CASCADE、25年の中でのターニングポイントは?/インタビュー後編

――【CASCADE】インタビュー前編より

(テレビに出て)天と地がひっくり返るくらい変わりましたよ

──でも25年を振り返ると、ターニングポイントみたいなことはいくつもあるのではないですか。

TAMA:そうですね、最初の変化は『えびす温泉』(1994年から1997年までテレビ朝日で放送されていた音楽バラエティ番組)に出たことですね。
1週勝ち抜いたら10万円もらえたんですけど、10万円はデカいぞなんて思って出たら勝っちゃって。「わ~~、10万だ!」って喜んだのはいいんですけど、それで終わりじゃなかったんですよね。「ライブのお客さんが増えた!」って喜んだのは初めだけで、なんか胃が痛かったな、毎週(笑)。

──テレビに1回出ると大変なことになったとか?

TAMA:天と地がひっくり返るくらい変わりましたよ。僕が覚えてるのはですね、テレビに出たあとのライブの時、MASASHIくんが俺んとこに来て「俺さ、今さ、サイン求められちゃったよ~。サインを考えないとダメだよね~」って言ったこと。

MASASHI:そんなこと言ってたか。よく覚えてるね(笑)。たぶんライブの前に、衣装を買いに出て戻った時のことだと思います。いつも5人くらいしかお客さんがいなかったから、その日もそんなもんだろうと思ってたんですよ。

TAMA:ただその日はお客さんが多くて。「なんかまた人気のあるバンドが出るんだろうなあ」って思ってたら、みんなの視線はこっちを向いていて。


CASCADE、25年の中でのターニングポイントは?/インタビュー後編

──そのまま勝ち抜いてメジャーデビューでしたよね。

TAMA:ええ、ええ。それでデビューライブが渋谷のO-WESTで。

HIROSHI:事務所の入り口にね、「CASCADE デビューライブ O-WEST、5秒でソールドアウト!」って書いてあって。5秒でソールドアウトしないでしょ、電話かけるだけでも5秒じゃかかりませんから、と思った(笑)。

TAMA:俺、自分でかけてみた、電話を。なんか知らんけど、ほんまかなあと思って。だってワンマンライブって言っても、持ち曲を全部やっても20分くらいしかないんですよ。それで映像か何かを流したと思いますけどね。

──あまり現実感がない感じでした?

HIROSHI:他人事ではなかったですけど、なんかよくわからないっていうのが正直なところでした。「僕らの何が好きで、こんなにお客さんが熱狂してるんだろ」って。でもステージの上にいる時は楽しいし、まあいっかみたいな。


TAMA:親に「デビューするみたい」って電話しても、信じてくれなかったですもん。「なにそれ、変な人に騙されんときや」って言われた(笑)。

HIROSHI:うちも、それに近かったわ(笑)。

TAMA:やっと信じてもらえたのは『YELLOW YELLOW FIRE』(1997年)が出た時。いろんなとこに貼られたポスターを見て、オカンが「これ、うちの息子ですねん」って。

HIROSHI・MASASHI:あはははははは。

TAMA:そしたら相手にあんまりびっくりされて、「うそうそ、今の嘘」って言ったらしい(笑)。で、「今日な、『YELLOW YELLOW MONKEY』やったっけ、貼ってあったで、ポスター」「いや、FIREやから……」って。

CASCADE、25年の中でのターニングポイントは?/インタビュー後編

──『YELLOW YELLOW FIRE』は一つのターニングポイントでしたか。

TAMA:そうなんでしょうね。やっぱりシングルというのは、世に広めるためのものとしては必須アイテムですから。なんか1回みんなでクラブかなんかに行った時に、お客さんが両手を振って一体になってるのを見て、「こういうの、ライブでやられたら感動しちゃうよね」「そういう曲、ほしいよね」とか言って。


MASASHI:そのあと「YELLOW YELLOW FIRE」を作ったんですよね。たしかに、そこは節目だったよね。

TAMA:みんなが知ってる曲があると、イベントに出ても「この曲、聴いたことある」ってことで見てくれるじゃないですか。そういうのも大事なんだなと思いまして。それを意識するようになったのが、「YELLOW YELLOW FIRE」あたりかなあと思いますね。

──次のターニングポイントとしては活動休止になりますか。

HIROSHI:そういうことになるんでしょうけど、あまりお休みしている感じはなくて。バンドで何かやることはなかったですけど、まあまあ会ってるんですよ。それぞれ活動してましたから、お互いのライブを観に行ったり。ご飯も食べに行ってるし。

TAMA・MASASHI:うんうん。

MASASHI:でも一緒にやらなかった期間があったからこそ、7年後に復活した時は再発見したこともありましたね。


──例えばどういうことを?

MASASHI:やっぱりTAMAのボーカルだよなあ、HIROSHIくんのドラムだよなあって。ずっと一緒にやってた時も、常に新しいことをみんなで発見しながら楽しんでやってたんですけどね。一回離れてみたら、それぞれの良さっていうか、ならではのものがあるって再確認できたというか。なんかちょっと時間をおいてみると、何にしろ発見があるものですよね。

CASCADE、25年の中でのターニングポイントは?/インタビュー後編

──それは今回のセルフカバーにも言えることなんでしょうね。

MASASHI:それはどの曲にもありました。ライブってわりと勢いでいっちゃうとこもあると思うんですけど。こうして改めてレコーディングしてみると、当時のアレンジの手法や曲の構成を確認できたり。本当にいろんなことに気づきましたね。

TAMA:改めてすごくいいメロディだと思いましたね。どんなアレンジの曲でも、本当にメロディがよくて、普遍的にいいメロディなんだろうなって。だから素直にいい曲が揃ってるなって思うことができました。
そういう曲を今のCASCADEでやったら、なんか曲も進化していて。昔から聴いてくれていた人も、新しく聴く人にとっても、斬新に聴けるものになったんじゃないかなと思いますね。

HIROSHI:だからリリースライブもほんとに楽しみで。

MASASHI:またその時のCASCADEが出ることになると思うし。

TAMA:そうそう。それがいいよね。やっぱりライブは大きいですからね、ライブで掴むものも大きいですし。言ってみればこの『VIVA NICE TASTE』もライブをやっていたから出来たような作品なので。そう思うと、よりライブが楽しみになってきますね。

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