
幽霊、UFO、超能力、未解決事件など、いわゆる“オカルト”の話題は今も昔も人々の興味を惹き続けている。先日、世界的に有名な未解決事件の1つ、“ケネディ大統領暗殺事件”に関する機密文書が公開され、大きな注目を集めているのもいい例だろう。
そもそも“オカルト”とは?
“オカルト”という単語は本来、「目で見たり、触れて感じたりすることのできないこと」を意味する単語だが、現代においては「よくわからないもの、非科学的なもの」という意味でも使われることが多い。いわゆる“占い”も、根拠が明らかでないという点で分かりやすいオカルトの例だと言えるだろう。
オカルトと並び立つものとして“都市伝説”という言葉が挙げられるが、都市伝説は「人々の中から自然発生した噂」のことを指すので、オカルトとは少々意味合いが異なる。先述したケネディ大統領暗殺事件を例にすると、「犯人は不明である」というのがオカルト、「犯人はあの人物らしい」というのが都市伝説であると言える。
“わからない”ことが絶対条件
オカルトは正体がわからないからこそ、この世に存在することができる。人々がその正体を知った瞬間に、その事柄は“オカルト”から“事実”へと移り変わってしまうからだ。
最近解明されたオカルトの一例として、アメリカ・カリフォルニアにあるデスバレー国立公園内で、ひとりでに石が動いているとする“デスバレーの動く石”がある。石が動く理由については、風説や磁気説、さらには宇宙人説など様々な説が提唱されていたが、数年前に石は氷によって動かされているということが科学的な研究によって明らかになった。これによって、長年の多くの人々の憶測が飛び交ったこの謎に決着がついた形となった。
もちろんこの謎に挑み、解明した人々の熱意は称賛に値する。ただ、これから先“デスバレーの動く石”がオカルト的話題として語られることはなく、人々の興味も幾分か薄れることになるだろう。なぜなら真実がわかってしまった時点で、それは“オカルト”ではなく“自然現象”となってしまったからだ。あくまでも真偽や正体がわからないこと、それがオカルトをオカルトたらしめる絶対的な条件である。
結果ではなく、過程が魅力
前述した動く石の例を見ても分かる通り、正体を解明することが最大の魅力というわけではない。
一つの事柄に対して、様々な角度からアプローチができる“余地”がある。これこそが、人がオカルトに惹かれる最大の理由なのではないだろうか。
柴田雅人