
「オムツ代を稼がなくちゃ」
当事者になるまでは、ある種のノロケにも聞こえたこのセリフ。いざ子育てを初めてみるとノロケどころの騒ぎではない。
でもお金がない……。どうやってお金を集めよう? お金がないけどプロジェクトを遂行したい時、現代のとっておきの資金調達方法がある。それがクラウドファンディングだ。
進路決定件、命名権までも販売!?
クラウドファンディングで売る権利は様々。設置型カメラでいつでも子どもの様子を見ることができる権利、小学校入学まで好きな洋服を着させることのできる権利、進学の進路を決定する権利、そして命名権。命名権は1名限定で(当たり前か)1500万円!
色々と心配される方もいるかも知れないが、ご安心を。実はこれ、小説の中のお話。
7月25日に講談社から発売された『キッズファイヤー・ドットコム』の主人公、カリスマホストの白鳥神威が家の前に自分の子供として置かれた赤ちゃんを育てるために考えた方法なのだ。

なあんだ、だから荒唐無稽なのか、と安堵した人もいるかも知れないが、これが必ずしも荒唐無稽でもないというのだ。
赤ちゃんの頃からプライベートが晒される時代
「YouTuber同士で結婚して子どもが生まれて、それを全部実況中継しているカップルがいるんですよ。子どもからすると知らない内に生活を全部晒されているのですが、これが結構アクセスが多いんです。もしこれで広告収入が親に入るのなら、構造としては『キッズファイヤー・ドットコム』のクラウドファンディングとまったく一緒ですよ」
そう言うのは作者の海猫沢めろん氏。

「この前アメリカで、子どもが出来たけれどもお金がないからクラウドファンディングで100万ドル集まらなければ中絶する、という女性が現れてかなりバズったんです。アメリカは中絶に絶対反対のキリスト教保守の人たちも多く大問題ですからね。蓋を開けてみたらそれは小説を売るためのプロモーションだったんですが、もう現実でもこういうことが起きてもおかしくない時代です」
ポリティカル・フィクションによる思考実験
『キッズファイヤー・ドットコム』は、同タイトルの前半と『キャッチャー・イン・ザ・トゥルース』という後半のふたつの中編小説からなっている。前半は海猫沢氏が子育てにお金がかかることを自ら体験したのが原点だった。そしてお金はあるけど寂しい高齢者の富を、子どもは欲しいけどお金のない若者へ移行させるという思考実験をポリティカル・フィクションという形で実現させたのだ。それに対して後半では、クラウドファンディングによって育てられた赤ちゃんが6歳になって登場し、9歳の記者に取材されるという話になっている。
「最近、プロット(あらすじ)を事前に作らないようにしていて、物語が分岐点に辿り着いたら、自分が想像のつかない方に話をすすめるようにしているんです。この方法で書き続けるためにはモチベーションが必要になってくるのですが、後半はクラウドファンディングによって育てられた子どもがどうなるのかを知りたいという一心で書き切りました」
確かに衆人に見られ続けて育てられた主人公は、普通の人と違うOSを積んでいるような印象だ。
テクノロジーの進歩で変わっていく身体性
「ピンとこない方もいるのですが、テクノロジーによって身体性は変わってきます。たとえば初めて録音された自分の声を聞いて、自分の声じゃないような気がするという体験をした人は多いですよね? それがテクノロジーを介した時に生じる身体性の違和感なんです。でもだんだんその違和感を感じなくなってくる。修正されていくんです」
この辺りの繊細な身体性の違いに着目するのは、尖端科学やテクノロジーにも詳しい海猫沢氏ならでは。
「子供の頃、オカルト系雑誌の『ムー』とか大好きだったんですけど、今のAIとかVRなどの最先端の科学って、それに匹敵するくらいワクワクさせるものなんですよ。昔僕らが思っていたことよりも遥かにスゴイことができるようになってきています。かつてSFに描かれていたフィクションの世界に現実の世界が結構追いついたなという感じが出てきています」

それにも関わらず、最近の純文学はテクノロジーを描かなくなってきていると海猫沢氏は言う。
「しばらくテクノロジーを描くことを純文学は忘れています。80年代は島田(雅彦)さんや(村上)龍さんなどがやっていましたが、ああいうことをする人がほぼいなくなってしまったので、純文学系の媒体で書く時は6~7年くらい前から意識的にやっています。オレは人がやらないことをいつも逆張りでやっているんで(笑)」
これから子育てをする人にも、すでに子育てを終えている人にも、テクノロジーの強烈な進展は平等に訪れる。AIなどの発達によって仕事がなくなるんじゃないかと怖れている人にとってより重要なのは、AIに勝る技術よりもAI時代の身体性を身につけることだったりする。
『キッズファイヤー・ドットコム』を荒唐無稽と思わず面白がって読めるか読めないかは、新しい時代の身体性にどこまで柔軟についていくことができるかの一つの試金石になるかも知れない。
(鶴賀太郎)