもまだまだ伸びている最中でしたが、立ち上がりの高揚感を上回る体験はできないだというという思いもありました」

三浦はさらに続ける。

「ソニーは本当に偉大なブランドだと思います。特に僕がいた頃は世界のどこに行ってもソニーというと一目置かれるような状態でした。でも凄すぎて自分のものではないなという感覚も常にありました。偉大な器に乗っけてもらっている感じです。そこにいる分には心地いいのですが、どっぷり漬かって依存してしまう前に出ていかないといけないのではないかという感覚はありました」
VAIOの顔だった三浦謙太郎が、ソニーを辞めてアメリカで起業しようと思ったわけ
写真・動画共有デバイスHale Orb。Haleはハワイ語で「家」の意味。家族で写真を共有することを目的としており、アメリカのクラウドファンドHale Orbで6/30までに支援すると、日本にも出荷してくれる。


自分が心から面白いと思える仕事を


実際にソニーを退職すると、日本の大企業の従業員は福利厚生面も含めて素晴らしく保護されていたかということを思い知らされたという。しかし「自分が心から面白いと思えるものをやりたい、自分でオーナーシップを持って何かを育て上げたい」という気持ちが勝り、退職したことには悔いはなかった。

その後ベンチャー企業を経て、2012年にシリコンバレーに渡り、「CLIE」開発時代に知り合ったUI(ユーザインタフェース)エンジニアとともにDouzen社を立ち上げる。そして起業から5年経った現在、ついに三浦が「心から面白い」と思える製品をリリースすることになったのだ。

クラウドファンディングサイト、Indeigogoで発表されると、わずか40時間で目標額の2万ドルを達成。単なる写真・動画デバイスではなく、様々な拡張性を持つ未来のリビングルーム体験を先取りするデバイスとして注目を浴び、投資家からも広範な支持を受けて量産体制に入るという。この勢いを受け、6月30日までのIndiegogoでの先行販売では、日本への出荷にも対応することになった。

かくして三浦とHale Orbの新しい物語は始まった。デバイスが広く受け入れられるかどうかは神のみぞ知る。しかし三浦が自らの歩み始めた物語に対して一点の迷いがないことだけは確かだ。
(文中敬称略)
(鶴賀太郎)
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