
これまでの作品と一線を画す「ゴジラ」
2016年7月29日に公開された映画「シン・ゴジラ」。国内のゴジラ作品としては、2004年公開の映画「ゴジラ FINAL WARS」から実に12年ぶりの公開となったわけだが、なぜ過去作と一線を画す作品になったのか、作品の内容について振り返ってみたい。
映画「シン・ゴジラ」のあらすじ
沖を漂っていた1隻の小型船。海上保安庁が内部を確かめるも、そこには人一人おらず、ただ折り鶴が置かれていた。直後、東京湾で大きな爆発音が鳴り響く。それは、海底からの大量の水しぶきと、東京湾を横断する東京アクアラインのトンネル崩壊によるものだった。その後海上では何かの巨大なしっぽのようなものが顔をのぞかせる。
政府は臨時会議を招集して問題に取り組もうとするが、未知のできごとにどう対応するべきなのかもわからず、ただ不毛な議論が繰り返されるだけだった。内閣官房副長官の矢口が予想した未確認の巨大生物による最悪の事態が引き起こされるとも知らず……。
映画のキャッチコピーが「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」となっているように、表向きは日本国家とゴジラの戦いを描いた作品である。
「シン・ゴジラ」と過去作との違いは?
「ゴジラ」と聞いて懐かしいと感じる人も多いと思う。「シン・ゴジラ」の発表前、「ゴジラ」を扱った作品は20作品以上放映されてきた。
初代「ゴジラ」に関しては、はじめて日本にゴジラが現れ、日本を混乱の渦に巻き込むというゴジラと人々の戦いが描かれたが、その後シリーズ化されたゴジラ作品は違う。
多くは、ゴジラと未知の怪物という構図になっており、ゴジラ=悪者ではなく、怪物ではあるがどこか英雄のような存在感を放っていた。また、ゴジラの描かれ方は初代が凶暴な怪獣だったのに対して、そのほかのシリーズものの多くはコミカルな面があり、過去作を見てきた人はゴジラに対して親しみを覚えていた人も多いはずだ。
一方の映画「シン・ゴジラ」は、シリーズ化によってイメージ付けられていたゴジラを見事に覆す結果となった。シリーズものは、何度も現代にゴジラが現れた前提だったが、「シン・ゴジラ」ははじめて登場し、さらに正体が何かもわからないという状況の違いが1つ。ゴジラがはじめて日本に現れて、破壊の限りを尽くしていくという初代ゴジラに立ち返った作品だといってもよいだろう。
しかし、「シン・ゴジラ」はそんな初代ゴジラとも違う面がある。ゴジラ主体ではなく、ゴジラに対抗する人たちに大きく焦点が向いていることだ。それも、1人英雄がいるのではなく、多くの人々が協力することで1つの大きなことが達成できるという方向性になっている。もう1つ、もし現実に起きたら……というリアルが追求されているのも過去作との大きな違いだろう。
もちろんファンタジーの世界なのだが、本当にこんなことが起きてしまうのではないかという危機感や、自分はこんなときどうしなければならないかという使命感を感じずにはいられない。
「シン・ゴジラ」大ヒットを受け、9/2(金)〜9/16(金)までの期間、ゴジラ映画の聖地ともいえる"日劇"(TOHOシネマズ 日劇)での上映が決定しました!
— ゴジラ (@godzilla_jp) 2016年8月29日
初代ゴジラの代表カットにも、日本劇場の建物がしっかりと映り出されています! pic.twitter.com/4iS0cZd5r0
東日本大震災や原発を思わせる演出
これまで放映されてきたゴジラシリーズには、社会的な背景を暗に表現してきたものもある。初代ゴジラもその1つで、戦後10年も経たないうちに制作された。戦争をベースにしていると明言はされていないものの、戦争による破壊とゴジラを重ねた作品だ。
「シン・ゴジラ」もそんな作品の1つである。「シン・ゴジラ」で描かれたのは、大きな被害をもたらした3.11(東日本北大震災)と福島原子力発電所の事故だ。その演出は随所に現れている。
まずキャッチコピーになった、「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」。これはまさに、日本対震災の構図を示している。ゴジラによる見慣れた街の大量破壊、さまざまな策で対抗するも全く歯が立たない様子も、津波や地震などの自然災害の圧倒的な力を表したといってもよいだろう。さらに、ゴジラの体内の原子炉やメルトダウン、凍結(冷却)という言葉は福島原発の事故を彷彿させる。
そして特筆すべきなのは、ゴジラに対抗しようとする政府の姿だ。正式な手続きばかりが重視されて、現場との間に大きな温度差が生まれてしまい対応に追い付けないシーン、だれも責任を取りたくないと責任逃ればかりでものごとが一向に解決に向かわないシーン。どれも、現代の日本の姿の縮図のようだ。
実際に東日本大震災が起きた際、1カ月も震災対策担当相が決まらなかったり、復興基本法案が数カ月経っても決まらなかったりという事態になっていた。福島原発の事故についても、誤った情報が飛び交ったりするなどで対応の遅れが問題視されていた。
本来は、政府が早い段階で対応を決めていかなければならないのに、従来の日本の政治のありかたなどが邪魔をしたのだ。「シン・ゴジラ」はそんな日本社会のありかた、日本政府のありかたについてメスを入れた作品だといえるだろう。
単にエンターテインメント、アクションとしても楽しめるようになっているが、そうした日本社会を風刺したテーマやメッセージ性にも注目したい。

豪華キャストが出演 1シーンだけの有名俳優も
映画「シン・ゴジラ」は、出演しているキャストがとにかく豪華とも話題になった。まずは主演キャストから簡単にみていきたい。
主要キャスト
長谷川博己
主演である内閣官房副長官の矢口を演じたのは、実力派俳優の長谷川博己だ。映画「進撃の巨人」や映画「海月姫」などへの出演のほか、ドラマ「家政婦のミタ」や「デート~恋とはどんなものかしら~」と数々の話題作に出演している。
竹野内豊
渋かっこいい俳優の代表格といってもいい。「シン・ゴジラ」では、内閣総理大臣補佐官の赤坂役を務めた。主な出演作品は、ドラマ「ビーチボーイズ」、ドラマ「素敵な選TAXI」、映画「冷静と情熱のあいだ」など。年を追うごとに磨かれていく魅力がある。
石原さとみ
世界でもっとも美しい顔100選にも選ばれるなど、年を重ねるごとに色っぽさが増している女優。「シン・ゴジラ」で演じたのは米国大統領特使のカヨコ・アン・パタースンだ。ドラマ「てるてる家族」、ドラマ「ウォーターボーイズ2」、ドラマ「失恋ショコラティエ」、映画「幕末高校生」、映画「進撃の巨人」などヒロインや重要な役に抜擢されることも多い。
そのほかの有名俳優
そのほか、大杉連(内閣総理大臣役)、平泉成(農林水産大臣役)、柄本明(内閣官房長官役)、光石研(東京都知事役)などの実力派俳優、高良健吾(内閣官房副長官秘書官役)、高橋一生(文部科学省研究振興局基礎研究振興課長役)など話題の若手俳優も多く出演している。
さらに注目したいのが、ちょい役だ。セリフもわずか、出演シーンも1シーンという場面でも、元AKBの前田敦子(避難民)、ピエール瀧(自衛隊)、斎藤工(自衛隊)、小出恵介(消防隊)、片桐はいり(官邸職員)などの有名俳優を起用している
ゴジラのモーションキャプチャーには野村萬斎を起用
さらに驚くべきは、ゴジラのモーションキャプチャー、つまり動きについても有名人が起用されている点だ。ゴジラ役となったのは、日本でも指折りの狂言師であり、俳優も務める野村萬斎(のむらまんさい)。デジタルな動きに頼らない、監督がリアルを追求した結果だろう。
祝!!「シン・ゴジラ」公開!!
— ゴジラ (@godzilla_jp) 2016年7月29日
先ほど初日舞台挨拶で発表がありました、ゴジラ役は野村萬斎さんに演じて頂きました!
人の動きをモーションキャプチャーでフルCGゴジラに反映しているのです!#ゴジラ #シンゴジラ pic.twitter.com/wrH7Af1J0S
石原さとみの英語力が話題に
劇中で日系アメリカ人のカヨコ・アン・パタースンとして登場した石原さとみだが、演技以上に英語がうまいかどうかで話題になった。
実際に、英語と日本を織り交ぜて話すシーンは多い。結論からいうとネイティブレベルで考えると物足りなさはあるだろう。ネットでは発音がひどいと評価する人もいた。しかし、気になる日本語なまりは、バイリンガルやネイティブでない限り多少は出てしまうものだ。
もし英語を語るのであれば、発音の正確さ以上に文と文とのつながりやスムーズさにも注目してほしい。さらに母国語ではない英語を話しながら演じるという難しさもある。そう考えると、十分に役柄をこなしているのではないだろうか。
また、あえての石原さとみのキャラや役柄が「シン・ゴジラ」のシリアスすぎる内容を和らげてくれているという見方もある。
国内興収82.5億円の大ヒット 外国での評価は?
国内興行収入:82.5億円
受賞歴:日本アカデミー賞 最優秀作品賞
日本アカデミー賞 最優秀監督賞
日本アカデミー賞 最優秀美術賞
日本アカデミー賞 最優秀撮影賞
日本アカデミー賞 最優秀照明賞
日本アカデミー賞 最優秀録音賞
日本アカデミー賞 最優秀編集賞
「シン・ゴジラ」の興行収入は82.5億円で、2016年における邦画興行収入では「君の名は。」に次ぐ2位となった。歴代の邦画興行収入でも、2018年7月30日時点で18位。また、受賞も華々しく、日本アカデミー賞7冠を取るなど最多の受賞となった。2016年の流行語大賞の候補にも選ばれている。
国内での反響は?
映画サイトで国内の評価を確認してみると、Yahoo!映画で5点中3.97点、映画.comで5点中3.9点、Filmarksで5点中3.9点と高評価だ。(いずれも2018年7月30日時点)
もしものときのシミュレーションができる、メッセージ性に価値があったなど評価する意見がある一方で、コンピューターグラフィックス(CG)が安っぽく感じる、おもしろみに欠けるなどの厳しい意見もあった。
また、同作品は上映中に声出しOK、コスプレOKの「発声可能上映」も複数回開催された。いつもの映画鑑賞にはない一体感を味わえるという点で、こちらも反響は大きかったようである。
ま、まさかの庵野秀明総監督が駆けつけたーーーーーッ!!!!
— ゴジラ (@godzilla_jp) 2016年8月15日
庵野コールの嵐です!!
島本先生、遂に負け宣言っ!#発声可能上映 #ゴジラ #シンゴジラ #アンノ対ホノオ https://t.co/YSPY9LoIm7 pic.twitter.com/5luQVZKO7x
海外での評価は?
「シン・ゴジラ」の総監督・庵野秀明(あんのひであき)が、いまだに根強いファンの多いアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の監督だったという期待値から、海外でもそれなりに興行収入をねらえるのではないかという予想があった。
しかし、フタを開けてみると邦画が人気の台湾で転び、北米、欧米と次々と興行収入の低さが目立つ結果に。なかにはゴジラ作品としては最高だったというファンの意見もあるが、そもそもの内容が日本の社会問題をベースとしていたため、海外ウケしなかったものと考えられる。
総監督・庵野秀明のこだわりがすごかった
庵野秀明のプロフィール
株式会社カラー代表取締役
監督・脚本・プロデューサー
主な監督作品:アニメ「ふしぎの海のナディア」、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」、映画「新世紀エヴァンゲリオン」シリーズ、アニメ「彼氏彼女の事情」など。
「シン・ゴジラ」を語るうえで外せないのが、庵野秀明総監督のこだわりだ。リアリティ=リアルではないが、本作はできるだけリアルになるように、考証取材や撮影にかなりの時間や労力をかけたという。
たとえば、災害対策本部や政府の会議の様子、細かい部分なら自衛隊の袖の折り方まで、細かい部分にもこだわりがみられる。撮影についても複数台のカメラを常にセットして、ドキュメンタリーのようなリアルが感じられるように、角度にもこだわった。総監督のこだわりが強すぎて現場スタッフとの間に不和があったと報道されたほどだ。
ラストシーンのゴジラの尻尾の意味とは?
ラストシーンのゴジラの尻尾についてさまざまな考察があがっているが、ここからはネタバレになるので注意してほしい。
ゴジラの設定について考える
ゴジラといえば、これまで2足歩行のトカゲのような怪獣というイメージがあったかもしれない。しかし「シン・ゴジラ」では、そうしたイメージについて大胆な変化を取り入れた。ゴジラが形態変化するというものだ。
劇中でゴジラは、深海サメのような第1形態(劇中での全体像の登場なし)、第2形態(蒲田に登場した両生類のような形態)、第3形態(手が生えた幼体)、第4形態(従来のゴジラ型)まで変化を遂げた。
さらに、凍結したゴジラの尻尾から今にも分離しようとしている、ゴジラの分身にも見える人型たちが第5形態と公式で明らかにされている。また劇中に描写はないが、第6形態は無数に分裂する不老不死の体を持ったゴジラなのではないか、第5形態以上に形態変化できるのではないかという見方がある。
尻尾についてのさまざまな考察
ゴジラの第5形態は、凍結した尻尾から分離しようとしていた無数の人型のようなものだが、このラストシーンに登場した尻尾に関してはさまざまな考察がされている。
まず、単純にゴジラの分裂、小ゴジラなのではないかという説。無数の小ゴジラが尻尾から誕生するのではないかというものだ。
ほかにも、ゴジラがエネルギーとして取り入れた人間なのではないかという説、ゴジラを研究してゴジラの脅威を事前に知っていた行方不明の牧教授なのではないかという説もある。いずれにしても、作品鑑賞後も余韻に浸って、思わずあれこれ語りたくなる作品はそうないのではないだろうか。
「シン・ゴジラ」が生まれた背景、「シン・ゴジラ」によって表現された現代、ラストシーンの尻尾。見れば見るほど、「シン・ゴジラ」には引き込まれていく魅力がある。まだ「シン・ゴジラ」を見ていないならぜひ1度は鑑賞を、見たことがあるならぜひゴジラに隠された背景を考えながら見返してみてほしい。