ジャパネットたかたとは?名物だった高田明氏
社長である高田明氏が自ら商品を売り込むスタイルが人気だったジャパネットたかた。創業から当時のことについて振り返ってみる。
ジャパネットの歴史とは?もともとはカメラ店だった
ジャパネットたかた=テレビショッピングというイメージが強いが、もともとテレビショッピングをメインにした会社ではなかった。ジャパネットたかたの前身になったのが、ジャパネットたかたの元社長・高田明氏の父が経営していた長崎県にある小さなカメラ店だ。
一度は就職して海外での経験を積んだ高田明氏は、共同経営の話を持ち掛けられ会社を辞職。しかし、共同経営の話はなくなってしまい、手持ち沙汰になって家業のカメラ屋を手伝うことになった。その後、カメラ店の経営は順調に伸び、複数の営業所を展開するまでに。当時高田明氏は事業所の1つを任されていたが、セール時に使ったラジオの影響力に活路を見いだし、本格的にラジオ通販をするべく、たかたカメラグループより独立して株式会社たかたを設立した。今でもジャパネットたかたの本社が長崎県佐世保市にあるのもその名残だ。
自ら番組に登場、名物だった初代社長・高田明氏
ジャパネットたかたが通販に乗り出すきっかけとなったのが、ラジオ通販だったという。1990年、長崎放送のラジオ通販で5分、元社長の高田明氏が話しただけで50台ものカメラが売れた。高田明氏は、そこにビジネスチャンスを見いだす。
4年後の1994年には、テレビ通販を開始した。なお、通販商品の紹介は元社長である高田明氏自らが実行。番組に自ら登場して売り出すスタイルは、高田明氏が社長職を退くまで続いた。お茶の間からはジャパネットたかたの名物として親しまれた。
普通、こうした売り出しは社長自ら行なわないものだ。高田明氏は、自ら動いて売り出していくことが好きだったのだろう。事実、それは多くの人に受け入れられ、ジャパネットたかたの売り上げにもつながっていった。
ジャパネット最大の危機、2004年の個人情報漏洩事故
今でも通販大手として知られているジャパネットたかただが、過去には倒産に追い込まれるのではないかというほどの最大の危機が訪れたことがあった。2004年、元社員による個人情報の漏洩事故だ。個人情報の漏洩は50万件を超えたことが最終的には明らかになった。
この個人情報漏洩の事実発覚を受けて、元社長の高田明氏は活動を自粛することを即決。それは、発覚からわずか2時間足らずのことだった。当時はまだ個人情報管理の意識が薄く、ようやく個人情報についての管理が注目されはじめた時代。そんな時代での高田氏の判断は的確であり早いものだったといえる。
結局、ジャパネットたかたは49日間の活動自粛となり、機会損失は150億円にも及んだという。かなりの痛手となったが、良くも悪くも、この事件が個人情報の管理を見直すきっかけや基本理念に立ち返るきっかけになった。
二代目・高田社長の経営方針とは?高田明氏との違いも
初代社長・高田明氏の引退後、ジャパネットたかたを引き継いだのは高田旭人氏だ。この2人は、火と水のように経営方針がまったく違う。二代目になって変わったジャパネットたかたについてみていこう。
二代目社長で高田明氏の長男でもある、高田旭人社長の経歴とは?
ジャパネットたかたの二代目社長は、初代社長の高田明氏の長男である高田旭人氏が受け継いだ。旭人社長は、中学・高校時代を久留米大学附設中学校・高等学校で過ごした。久留米大付設は自主性を重んじる校風で、その寮で中学・高校時代を過ごした旭人社長は、そこで自身の根幹でもある「環境は用意する、相談にも乗る、ただそれを活かして結果を出すのは社員の自己責任」をという考え方を身につけた。
また、大学についても自らこだわりがあり、東京大学を出なければならないと思っていたという。それは、当時から父の家業を受け継ぎ、経営者として皆をまとめていく責任があると感じていたためだ。コネ入社と思われないためには東大に行かなくてはという強い思いがあった。
高校時代の成績はお世辞にもよいとはいえなかった旭人氏。一浪して東京大学の試験に臨み、無事合格した。その後、証券会社で経験を積み、ジャパネットたかたへ。2015年に父の跡を継ぎ、ジャパネットホールディングス社長となった。
高田旭人社長と
— 森保まどか (@madoka_726_hkt) 2017年10月21日
抽選会にも参加しました!
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私のサインを入れて
プレゼントしたよ#Vファーレン長崎 #ジャパネットデー pic.twitter.com/AktD31iVF0
二代目社長は自らショッピング番組には出演せず
ジャパネットたかたの社長が代わり、ショッピング番組はどうなるかと思われていた。結果として、二代目社長である旭人氏はショッピング番組に出演することはなく、社長が自ら売り出すスタイルは消えた。
圧倒的なカリスマ性を見せた高田明氏のように自分はなれないと、旭人社長はいう。黒子として会社を支えるのが役目だというのが、二代目社長である旭人氏のやり方だ。
データに基づく仮説と検証を繰り返す経営方針
初代社長だった高田明氏は、圧倒的なカリスマ性で会社を引っ張っている印象があった。事実、社員の多くが社長に聞いて実行するスタイルだったという。しかし、二代目社長である旭人氏は、これでは100年後も会社を存続させることはできないと経営方針を変更。社員自らが考える体制へと整えていっている。
また、データに基づく仮説と検証を繰り返す方針も旭人社長になってできたものだ。これまで8000点以上あった取り扱い商品を見直し、本当に売れる商品600個程度に絞ったという。これにより、商品がうまく回る仕組みへ。今、ジャパネットたかたは新しい時代へ変革を遂げようとしているのではないだろうか。1人のカリスマ性が引っ張る時代から、社員1人1人が考え皆で協力して会社を運営する時代へ。二代目社長・旭人氏の今後の経営手腕が注目される。
社長バトンタッチ後の業績は?新規事業にも参入
社長の世代交代が行われたジャパネットたかただが、その後どのようになっているのだろうか。業績や新規参入事業についてみていこう。
高田旭人社長にバトンタッチ後のジャパネットの業績は好調
誰もが認めるカリスマ性があっただけに、社長交代ではジャパネットたかたはどうなるのかという心配があった。しかし、そうした心配は杞憂で、旭人社長にバトンタッチ後の業績は好調だ。むしろ、以前と比べて伸びてきているといえる。
旭人氏の経営戦略が順調に成果を見せている証拠だ。2017年12月までの2017年度の売上高はおおむね1920億円。今後は、年商2000億円を目標にしていくという。
クルーズ事業やウォーターサーバー事業にも参入
ジャパネットたかたは、これまで品質の高いモノを売るというスタイルで成長してきた。しかし、消費者の満足度を高めたいのであれば、必ずしもモノによるアプローチが正しいとはいえない。世の中のよいモノを磨き、モノの価値を最大限に顧客に伝える理念のもと、ジャパネットたかたは新たな事業に乗り出した。顧客へのサービスの提供だ。
ジャパネット、初のチャータークルーズ 横浜発着で2本 https://t.co/Kz6JOpCvfe pic.twitter.com/VhS2EXwDSX
— トラベルメディア「Traicy(トライシー)」 (@traicycom) 2017年10月14日
まず2017年10月に販売開始されたのがクルーズ旅行。ただのクルーズ船による旅行ではなく、ジャパネットたかたならではの付加価値がついたクルーズ船旅行になっている。たとえば、アルコールやジェラート、ドリンクが無料で飲み放題のサービス。クルーズ船内でのオリジナルイベントの開催などだ。クルーズ船旅行へ付加価値が加わることによって、より満足のいく、優雅な旅が満喫できるというサービスだ。
さらに2018年6月には、ジャパネットたかた製造のウォーターサーバー、天然水を宅配するサービスも開始した。8リットルの処分しやすいボトル、定期的なアフターフォローなど、モノの価値を最大限に生かす経営理念はここにも生きている。
高田明氏が社長を務める「V・ファーレン長崎」はJ1昇格
ジャパネットたかたの社長退任によって、一度は一線から身を引いた高田明氏。2017年2月から、プロサッカーチーム「V・ファーレン長崎」の社長を務めることになった。
「ジャパネットたかた」からサッカーへ…高田明「僕の人生に失敗はない」 https://t.co/uVBZVfwyiL pic.twitter.com/oHvkm0AVIk
— TOKYO FM+ (@tokyofmplus) 2018年7月24日
ジャパネットたかたは、これまでも「V・ファーレン長崎」のスポンサーとして活動を支援していたが、多額の赤字が発覚。存続が危ぶまれていた。そんな「V・ファーレン長崎」の経営を立て直そうと高田明氏が社長に就任したという経緯だ。
また、「V・ファーレン長崎」はこれまでJ2のチームとしても上位進出を果たせなかったが、2017年11月になんとJ1への昇格が決定。大いに話題を集めた。
お茶の間で話題を呼んだ初代社長・高田明氏が退任してから3年が経った。今後どうなるのだろうと心配の声もあったが、二代目社長・旭人氏の仮説と検証を重視した経営手腕により順調に売り上げを伸ばしている。さらに、新たなサービスの展開なども話題になった。今後さらなる飛躍が期待できそうだ。